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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カンノンサマ
1977年 静岡県
西浦の観音様は木像なのに、寺が一切合財焼けた時も何事もなく焼け跡に落ちていた。また、観音様のところにある面をもって東京に舞いに行った者たちの何人かが死んだ。

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カンノンサマ
1981年 福岡県
観音堂があり、ここの観音様は左手に水玉を乗せているため、火事除けの神様と言われていて、椋谷は火事で焼けないという。ある時、子供が悪戯をして観音様の顔を雑巾で拭いたところ、子供の家一軒だけが火事で焼けてしまったという。
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トビカンノン
1989年 長野県
下條に織田氏が攻め込んだとき、栗生山興徳寺という寺を焼き打った。そのとき、本尊である観音像は火災を逃れるために、今の安置場所まで自力で飛んできたという。
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カンノンサマ
1976年 大分県
津波の時に流れ着いた観音様がある。見つかったときは魚の網に引っかかっていて、後光がさしていたという。あるいは、沖から流れてきた木を切ると血が流れたので、祀ったともいわれている。
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ハセデラ
1975年 奈良県
和州泊瀬山の長谷寺の本尊十一面観音は、数度の火災でも焼ける事がなかった。たとえ体が焼けたとしても、頭だけは山上に飛んでいって焼けなかった。
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チンショウ
1974年 新潟県
西光寺の鐘が毎晩、海へゆこうか、川へゆこうかと鳴るので、住職が海なり川なり好きな方へゆくがよい、というと、龍頭が切れて転がりだし、下の鐘が渕に入って沈んだという。
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カンノン
1989年 広島県
昔、火事で観音堂が焼失した時観音像だけ探しても見つからなかった。村人が堂宇は再建したが観音像は安置しなかった。2年後の夏に子供が観音堂近くの滝で泳いでいる時に黒くなった観音像を滝つぼの中で見つけた。
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カンノンサマ
1969年 山梨県
ある晩にうっかり火を消してしまった女中の気立てのよい娘が、外を通った葬式のたい松をもっている人におとぶらいをもらうこととひきかえに火種をもらう、棺桶は自分の床の間に飾っておいた。翌朝その棺桶は金になっていた。仕合わせの身分となった娘も風呂へ入っているとき観音様となって、これを祭ってあるのが西国三番粉河寺の観音様だという。
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トビカンノン
1984年 長野県
寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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ビシャモンサマ
1968年 愛媛県
京都の鞍馬山が焼け、3体の仏体のうち1体が行方不明になった。数日後、神ノ浦の山頂で火がともるので、部落のものが見に行くと焼け焦げた仏体があった。これを毘沙門天として祭ったという。
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(ユメノオツゲ)
1989年 長野県
泥棒に捨てられた観音は天竜川に流れて泰阜村まで行った。そこの明島という場所のある人の夢枕に立ち、助けを求めた。その人が淵に行ってみると、本当に観音があった。拾い上げて船で送り届けると、観音像は寺にあった台座にピタリとはまったという。
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ジュウイチメンカンゼオン
1952年 静岡県
明治7年の社寺統一の際、11面観音像を仏坂というところから松山というところに移した。ところが病難火災が相次いで起こり、村民たちは憂慮した。ある夜大雷雨があり、翌朝になると仏像が仏坂に帰還し安置されていた。
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アカズノカンノン
1987年 長野県
現在「観音堂」と呼ばれている所には,江戸中期まで立派な観音堂があった。ところが,ある年山津波でこの堂がつぶれてしまったので,観音様は難を避けるために北佐久郡三井村(現佐久市香坂)の閼伽流山に飛んでいってしまった。以来この観音様を「あかずの観音」と呼んでいる。
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カンノンサマノタタリ
1964年 秋田県
八津の観音様は、八幡神社との合併のときに、御神体の首と胴を別々にして荒縄をかけて八幡神社に持っていった。そのたたりで、合併話を積極的に進めた人々はシラ(なだれ)にあってほとんどが死亡した。
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カンノンゾウ
1989年 長野県
長石寺に泥棒が入り、本尊を盗んだ。しかし、なんだか背中が重くなり始め、恐ろしくなった泥棒は本尊である観音様を天竜川へ捨てた。
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ブツゾウ
1973年 愛知県
江戸の末期、西方寺の仏像が金だという噂を信じた男がある夜、仏像を盗み出した。腕をもいで確認しても金ではなく外れた男は、野つぼに投げ込んでしまった。其の夜から男もにわかに腕が痛み七転八倒苦しみ、あの世行きとなった。
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ウマジカンノン
1936年 京都府
厳平寺が焼けた時、観音様も焼失したと思われていたが、ある人の夢に観音様が「淋しいので迎えに来てくれ」と言われ、探すと落葉の下から見つかった。見つかった1月9日を9日正月という。
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ヒノタマ
1969年 滋賀県
明治2年に僧侶7、8人が琵琶湖を船で渡っている時に波に飲まれて転覆し、死んで村の近くの海岸に打ち上げられた。それを共葬した石碑が建っている。薩摩地区の人はこの付近に火の霊が上がるのをよく見たという。
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チャガマ
1972年 千葉県
山崎家の人が、馬が死ぬので馬の観音様に茶釜を供えた。盗まれて困るので山崎家に返したら、茶釜は夜中にブーンブーンと鳴って観音様の下へ飛んでいった。
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カンノンノミズ
1932年 長野県
明治10年頃のこと、塩尻峠を登っていた若い躄が、清水の湧き出る場所で水を飲み、ふと見上げると観音様がいた。彼は近寄って額づいていたが、そのまま深い眠りに落ちた。目を覚ますと躄は立ち上がれるようになった。この噂が広まり、観音様をお参りする者が日に日に増えたが、供え物をめぐって人々が争うと、観音様は忽然と消えてしまったという。
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モクゾウ
1931年 長野県
安養寺という寺に、開基の和尚様の木像が安置してある。ある年の火災のとき、木像は尻に火傷を負い、ひとりでに境内の池に飛び込み、火傷の手当てをした。以後、その池の田螺には尻がない。
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