デイラボッチ 1993年 長野県 デイラボッチが藤蔓で山を縛って背負って、塩尻にかかり、桔梗が原で右に行こうか左に行こうか迷っていたら、藤蔓が切れて山が落ちた。それが比叡の山。怒って切れた藤蔓を投げた。それが藤塚(富士塚)。
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ダイダラボッチ 1927年 東京都 昔、ダイダラボッチの背負ったきたものをいう。丸い小山があり、丸山と呼ばれている。ダイダラボッチはここで休んで立ち上がろうとしたら、藤の背負縄が切れて荷が落ちたという。
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ダイダラボッチャ 1986年 埼玉県 昔、ダイダラボッチャという大男が秩父の方から、モッコに入れた山を二つ天秤で担いで来た。高麗の辺りまできてひと休みしようと二つの山を下ろした。ところが、疲れていたので、一つの山は静かに下ろせたが、もう片方の山はドカッと急に下ろしてしまった。そーっと下ろした山が日和田山で、後から下ろした山は多峰主山であるという。多峰主山は急におろされたので、日和田山より小さくなっている。それからダイダラボッチャは足を洗おうとして日和田山に腰掛け、高麗川で洗った。そこが今の高麗の新井というところだ。
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キョジン,モッコ 1998年 埼玉県 巨人がひとつのモッコに武甲山、ひとつのモッコに宝登山を入れて尾田藤の長尾根を天秤棒にして担いできたが、縄が切れ、モッコが地上に落ちてしまった。武甲山は固い岩だったので残り、こぼした山は宝登山と箕山になった。
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ダイダラボッチ 1977年 神奈川県 ダイダラボッチは富士山を担いで西から東へ旅をして相模国まで辿り着いたが、ここでさすがに疲れて休憩した。だが、休憩を終えて富士山を再び担ぎ上げようとしても、びくとも動かなかった。力をこめて踏ん張ったが、縄は切れてしまい、踏ん張っていた足が地面にのめり込んでしまった。この地面にのめり込んだ足跡が鹿沼である。
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デエラボッチ 1927年 長野県 デェダラボッチが大泉山と小泉山をヲンガラ(麻稈)でかついでここまで来たら、ヲンガラが折れた。変わりの棒がなく、そのうちに大泉山と小泉山に根が生えてしまった。
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デイラボッチャ 1990年 長野県 昔、デイラボッチャが西山と東山を天秤棒にかけて担いできたが、もっこからひとかけらの土が落ちた。それが中山で、西の方に落ちたのが小倉の室山だという。
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デーロク 1934年 千葉県 デーロクが天秤棒で山を担いで、鏡ヶ浦(館山湾)をまたいだとき、山が重すぎて、天秤が真ん中から折れ、落ちた山は島となった。それが今の高ノ島と沖ノ島で、踏ん張った足跡が照尾山に窪地として残った。
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ダイダラボッチ 1993年 静岡県 ダイダラボッチが近江の土をもっこに入れて駿河に運ぶ途中、引佐郡細江町伊目で肩を換えた時にこぼれた土が根本山。また、この大男の足跡が水溜りとして残っていた。宇津山に腰掛けて弁当を食ったとき、浜名湖に投げ捨てた小石が島になった。
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ダイジャラボッチャ 1989年 埼玉県 昔、巨人が日和田山と多峰主山(とうのすやま)を天に懸けて担ってきたが、高麗で疲れて一休みする時、多峰主山を乱暴に置いたために崩れて低い山となってしまったという。
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デーラボッチャ,キョジン 1980年 長野県 昔、飛騨にデーラボッチャという巨人がいた。デーラボッチャが背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山で、縄の土を払ったのが背負縄の山である。デーラボッチャは非常に大きな巨人で、槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったとか、どこの池にはその足跡だという伝説が残っている。
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デーラサマ,デーラボッチ 1955年 神奈川県 デーラサマは、富士山に縄をかけて引いてきたが、頂がちぎれて飛んだ。それが城山になったという。デーラサマが跳ねてできた足跡は、くぼ地となってデーラクボと呼ばれている。その時、足駄の歯にはさまった土が落ちてできたのが、相原のデーラボッチである。デーラサマは大山に腰掛け、相模川で足を洗い、東方へ飛び去ったという。
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デエラボッチ 1916年 神奈川県 昔、デェラボッチが富士山を背負おうとしたが、ふじ蔓を見つけることができず、ジンダラ(地団太)を踏んだあとが、鹿沼と菖蒲沼になった。
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デイラボッチ 1977年 神奈川県 昔、デイラボッチが富士山を担いで西から東へ旅をしていたが、途中、休もうと富士山を背中からおろしたところ、再び担ごうとしてもびくともしなかった。このときにデイラボッチが地団太を踏んで悔しがった跡が鹿沼であり、またの名を「じんだら沼」ともいう。
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デエラボッチ 1916年 東京都 付近の山から離れた小山がある。昔、デエラボッチが背負ってきたが、縄が切れて落ちた。ふじ蔓で縄を繋ごうとしたが見つからず、デエラボッチは悔しがり、この小山にふじが生えないようにした。
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ダイダラボッチ 1992年 茨城県 ダイダラボッチというユーモラスな大男がいた。堤防を作るのを手伝った時にこぼれた土が峰山になった。
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デーラボッチャ 1990年 長野県 デーラボッチャという巨人がおり、東山の神に頼まれて、西山の神が寝ている間に西山の土を東山に移そうとした。しかしあと少しというところで夜が明け、土を落としてしまった。それが室山だという。
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ディラボッチャ 1915年 長野県 東筑摩郡中山村と壽村および松本村との境に立つ中山と弘法山は、2つまとめて法螺貝山と呼ばれている。この山は、ディラボッチャが馬藤(葛蔓)を背負って鉢伏山から来る途中、藤が切れて取落としたものだといわれている。そのため、ディラボッチャは西山行きを見合わせ、里山邊村の方面に迂回して去ったという。鉢伏山登路附近や松本村附近に足跡があり、これを雨池と呼んでいる。
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デーラボッチャ 1990年 長野県 大昔、デーラボッチャという巨人がいた。南安曇郡穂高町牧のあしの沢・塩尻市洗馬のあしの田・松本市城山のあしの窪などはいずれもその足跡だという。室山はデーラボッチャが作り、背負山は背負子の土が落ちたものであり、松本にある中山は草履の土を払ったときにできたものだという。また、梓川村の火打ち岩はデーラボッチャの火打ち用の岩だという。
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ダイダラボウ 1972年 埼玉県 だいだらぼうという巨人がいたという山がある。その巨人が山をてんびんにしてかついでいた時、足がクボの中に入り、山を投げ出してしまった。この山が二子山でクボが芦ヶ久保になったといわれる。
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