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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ジンジャノカギアヅカリ
1949年 福井県
ある家は代々神主をしており、宮の鍵を預かる。ある人物が氏子総代になり、鍵あづかりになりたくて、鍵あづかりの者ことを悪くいい、祭りのときに鍵を持っていった。勝手に堂の扉をあけようとしたが開かなかった。そのとき、神主は座敷で昼寝をしていたのだが、神様の声がして、「サトウ(佐堂、宮のこと)の戸はお前が行かねば開かないぞ」と言われた。不思議に思っていたところ、氏子総代や村人がきてあやまり、再びその家が戸を開けることになった。

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ベンザイテン,ヘビ
1935年
昔、ある弁才天の神官の家にひとりの娘がいた。近所の百姓が多忙の時期には娘の手を借りることもあった。ある時百姓が養蚕のために手が不足したのでその娘を頼みにいくと、神官の家に出産があり手がいるので娘を借りることができなかった。しかし百姓が家に帰るとその娘が来ており、都合がついたという。それから娘は毎日その百姓の手伝いをした。仕事に区切りがついたので、娘を返すため神官の家まで送ると、娘はお参りをさせてくださいと言って神社に入ったきり帰ってこない。神官の家を訪れると娘はちゃんといて、手伝いには行っていないという。そこで百姓と神官が弁才天の前まで行くとその娘そっくりの頭を持った蛇がいた。神官が礼を述べると蛇は姿を消した。
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カイイヤシキ、オオニュウドウ、ヤシキカミ
1956年 宮城県
昔,新坂通台町五番丁南側東角の屋敷を拝領した侍が一人住まいをしていた。ある夜座敷に寝そべっていたところ庭先近くで呼ぶ声が聞こえる。障子の隙間から覗くと軒よりも高いような大入道が立っており,ここは昔から自分の屋敷だから早く立ち退けとわめく。主人が「ここは殿から拝領した我が屋敷じゃ。お前こそ立ち去れ。」と言い返すと,「ここはわしを粗末にしたので住み着いた者はいない。祭の日に神酒や供物をして厚く祀ってくれれば守護してやろう」といって消えてしまった。翌朝調べると屋敷の一隅に梅の老木があり,その下に小祠があった。それが前夜の大入道が屋敷神として棲んでいた祠だったのだろう。当時今泉孫八郎の屋敷であった。
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ジンジャノカギアヅカリ
1949年 福井県
お宮の鍵を預かる家は、肉も食べないし、葬式にもいかない。村人も産や葬儀があるとこの家にはこない。昔、この家の婆さんが長い間わずらい背中が痛くなった。そのため、ムシロばかりに寝ているので柔らかいものの上に寝たいと、村でとった熊の皮をもってきて敷いて寝たら、神様の罰で身体が腫れて死んだ。
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フクノカミ
1986年 福島県
夜更け足音がするので外に出ると坊主がいる。「どこへ行く」と聞くと「貧乏神」と答えるので「貧乏神」と返すと、その家は貧乏になってしまった。その後、また坊主に出会い、今度は家に招き入れ丁重にもてなすと家は裕福になった。その坊主は福の神であった。
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センコノタキノオゼン,ミズガミサマ,ユメマクラ
1987年 長野県
昔,病気の母親と暮らす若者がいた。若者は親孝行で,働き者だったが生活は楽にならない。母親の回復を水神様に願掛けしていたが,よくならない。一度でいいから母親に甘いものを食べさせてやりたいと思っていた。ある夜,夢まくらに水神様が現れて「千古の滝の傍で『お膳を下さい』と三度唱えればお膳が出る。ただし食べ終わったらお膳は元の所に返さなくてはならない」という。若者がお告げの通りにすると,ご馳走の並んだお膳が現れた。母親の病気はだんだんよくなり生活も楽になってきたが,隣人が若者の後をつけ,同じようにお膳を出してそのまま返さなかったので,水神様が怒って,それっきりお膳を出してくれなくなった。
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タヌキ
1992年 奈良県
夜中、お寺に「こんばんは、こんばんは」と言って戸を叩く者がいた。けれども戸を開けると誰もいない。寝間に戻ると、また戸を叩く音がした。このようにして狸に騙されることがしばしばあったという。
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アツタジングウノカジ
2002年 愛知県
熱田神宮の楠の下に乞食が寝ていた。夜中楠から火が出て本殿にも燃え移りそうになった。神主が御神体を持ち出そうとするが鍵が開かない。そこへ神主の父が来て鍵を開けた。父が再来を告げて去ると火が治まった。父は再来せず、自宅へ戻った神主が父に謝辞と何故戻ってこなかったのかを尋ねた。すると父は何も知らぬ、それは末社の神が出てきたのではないかと語った。
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オンナ,ジゾウサマ,キツネ
1938年 長野県
狐を見届けてやろうと田へ行くと、子持ち女が赤子を背負って一軒の家に入った。家のものにその女は狐だというと、家の者は怒って男の首を切った。首を切られた男は菩提寺に行くと地蔵様が「我が乗る花はこれなるぞ」と言う。気付くと寺の菊畑をみんな踏んでいた。
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ヤマノカミ,ウジガミ
1940年 和歌山県
ある人が山の木を大小関係なく切り倒していると、夜中に大風のような音をたてて小屋に山の神が近づいてきた。白髪頭を振り乱して戸を開け、その人を殺そうとしたとき、氏神が来てとりなしをしてくれたので何とか助かった。それが11月7日、山の神の木数えの日だったという。
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バアトイシジゾウ
1956年 宮城県
昔、老夫婦がいた。婆が庭を掃いていると角から豆粒が1つ転がり、馬小屋の側の小穴に入った。婆がもったいないとその穴を掘っていくと、広い野原に出てそこに石地蔵が立っていた。婆が地蔵に豆が転がって来たかと聞くと、地蔵が「豆はそこの俵の中に入ったが、まあ遊んでいけ」というのでしばらく休んでいた。地蔵は「今から面白いことがある。何があっても声を出すな。俺が手を上げて合図したら鶏の鳴く真似をしろ」といったので、婆は俵の中で黙って待っていると、鬼が集ってメクリ(賭け事)をはじめた。鬼が金を出して盛んになってきたとき地蔵が合図し、婆が地蔵の言うとおりにすると鬼はみんな逃げ、婆は鬼の金を地蔵からもらって帰った。隣の慾深婆が火を貰いにきたときその話を聞き、真似をするが、地蔵の合図する前に鳴いたので、鬼にばれて両耳をもがれて帰ってきた。
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カミヅツミ,リュウグウジョウ
2003年 沖縄県
与那覇村の男は龍宮城で歓待を受けたが、家に帰りたいと神に訴えた。神は地上では三十三代の時が過ぎていることを告げたが、男は帰りたがった。すると神は1つの紙包を男に与えた。それを携えていくと向かうところが道になり、故郷に帰れるという。また故郷に居場所がなかったら、紙包を携えて帰ってくればまた戻ってこられるという。神は男に紙包を絶対に開けてはいけないと戒めた。男は紙包を携えて故郷に帰った。
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カッパガミ
1956年 宮城県
農夫が馬の尻にくっついた河童を捕らえるが、向後人や馬に仇をするでないぞと放してやる。その後、農夫の家で振舞に膳椀が足りないと、不足の分だけ前夜軒先に置いてある。振舞が終ったのち元の所に置くと夜中に運び去る。あるとき椀の蓋をなくしてそのまま軒下に置いたら、以後持ってこなくなった。河童が助けられたお礼によその家から持ってきていたので、一つでもなくしては先方に申し訳ないと思ったのだろう。河童はいたずら者ながらも恩も耻も知っているといって、祠を立てて祀ったという。
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テン,オヤカタ
1941年 新潟県
或住職の代に、あまり無用心だからとて戸に錠を取り付けたところ、オヤカタ(貂の王)の機嫌が悪くなって困り早速又取り外したそうで、今もその際の釘痕だけははっきり残っている。
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ヒトツメコゾウ
1962年 山梨県
昔、さかね沢というところの山小屋に太郎助という若い衆が大勢の村の人たちと木こりをして寝泊りしていた。その頃は12月13日には仕事を休んで家に帰ることになっていたが、太郎助だけが残る。夜中に山小屋の外の音で目が覚め、入口を見ると一つ目小僧がじっと太郎助を見ていた。一つ目小僧が「今夜の酒のさかなは何だあ」とどなるが、「お前のまなこ玉だあ」とどなり返すと一つ目小僧は逃げ出した。太郎助は夜が明けると家に帰ったが、それが元で死んでしまった。それから沓沢では鰯をもみやからたちの枝に刺して門口におくようになった。それは小僧がのぞいた時にその目を刺すからだという。
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キツネ
1965年 兵庫県
男が酒を飲んで帰り、墓ぐちの坂道に通りかかったら、座敷で三味線を弾いて酒盛りをしていた。その家から友達が出て来てあがれあがれと誘い、草鞋の紐を解こうとするが、断って帰った。はて、あそこに家があるはずがないと思い振り返ると、家は消えた。「われにあほにせられんぞー」と怒鳴り、家に帰った。この家も狐が化けているのではと用心し、かかと娘の尻に尾がないのを確認して、ようやく家に入った。
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シンメイサマ,クマノシンメイ
1964年 福島県
目が不自由な志賀家のばあさんがしんめい祈祷することで眼病がなおり、身体が丈夫になった。それで御神体を譲り受け、自宅で拝むようになった。ばあさんの死後、神棚にあげておいたが、しんめいは歩くのが好きな神であるから、隣3軒ぐらいは歩かせねばならないといい、信仰したい人が借りに来て、今は北海道のあたりをまわっているという。これを熊の神明といっている。この家へにわとりが入ったら、奥座敷で物音がした。しんめいさまが怒ったのだという。
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タヌキ
1939年 大阪府
ある時、うなされて見た夢に狸が出て、「今あなたの家の倉に居候しているが、ひもじくて仕方がないのでどうにかしてくれ」といった内容の事を告げた。家人が祠を作り、狸を祀って飯を供えたところ、別の人の夢にこの狸が出て、今の境遇について語った。
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アジシマノオオニュウドウ
1956年 宮城県
網地浜地区では,漁があると初物を種ヶ崎の神社に奉献する習慣があった。しかし明治の中頃この部落にいた四郎右衛門という鰹船の船頭はとても吝嗇で,獲ってきた鰹を神前に供えず,申し訳程度に社前の海に投げては後でそれを拾って帰るということをしていた。ある夜遅く,眠っているところを雨戸の外から呼び起こすものがあるので出てみると,入り口に大入道が立っておりいきなり四郎右衛門の手をとって外に引き出そうとした。柱に掴まって抵抗すると,敷居ごとミリミリと壊れかけた。大入道は「行かぬなら馬を連れていくぞ」といって厩舎の方に行き,馬も入道もそれきり姿を消した。
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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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キツネ
1977年 福島県
塩峯峠で、ある若者が女性によって御殿に招かれた。女は山ほどご馳走を出して、「明日来るときはお守りを捨ててきてくれ」と言った。その時若者を呼び止める人がいて、行くなと忠告し、襟首に大きな縫い針をさしてくれた。翌日若者は女のところでお守りを捨てた。すると女は悲鳴を上げた。夜明けに血の跡をたどっていくと、縫い針で口が裂けた女狐が死んでいた。若者を呼び止めた老人はつんぼ神様だった。
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