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検索対象事例

オオスギノセイレイ,ササヤキバシ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。

類似事例(機械学習検索)

オオスギノセイレイ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。
類似事例

オオスギ
1967年 福島県
小針の南に大杉の跡がある。この大杉の枝は朝は西郷にかかり、夕は東南の郷の障りとなっていた。このため上様に訴えこの杉を切ることになった。大勢の人足で切ろうとしたが、切りくずが毎夜大木の根に取り付いた。ある老人が切りくずを燃やせというのでそうしたら切り倒すことができた。その木を福島城の橋にしようと運ぼうとするが、毎夜、来た道を戻ってしまった。二子塚の守子女に木遣り音頭を取らせると木が軽くなり、橋を掛けることができた。この橋は夜になると人の音がするので渡る人はいない。
類似事例

アコヤマツ
1956年 宮城県,山形県
実方の娘の阿古屋姫は千歳山麓に来て庵を結び,父の冥福を祈っていた。秋頃から男が毎夜姫の許に通ってきた。その頃陸前名取川の橋が洪水で流され,占いの結果千歳山の老松を橋にすれば流れないといわれたので,名取の里人はその木を買い取った。しかし松は非常に堅く,ようやく少し伐り込んでも翌日になるとその痕跡すら消えている。伐り屑を焼くと仕事が捗るようになった。松が伐り倒される前夜,姫の許に通ってきた若者が自分の正体は老松の精であると明かした。数日後,松の巨木が運び出されることになったがびくともしない。これを聞いた姫が巨木の背中を撫でて打ち乗ると大木は動き出したが,姫が降りると動かなくなる。柴田郡の古関で姫が懇ろに松を諭したので,その後は無事名取川の辺に着いた。
類似事例

ダイジャ,アマゴイ
1944年 愛媛県
庄屋に一人娘があった。娘は蛇と通じ、大蛇のひいた白糸についていって瀧壺に入ってしまった。娘の親が娘を捜して瀧に入ると瀧の下には青畳が敷いてあり、娘と大蛇がいた。娘は蛇に連れられてここに来たためもう帰ることは出来ないといい證文を書いた。娘は、この證文を雨乞いの県画として瀧壺にかけると雨を降らすと約束した。その年は日照りであったが、瀧壺のまわりで祈願をすると、小さい蛇が降りてきて、雨が降ってきた。庄屋の家は絶えたが、この県画は残っており、神官が保存している。今でもこの瀧壺での祈願は有効的である。しかし、他村の人が行っても、蛇は出てこず鰻が出てきて雨を貰うことはできない。
類似事例

ササヤキバシ
1967年 福島県
長者の娘のもとに通ってきた精霊のいる大杉で作った橋は、夜中に橋を渡る人にささやくという。
類似事例

ロウバニバケタオオガマ
1956年 宮城県
昔,名木沢の谷川の土橋の辺に一軒のあばら屋があった。夜になると行灯のもとで一人の老婆が糸を紡いでおり,魔性のものに違いないという評判であった。鉄砲の名人紋兵衛が,ある夜銃を携えて様子を見に行った。土橋の辺まで行ったが,振り向いてニタッと笑った老婆の顔が物凄い。紋兵衛は老婆の胸元目掛けて銃を撃ち放したが,行灯の光が消えただけで何の手応えもなく,真っ暗になったので逃げ帰ってきた。翌晩も行ってみると,やはり同じように老婆が糸を紡いでいた。故老に相談したところ,それは魔性のものに違いなく,行灯の灯を狙えば射止めることができると教えてくれた。そこで三日目の夜,老婆が振り向いた瞬間に行灯の光を狙って撃つと,ギャッという異様な叫びとガラガラという音がして辺りが真っ暗闇になった。翌朝行ってみると,それは三尺余の醜い大蝦蟇であった。
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アグリコイナリジンジャ
1949年 秋田県
杉宮にいつからか阿久利という女性がいた。村中仕事手伝いに来るが、同じ家には二日は行かず巡回した。そうして3、4年がたったが半年ほど姿を消した。夢に阿久利が立ち、自分は今度位があがったが、官金が不足しているため、郷中協議して10両貸して貰いたい、そしてその金は杉宮大明神の社殿に置いてくれといった。同じ夢を4、5夜続けてみたので、その金を明神に納めた。その後、再び阿久利が夢に立ち、皆のおかげで直官したが、家がないため郷中を永く守るため小堂を建てて貰いたい、自分は田の中に杉を生じさせる奇蹟を現すからそこに建ててほしいといった。翌朝そこにいくと、大杉が立っていたので、一社を建てて正一位阿久利稲荷大明社と崇めた。
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マツノキノセイ,アコヤノマツ
1967年 福島県
信夫の郡司藤原豊光に阿古耶姫という娘がいた。ある晩、緑の衣に黒の袴をはいた少年が娘の枕元で「われは十八公の長で千歳山に住んでいるが、近いうちに斧の災を受ける。ついてはそなたの引導に預かりたい」と訴え消えた。その後この国の名取り橋の修理をするため千歳山の老松の大木が切られたが動かない。夢の少年が松の木の精だと気づいた阿古耶姫が声をかけると、軽々動いた。松の苗を切り倒したあとに植えて弔ったが、それが阿古耶の松といわれるようになったという。
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ヘビノコヲウム
1956年 宮城県
昔,この地方に母娘が二人で住んでいた。毎晩のように娘のもとに美男の若衆が忍んで来るが,何処の誰かわからない。どうも化生のものらしい。母の言葉に従ってこっそり長い糸を針で袴の裾に縫い付け,翌朝二人で糸を辿っていった。糸は裏山の大木の所まで続いており,根元の穴から呻き声と「俺が死んでも,子供を千疋つくったから未練はない」という言葉が聞こえた。驚いた母娘が和尚の教えに従い,菖蒲と蓬の湯を沸かして娘を入浴させると,娘の体から千疋の子蛇が出てきた。若衆は蛇の正体を現して死んでいたという。
類似事例

スギノセイレイ
1967年 福島県
西光寺に大きな牛をも隠すほどの3本の大杉があった。文化2年頃、この寺の坊さんがこの木を切らせることにした。その前日の暮れ方に見たこともない怪しげな童が3人、手を取り合って泣きながら走り去ったのを見たという人がいた。また、乞食夫婦がこの木の下に宿を取ったところ、夜中に冷たい風で目が覚めた。すると裃を着けた立派な若者が左右に美しい女の人を連れて寂しそうに立っていた。何を聞いても答えないので恐ろしくなり、着物を被って突っ伏して、暫くして顔を上げたら消えていた。夜が明け、村一番の早起きにこの話をすると、千年以上の古木を切ろうとしているから杉の精霊が悲しんでいるのだろうと、他の村人たちと金を集めて木を買い取り、切るのを中止させた。木に斧を入れ始めていた樵が言うには、老木は切ると必ず水を発するものだが、この木は一度斧をあてると水が2メートルも噴出したといって気を失った。そしてこの木を切ることに賛同した6人も次々に死んだ。切られた日が4月4日だったので、この後4月4日にお祭りをしている。
類似事例

スクイヲモトメルオンナ,クビ
1956年 宮城県
ある冬の夕方、1人の若侍が、荒町から真福寺(愛宕橋際)へ下る細小路の只木惣助の門前で美しい女に出会い、「自分はこの近くに住む囲い女(妾)です。今夜切られるので助けてください」と頼まれ、約束はしたが、そのまま河畔の自宅に帰った。床について真夜中、川の方から「助けて!」という悲鳴が聞こえ、間もなく若侍の家の路地に女の首が飛んできて、恨み言をはいたという。
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ワカモノ,エノキ
1967年 福島県
蔵持に里という美しい少女(未亡人という説もあり)がいて、たそがれに軒端で歌っていた。その声に寄せられて毎夜同じ時刻に若者がたずねてきた。そのころ、村人が蔵持三島八幡境内にあるえのき(神白村ぼんてん山の大けやきという説も)を切り倒してお里の家の近くに橋をかける話をまとめた。毎夜お里を訪ねてきた若者は、悲しそうに今夜限りで会えないといって帰った。村人たちがその木を切ると、血が流れ出た。ようやく切り倒して運ぼうとしても動かない。お里を呼んで歌を歌わせ、音頭をとらせたら、木は自分から動き出した。その夜から若者の姿はみられなくなった。この橋を里也橋という。
類似事例

ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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マツ,カイブツ
1922年 岩手県
上閉伊郡栗橋村字古里に大きな松の木があり、日光を遮っていた。耕作物の邪魔になるので伐り倒そうとしたが、次の日になると元に戻っていて伐ることができなかった。ある日夢に一人の翁が現れ、木の伐屑を毎夕方に焼き棄てれば成就すると告げた。言うとおりにすると木は倒れ、それを用いて船を造った。しかし、不思議なことに船は一夜のうちに姿を消してしまった。あるとき、漁夫が橋野川の川上で得体の知れないものを見つけ、大权で突き刺した。一度帰り、次の日再び現場に行くと何もいなかった。探している内に漁夫は狂い、あたりは風雨となり大洪水が起こった。一夜たつと河口に突如として奇岩が現れた。人々は、漁夫の突き刺した怪物の化身だと言い囃した。
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シリョウノタタリ
1956年 宮城県
昔,仙台本柳町の某という束巻師の一家には三人の娘がいたが,上の二人が同じような死に方をした。通夜の夜更けに呻き声が聞こえるので覗くと,娘の死顔が赤黒い鬼のようになって睨んでいる。その変化は,「我はこの家の7代前の先祖に殺された山伏の霊である。公金を携えて上方に旅した時先祖の男と道連れになったが,男は山中で私を殺して大金を奪った。先祖の男はその大金を元手に分限者となったが一片の供養の心もない。無念であったが,代々運勢が盛んで祟る事もできなかった。しかしようやく恨みを晴らすべき時がきた。偽りと思うなら箪笥の奥に自分の刺した刀がある」と申し述べた上,残った娘の命を助けたければ昔自分が望んでいた位官相応の葬列を出せと言う。夫婦が承諾すると面相は元に戻った。さて夫婦は一旦承諾したものの仰々しい葬礼を出すことができない。すると,また山伏の霊が末娘に憑いて現れ,こんな粗略な仕方では駄目だと言う。夫婦は今度こそ約束通りの葬儀を行ったが,結局末娘は数日後に憔悴して死んだ。使用人や婿養子も気味悪がって去り,家の中は荒れ果てて夫婦は行方が知れなくなった。なお只野真葛の附言として,家の下婢の実家でこの話を聞き,当時死霊に憑かれた娘の泣き狂う声が近所にまで聞こえたというので書き留めた旨を記す。
類似事例

イシガントウ
2001年 中国 山東省
ある日泰山に住む石敢當という若者が薪を売るために町に出かけると、毎晩王の邸宅に妖怪が現れて娘を苦しめており、退治した者には財産の半分と娘を礼に与えるという告示を見かけた。そこで石敢當は宝剣を手に取り「泰山の石敢當これにあり」と叫んで妖怪を追い払い、娘と結婚した。しかし、妖怪は別の村に現れて悪事を働くようになった。村人たちは石敢當に助けを求めたが、そのたびに妖怪はまた別の村に逃げていき捕まえることができなかった。そこで石敢當の妻は、妖怪を追い払うために石敢當の名を書いた石碑を村の入り口や壁の傍に建てるよう提案し、すぐに村々に知らせた。そのためどの村にも「泰山石敢當」の石碑がたっているという。
類似事例

カッパノヒデンセッコツヤク
1956年 岩手県
旧仙台領江刺郡の北上川畔二子町城下に住んでいた小田島大炊之助という侍の家で,夜厠に女中衆が入ると怪物が出て悪戯をする。主人が夜上厠してみても何事も起こらないので,女装して屈んでいるとやがて冷やりとしたこわばったものが触ってくる。大炊之助がそれを捉え,隠し持った短刀で斬り離すと怪物は叫び声を上げて逃げ去った。よく見るとそれは水掻きのある痩せた腕であった。それから三日目の夜,夢現の中で化生の者が大炊之助の枕上に現れた。跳ね起きて脇差を構えると,化生の者は平伏して「この河の鎧が渕に棲む河童だが,向後悪戯はせぬゆえ腕を返して賜れ」という。切り離した腕を返しても仕様があるまいというと,それには秘薬があるからというので,秘薬の処方と引き換えに腕を返した。河童は妙薬を取り出し,見事に腕を継ぎ合わせてみせた後,その処方を伝授し,帰っていった。手負いの者の治療に大変もてはやされたが,代替わりの後はさほどでもなくなった。
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オオウワバミ
1976年 茨城県
常陸国霞ヶ浦のある農夫の女房が、昼弁当をしたため、耕作の合間に一休みしようと、畑脇の大松に寄りかかり寝ていると、この松に棲んでいた大蝮蛇が女を呑もうとした。周りの人が見つけて、蝮蛇が呑みかかろうとするときに、女の頭から火炎が燃え立った。女が目を覚ましたので、集まっていた人たちが女を引き連れ退かせた。女に、何かありがたい物を身に付けているのかと尋ねたら、特にはないが、髪が乱れていたので、反故紙のようなもので元結の代わりにしているといった。その紙を開いて見たところ、それは剣先御祓いの紙で、中に大神宮と書かれていた。
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キョボクノセイ,マショウ
1935年 大分県
孝徳天皇の白雉年間に草壁春里という長者がいた。広大な邸宅でこの世の浄土のような生活をしていた。長者は権勢に任せて串川の上流にある千条の枝を持つ栢の霊木を切り倒した。その巨木の霊に祟られたのか、一家ことごとく魔性のためとられていった。筑後の国草野の庄に草野太郎衛門という弓の名人がいて、狩の道すがら残された長者の末娘、玉姫に会い、事の仔細を聞いて妖怪退治の決心をした。魔性に1矢を放つと雷鳴とともに空はかき曇り大豪雨になって小川は忽ち氾濫した。
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セリザワノサラヤシキ
1956年 宮城県
昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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