タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祟り・障りがあるときには祈とう師を頼んで願うという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祟り・障りがあるときには祈とう師を頼んで願うという。
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(ゾクシン),タタリ,ショウリョウ 1935年 滋賀県 長期の病気は、何かの祟りとか、人の精霊のせいだとか言われた。人の精霊の場合は、憑いている人が祈祷の満願の日に病人の家に用もないのにやってくるものだという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師のことを御嶽様と呼ぶ。病気や障り・祟りがあるときに願ってもらうという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 病気や祟り・障りの時、あるいは地鎮祭など家の普請の時には、祈とう師を頼んで願うという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師に頼んで、祟り・障りの時には願ってもらったという。
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オダイシサン 1975年 和歌山県 「高瀬のお大師様」が弘法大師をわが身に乗り移らせてお伺いを立てる。盆上に紙片を置き、祟り神の名を列挙しながら細箸状のもので紙片をつつくと、紙片が着いて落ちなくなる。これが大師様のお示しで、祟り神がわかると、その神に酒をささげることで病気が治る。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師を口よせばばと呼ぶ。祟り・障りがあるときに願うという。
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シリョウサマ 1966年 長崎県 病人があるとか、不幸が続いたようなとき、ヤンボシ(山伏)やモノシリ(枯シバトリ)の考えを聞くと、それは死霊の祟りということになって、祀りはじめる。
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シシャノレイ,シリョウ,(ツキモノ) 1989年 長野県 死者の霊が人に憑くことがある。いつまでも病気が治らなかったり、薬が効かずに長引いたりすると死者の霊が憑いたといった。離すときは、祈とうしてもらうという。
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キツネモチ,イタチ 1922年 狐持は実際に狐を持っていると信じられており、狐持の家の人間は小さい鼠になって他の家を伺うという。そのためあれは何家の狐かと想像し、鼠を大変恐れる。何か病気にかかるとすぐに狐持に呪われたのではないかと心配し、病人自身もそれを思い病床で怪しい様子をする。これを生霊の祟りともいう。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師を山の神と呼ぶ。祟り・障りがあるときに願うという。
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キツネ,タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師のことを御嶽様と呼ぶ。病気や障り・祟りがあるときに願う、あるいはキツネを離すときに願うという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師のことを御嶽行者と呼び、祟り・障りがあるときには願ってもらう。ひのきで火鉢に火を焚き、その火を幣束で叩きながら唱え言をしたという。法華信者は大太鼓を叩きながら法華経を唱え、お経の本で病人の体をさすりながら、経を唱えたという。
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オツゲ,(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師を行者あるいは御嶽様と呼ぶ。失せ物・病気・商売繁盛や祟り・障りのあるときに願う。神前でお祈りをして、神のお告げを話したり、治療をしたりした。
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イキリョウ,キツネツキ 1955年 ある若者の父親が病気になったので、拝んでもらったところ、部落の近所のある人物の生霊が憑いていたが、その恨みは人違いであることを説明すると、生霊は去り、父親の病気も良くなったという。
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タタリ,(ゾクシン),(キトウシ) 1988年 長野県 祈とう師を行者あるいはオミコサンといい、祟り・障りの時に願うという。
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ユウレイ 1989年 長野県 この世に恨みがあるときには、幽霊になって出てくるという。あるいは、薬師様の周囲を七回半回ると幽霊が出るという。両手を前に上げてたらし、足はなく髪はオッサワラにしていて、墓に出るという。
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ヘビ 1976年 三重県 家族に不幸が続いたので日蓮宗の人に見てもらったら、先祖が伐った三島山の松に棲んでいた蛇が祟っているといわれ、蛇を祀ることにした。
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タタリ 1977年 秋田県 体の具合が悪くて医者に見てもらってもよくならないとき、神のたたりといわれることがある。
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