カミサマ,ダイコクサマ,イズモサン 1988年 岩手県 日露戦争が終わった翌年の明治39年に青森県上北郡の中村常太郎という人が出雲大社へ参りに行く途中で道に迷い、江刺家の森越仁太郎氏の父の春松氏の家へやってきた。貧しかった春松氏は借りてきた金を渡して中村氏を送り出した。後に出雲から帰ってきた中村氏はお礼にお札を置いていったので、家の中に祀ったが、ある晩、夢枕に神様(大黒様)が現れ、「ここは煙いので、小さなお宮でもよいから家の外に建ててそこに祀ってほしい」という。お宮を建てた後、一生懸命働くうちに貯えができてきた。このお宮は「出雲さん」と呼ばれている。
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イナリダイミョウジン 1979年 岩手県 釜石市の武藤某の祖先は遠野を治めた南部侯の家臣で、郷を火難から守る為に京都伏見稲荷を勧請した。後に稲荷社は東小学校内となり、戦後にマッカーサー指令で撤去された。しかし残された礎石は撤去を試みたが動かない。その頃遥か離れた武藤某の夢枕に伏見稲荷が現れ、故地に連れ帰るよう懇願した。某は遠野を訪れ撤去された稲荷社の所在を訪ねあて、御室を自ら故地に移した。その後稲荷大明神は夢枕に現れる事も無く、礎石も容易に移動できたという。5、6年前の話。
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バンバアイシ 1960年 神奈川県 昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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イシガミサン 1978年 広島県 神田地区の柳右衛門が天から降ってきた大石を祀ろうと思って木負子を持っていくと石は軽々とそれに乗移った。そして峠まで来ると急に重くなったのでそこに宮を建てて手力男命と名づけて祀った。この石神さんは毎年大きくなっていく。
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テンセイ,レイセキ 1976年 東京都 隣家のものが珍しい石を得て、宮を造り勧請した。来歴を聞くと、35年前の文政7年に川掛役人が遠州天竜川御用のときに丸い石を見つけたので持って来たと言う。当時は差し渡し6寸5分であったのが、差し渡し1尺4寸8分、回り4尺1寸8分に成長した。ある人がいうには、これは生きた石であり、竜石であるという。
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イシドメミョウジン 1956年 宮城県 塩釜神社の東となりにある延喜式内社志波彦神社の祭神。白馬に乗り冠川に降臨したとき、馬が河底の石に足を滑らせ志波彦神の体が傾いたため、冠を川に落とした。神は怒って河底の石を全てさらって岸に積み重ねた。奥州街道の七北田橋のやや下流左岸に杉木立のある社のところがその跡で、石留明神という。志波彦神が降ったので神降川というが、冠を落としたので冠川ともいった。元は冠川明神といって、岩切八坂神社の地に志波彦神社があった。
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オウゴンブツ 1973年 和歌山県 文政8年の春に、熊野本宮社に堤を築こうとして、境内にある大黒島という岩山から採石していた。作業者が休憩したら、巌上の土砂が崩れるが、作業中には崩れない。また多くの烏が集まってきた。心弱い人は逃げだしたが、強い人が作業を続けると、土中から甕が出てきた。その中には黄金の阿弥陀仏が入っていた。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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タニカゼノウシイシ 1956年 宮城県 仁王門のうしろにある牛形の石。霞目村の百姓弥右衛門の女房がみごもったとき、日本一の力持ちをさずかるように仁王に丑ノ刻参りをした。満願の日に恐ろしい牛が仁王の前に寝ていてたじろいだが、思い切って背中を踏み、お参りを果たす。生まれた子、与四郎が後の大横綱谷風で、仁王が石を牛に見せて谷風の母を試したのだという。
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イシ 1967年 福島県 昔ある人が出羽三山巡りをした際、大変綺麗な石があったので持ち帰り神棚に上げておいた。はじめはダチョウの卵くらいの大きさで重くもなかったが、日に日に大きくなったので驚いて氏神社に祀り御飯などを上げていた。その後も大きくなり続けたが、持ち主が死んだら石も死んだのか大きくならなくなった。
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セイレイ,ミョウケン 1967年 福島県 日本武尊の皇子東日本彦尊の子岩瀬彦がこの地に住んでいた頃、石根山の松の元に星霊が天降り毎夜光を放っていた。岩瀬彦は不思議に思い55夜の間丑三つに毎夜参詣してみたら、まことに北辰尊星のみかげであった。そこで帝に奏上し、妙見神社としてこの地の鎮守となした。
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オニ 1932年 長野県 蘆田村の釜石の由来。昔鬼が住んだと言い伝えられており、同村の笠井氏一族はその後胤としてそこに金山彦命を祀って氏神とし、節分の豆まきはしない。
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モリサマ 1975年 山口県 内山家の裏山の中腹にある森さまは、きちんと掃除をしてきれいにしておくと、お金に困らないといわれていた。これは家の鎮守様だという。森さまの近くにある松の木を切ったら、切った人が怪我をしたという。
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サカシマガワジゾウソン 1997年 愛知県 昔、北奥田の老婆に「川の水が逆さまに流れているところに地蔵堂を造れば家が栄える」という夢のお告げがあった。お告げの通り、逆さまに川の水が流れているところがあったので、そこにお地蔵さんをつくって祭った。川の水は元に戻ったが、老婆の家はお告げ通り栄えたという。また、逆しま川の水はイボを取るのに効果があるという。
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ホクトシン,ユメ,オツゲ 1975年 愛知県 永禄5年3月4日夜、宝積院開基の春岳和尚と村人久兵衛が寺の裏山に明星2星があらわれて「われ北斗神なり、ここに一軒の寺を建立してくれ」という夢のお告げをうけた。揃って裏山へ登ってみると白紙のお札が降っていた。それを寺へ安置して高野御前の社を建立した。96年後明暦4年春にまた住職が夢のお告げを受け、それに従い種池を掃除して改めみた処、土中から蛭子様と大黒様の姿石が現れたので、高野御前の社へ納めた。
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イズモノイシ 1978年 広島県 孝行息子が毎年母を連れて出雲に参っていた。途中必ず久井町の稲荷にも詣ることにしていた。ある年出雲の石を久井の稲荷様に置いて家に帰ったところ、翌年その石は大きくなていた。
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リュウジン 1973年 香川県 紫雲出山には竜神が住んでいて、お宮がある。ここの竜神さんが積の方を向いているので、積には雷が落ちないと言われている。
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フナイシ 1974年 新潟県 越後国魚沼郡の市の越村に船山という山がある。この山は文政12年の地震で船山が崩れて、そこから長さ1丈ほど幅4尺ほどの船石が出現した。自然石なのに船の形をしており、石工の手による物ではないという。神子の口寄せによって同村の鎮守の社頭にもってきたという。
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ゴシンタク,サトミヤ 1931年 長野県 里宮は鎌倉時代からあったが、荒れてしまっていた。延宝か天和のころに冠者殿宮を造営しようとした時、山から切った木材を運ぼうとしても動かなかった。里宮の祟りだと思い伺いをたてると「我が宮を建ててから彼の宮を建てよ。神は逆礼を受けない」という御神託があった。その後、旱魃のときに里宮に願をかけると、5月27日の午の刻に雨を降らすというご神託があり、その後雨が降った。
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フドウミョウオウ,ヤマトタケル 1984年 山梨県 Aさんが18・9歳のころ、天気のよい日に今日桑を切らないと雨が降ると言った。誰も信じなかったがそれが当たり、そんなことが2・3回続いた。そこで屋敷神の不動明王でオウカガイをするようになり、評判になった。そのうち、ネギサマであるBさんが日本武尊の石祠を寄進してくれたので、以降はそれで石占をたてている。戦争中は出征中のAさんに代わって奥さんがかわりにやり、石の上がり具合で良し悪しを決めた。
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