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検索対象事例

イシドメミョウジン
1956年 宮城県
塩釜神社の東となりにある延喜式内社志波彦神社の祭神。白馬に乗り冠川に降臨したとき、馬が河底の石に足を滑らせ志波彦神の体が傾いたため、冠を川に落とした。神は怒って河底の石を全てさらって岸に積み重ねた。奥州街道の七北田橋のやや下流左岸に杉木立のある社のところがその跡で、石留明神という。志波彦神が降ったので神降川というが、冠を落としたので冠川ともいった。元は冠川明神といって、岩切八坂神社の地に志波彦神社があった。

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シオガマジンジャ
1956年 宮城県
塩釜は左宮の武甕槌神と右宮の経津主神、別宮の塩土翁神の三神が初めて草鞋を脱いだ場所。二神は南に帰って、武甕槌神は利根川の左岸常陸の鹿島に、経津主神は右岸の下総の香取に定住。塩土翁神のみはこの地に留まり、潮を煮て塩をとることを教えた。昔から、祭神は童形に化身して、大火の時に消火を手伝ったり、政宗が一時船着きを蒲生に移して塩釜が寂びれたときに村人を励ましたりした。また祭りの神輿に子供が供をして神意を村人に伝える「ざっとナ」という行事もあった。
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マハナシジマ
1956年 宮城県
塩釜の祭神である経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二神が、白馬に乗り、天降った島。塩釜神社の神馬が年老いるとこの島に放し飼いにした。
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オカマシャ
1956年 宮城県
塩土翁神が塩を焼いたという四つの神釜を神体とする。一口は径四尺、三口は四尺八寸の鉄釜で竜神が献じたといいつたえ、今そこを釜渕という。毎年7月10日汐汲み神事を行い、海水を釜渕から汲んで神釜の水を替える。釜は初め七口ないし十五口あったとも。のち四方に散在し、二口は野田、一口は釜渕、四口は加美郡色麻村の四釜、二口は肝沢郡水沢の塩釜、一口は黒川郡富谷町志戸田、一口は仙台市石名坂円福寺にあるという。汐を駄送したとき、和加佐彦命が童形に化し、紫の腹かけを着けて牛を牽いた。牛はのちに石と化して牛石となり、藤のムチから根を生じたという。子供に紫色の腹かけを着せると丈夫に育つといわれる。
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アラハバキミョウジン
1956年 宮城県
旧塩釜街道の奏社宮の東、街道から南に入る。塩土明神が製塩を教えたとき、燃料の釜木を伐りだしに来たところと言い伝え、ヤブのため茨で神の両脛が傷だらけとなったので社名としたという。脚気の病に利益があるという信仰があって、願をかけるときに木綿や藁の脚袢、ハンバキを奉納し、2つの脛を丸彫りにして一枚板にとりつけた珍しい奉納物もある。また安産の信仰もあって木彫りの男根や赤い切れで縫いぐるみにした女陰も納めてある。
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〔カマシズミイケ〕
1956年 宮城県
昔、塩土翁神が海水を煮た12の釜のうち1つが飛んできて沈んだという、式内社行神社の南ふもとの小池。。4つは色麻村の式内社伊達神社の境内に飛んだ。これらを四釜という。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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ダイジャ
1984年 新潟県
度津の祭神五十猛命が、真浦に御着船なさって、山道をたどって池の原へ来て見ると折からの大雨で水が溢れて渡ることができずに困っておいでになると、そこへ忽然と大蛇が現れて両岸をつなぐ橋になってくれて渡ることができ、それより白岩尾に下って犬落に至り、さらに羽茂川に沿って下られ、飯岡に至って一ノ宮の祭神となられた。
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リュウトウカンノン,ゴシンスイ
1976年 愛知県
奥田字日沢の地、1アール程の林に囲まれた静かな田んぼのほとりに粗末な社と小屋があってのぼりが多くたっている。その小屋に竜頭観音の額と由来をしるしたものがある。神代国造りの時、美津波能女之命が竜に乗って天より下り少彦名命の病気を治した。その場所に水が湧き、後に病で苦しむ人皇20代允恭天にもその御神水は効果があり病気が全快された。今も万病に効くが特に婦人病によいとされ水を瓶につめて持ち帰る信者が多い。
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イナリミョウジンノケシン
1967年 福島県
尼子橋は雨が降ると水があふれ通行できず、人々は難渋していた。岩城則道の妻徳尼はこれを見て心を痛めていたが、ある時、尼の庵の前で白髪の老人が嘆息していたので庵に招きいれた。話をすると老人は架橋の意思があるというので、援助を約束した。老人は感激し、30日ばかりで橋を完成させた。渡り初めも済み、老人は再びお目にかかる事は無いと立ち去り、薬王寺台辺りで見る間に姿が消えた。不思議に思い老人がいなくなった辺りを探させると、穴があり、式に供えた餅があった。稲荷明神の化身かとこれをあつく祀り、尼子稲荷明神と呼んで橋の守護神とした。
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トウバンサン
1951年 広島県
石橋の渡り口に石があり、牛馬が通りかかると必ずつまずいて川に転落死してしまう。何かが宿っているに違いないというので山に運び、山の神様とした。だから山の神は牛馬の神でもあり、トウバンサンと称している。
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ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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〔カマシズミイケ〕
1956年 宮城県
塩釜の神が釜を運ぶ途中、円福寺の庭にあった池に、釜の1つを落としていったという。
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ハクバ,アラウマ,シンメ
1980年 山形県
岩野村登山口の獄山には、古くから山神さまがいて信仰されていた。天正年間、獄山の神がふとしたことから怒り出し、山崩れを起こして土砂を流し、村を埋め尽くした。そして、白馬が現れ、天に飛翔したという。
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ヤシャガミノタタリ
1986年 山梨県
芦安の夜叉神峠には昔、夜叉神という悪い神がおり、その神は体が大きく足が長く、村人を苦しめていた。ある夏に大雨が幾日もつづいて芦倉山が崩れみでい川をせき止めたため、谷が峠の麓まで湖のようになり、ついには山崩れで濁水が流下し、甲府盆地に大被害をもたらした。村人達はこれは夜叉神のたたりであると恐れ、その霊をおさめるために御勅使川の谷を一望できる峠の上に石の祠を造って手厚く祀ったため、夜叉神のたたりもなくなり、村は平和となり栄えたという。
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ミョウジンサマ
1992年 愛知県
昭和47年の御遷座祭で、夜中、明神様へ向かっている最中にものすごい土砂降りになった。神主の祝詞だけが響く中、突然目の前が明るくなって金色の光が明神池の真上を通って東へ一直線に向かっていった。神主は後に「あの光は明神様(烏蛇命神)が常陸国の手古津姫命神のところに向かったものだ」と語った。
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ハナブシジンジャ
1956年 宮城県
式内社。祭神の岐神は、塩釜の三神を案内して海上から花渕崎に上陸した。神名は岐神の顔から名づけたものであり、村人はそれを禁忌して村名は花渕とした。
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ヂコウジン
1983年 岡山県
地荒神は湯原町本庄のある株内の荒神で、竹藪の端に杭を打ち並べ、忌垣をめぐらせて祀っている。その呼称は、地面に祀るところからきたものらしい。伝承によれば、そこには、先祖がその地に土着する際に、背負ってきた石を土中に埋めてあるのだという。
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〔カシロザキ〕,カシロヲ,マジン
1956年 宮城県
塩釜明神が陸奥に降臨した際、香背男(かしろを)という魔神を桂島に追い、森と白崎山の間の海岸に二度くだり、魔神をトヤケ山で討ちとった。ここを鬼ヶ浜、死体を埋めた所を香背崎という。
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シオミズ
1929年 広島県
小方村の山裏に、地切神社という小社がある。その社の上に苦の坂というのがあり、昔は唯一の国道で登るのになかなか困難な坂であった。嚴島の女神が機をかついで登るのにあまりにも苦しくなって、機を坂から投げ捨てた。捨てた辺りは三尺ぐらいの深さになり柵をめぐらし、今でも十七夜の満潮時には潮水がわく。
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〔フネシズミイケ〕
1956年 宮城県
水戸部の浜に戸倉明神が上陸したとき、船が沈み、船も碇も石になったという。
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