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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ヒャッカイサイ
1981年
百怪祭は陰陽道の祭祀の1つで、怪異の際に行なわれるものである。それは平安末期より鎌倉・室町期を通じて宮廷貴族や上級武家の間で行なわれていることが文献から知られる。対象は怪異現象全般に亘っている。

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カイイバライ
1981年
禊祓儀礼中で、怪異の際の祓には陰陽道独自の祓としての性格が認められるので怪異祓とよぶ。その実例を『春日社記録』などの資料から列挙する。7例あるが、それらはいずれも動物の怪異の際に陰陽師が祓を行なった例である。9世紀に陰陽道の独修するものとなったと考えられる。
類似事例

シンジノウ
2003年 福井県
「寛正から文明9年まで、天下に妖怪・兵革・回禄のやむ年がなく、所々で神楽法楽があり、此処にも赤淵明神、春日の広前で神事能を行った」というように、凶事がおこると神事能を奉納していたという。
類似事例

オンリョウ
1975年 高知県
一条房家の時代の平田備中守越智、安盛父子は悪代官で、苦しめられた百姓たちは父子を倒した。それ以降大洪水が起きたり、下手人の家が屋鳴りをしたり、白煙が上がったり、断末魔のうめき声がするなどの怪異が起きた。以来毎年盛大に祭りをするようになった。
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ツキモノ
1971年 広島県
神道祈祷の一つに「弓伏」というものがある。これは、いわゆる憑きものの場合に多く行われた。弓の弦を打ち鳴らして降神、降霊を祈ったり、また弦打ち(鳴弦)をすることによって悪魔退散の行事としたものである。
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キツネツカヒ
1936年
陰陽師その他の述者においては、式神の使役はそれがなすことのうちの1つであったが、狐使いにおいては霊狐を使役することがそのなすことの全てである。全国的に流布した飯綱法、愛宕法、茶吉尼法などの霊狐を使役する妖術は、社会生活上の障害となって随分悪風を残したと思われる。例えば、室町時代の管領・細川政元は、飯綱法や愛宕法を習得した狐使いであったといわれている。
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(モノノケ)
1978年
先帝遺誡に、世間では物怪があるたびに霊が祟りをなしているとするが、これははなはだ謂れのないことである、とある。
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〔エキオニ〕,イエオニ
1974年
宮内の疫鬼を追い出して帰ってこないようにする陰陽寮式追儺の祭文に見える神事について。
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アカオニ,アオオニ
1935年 京都府
太秦の広隆寺では10月12日の夜に牛祭という珍祭が行われ、当日紙製の仮面5枚1組が出される。摩多罹神、青鬼2、赤鬼2の組み合わせである。この仮面は門戸に吊るされ厄病余けの呪禁とされる。
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カイイ
1976年
僧や巫者で怪異をなす者は、その法力によりなすのではなく術によってなすものである。術とは狐穴に犀角を置けば狐が帰ってこなくなるなどといったもので、太平御覧に様々な例が記載されている。
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トオルノダイジンノレイ
1933年 京都府
幽霊の例の中心は、何といっても人である。最も古くは『日本霊異記』に見えるが、その姿は髑髏であったという。しかし、平安時代からは生前の姿で現れるようになり、例えば、宇多院が河原院へ行幸した時、昔の主である源融公が衣冠の姿で現れたということが文献に記されている。
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コウシンコウ,サンシ
1977年 神奈川県
庚申講とは、庚申に当たる日に眠らずに夜を明かす習俗である。この夜に、人の体内に住む三尸という虫が天にのぼって人々の罪を天帝に告げてしまうというので、それらが体内から出て行ってしまわないよう、夜明かしをするのだという。
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ウシオニ,ウシノヨウカイ
1973年 愛媛県
昔、疫病が流行したため、疫神退散を願って牛鬼をつくり、厄払いをした。また、牛のよう会が出て農作物に被害を蒙った。そのため怨霊を慰めるため牛鬼をつくり、祭事に奉仕し、被害から免れた。
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キフネノカミ,タタリ,サクゴシ
1983年 京都府
後奈良院の御世、京中に咳疫が流行し、子供が多く死んだ。卜者によると、貴船の神の祟りだという。これによって弘治2年9月2日にこの神を祭り、時疫を退けさせた。今でも洛中の子供が、小神輿といって祭るのはこの遺風だという。
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ユウレイ
1979年
世間では、鬼霊を幽霊とよんでいる。これは文選に収録されている、謝恵運の祭文に書かれている。
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ジシン
1992年 宮崎県
地神の祭りには地神盲僧が家々を廻って「地神経」をあげて祓いをする。地神をおろそかにすると激しい祟りがある。
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ジゾウサマ
1941年 福島県
神事の日の遊びとして、13・4歳から二十歳くらいまでの女性が「地蔵様を憑ける」遊びをした。真ん中に蓙か筵を敷いて、任意の1人を座らせ、他の者はその周囲を内側を向いて右回りに廻りながら「南無地蔵大菩薩、ついておこれえ地蔵様」と唱える。地蔵様が憑くと様々な質問をした。質問がなくなると皆で踊った。そして丁重に地蔵様に帰ってもらった。帰らないときは、その地蔵様が祭ってある場所に本人を連れて行ってよく拝んで帰ってもらったという。
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ニジュウサンヤサマ,ツキマチシンコウ,ニジュウサンヤコウ,ニジュウサンヤトッコウ
2001年 青森県
二十三夜様は月待信仰のひとつであり、旧暦の1月、5月、9月の23日の夜に月の出具合で世の中(豊凶)を占う。ムラによっては、女性だけ行う場合と男性だけで行う場合、また男女とも参加する場合とがあり、地域によって異なる。占いの判断のし方は地域によって異なるが、目印となる付近の山の位置や樹木などの位置を定めて、その方角や出方で占った。
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(キトウシ)
1989年 長野県
祈とう師は、地祭りの時・方角を願うときや祟りごとがあったときに願うという。祈とうしてお祓いをしてくれる。
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ゾクシン
1975年
春女(しゅんじょ)、神霞(しんか)、賊吏(ぞくり)、夜庭(やてい)、斂女(れんじょ)、飛游(ひゆう)、不穴(ふけつ)、遊光(ゆうこう)、懐珠(かいしゅ)という鬼に関する俗信について。
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ダイジャ
1933年 東京都
1月24日に行う行事にまつわる蛇退治の伝説がある。昔、事代主命が蛇退治をした時、御子神ならびに御后神などが飛行して三宅島の頂上に集まって謀をしたことを祭るのだという。
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