イセオドリ 1973年 寛永元年の2月上旬から、諸国で伊勢踊が大流行し、泊舟伝馬人夫と号する神を、伊勢太神宮に送ってきた。吉田家に下問すると、鎮座以後、祭礼を怠っていないに、伊勢内宮・外宮の神が飛んでいくはずがない、これは諸民の児戯だ、と答えがあった。将軍家でなお詮議をし、以前に伊勢踊が流行った後に、大坂で兵乱が起き、徳川家康が死んでいるので、これは不吉の予兆であると評定がまとまった。その邪神を野外に送り捨てると、踊に関わっていた人馬の疲弊も止まった。
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サル 2002年 山口県 赤田代の五年神神事は、神事執行を忘れると近くの山の猿が渡ってそれとなく警告するといわれている。
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サル 2002年 山口県 赤田代の五年神神事は、神事執行を忘れると近くの山の猿が渡って警告するといわれている。
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ヒャッカイサイ 1981年 百怪祭は陰陽道の祭祀の1つで、怪異の際に行なわれるものである。それは平安末期より鎌倉・室町期を通じて宮廷貴族や上級武家の間で行なわれていることが文献から知られる。対象は怪異現象全般に亘っている。
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ゴズテンノウ 1983年 昔、永正年中に疫病が流行り、人々が数え切れないほど死んだ。そこで、大内義興と卜部兼忠が、祭神として牛頭天王を勧請した。
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ウシオニ,ウシノヨウカイ 1973年 愛媛県 昔、疫病が流行したため、疫神退散を願って牛鬼をつくり、厄払いをした。また、牛のよう会が出て農作物に被害を蒙った。そのため怨霊を慰めるため牛鬼をつくり、祭事に奉仕し、被害から免れた。
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カイイバライ 1981年 禊祓儀礼中で、怪異の際の祓には陰陽道独自の祓としての性格が認められるので怪異祓とよぶ。その実例を『春日社記録』などの資料から列挙する。7例あるが、それらはいずれも動物の怪異の際に陰陽師が祓を行なった例である。9世紀に陰陽道の独修するものとなったと考えられる。
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シングン,ヤネ 1977年 高知県 土佐国の鹿伏明神では毎年2月9日に大雨・大風が起こり、夜に入るとさらにはげしくなって、明け方にはおさまる。そして翌日は必ず晴天になるという。この地ではこれを神軍と呼び、家からは出ない。また翌日の社頭にはふしぎな矢根が落ちているという。人々はこれをお守りにしている。
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(サイショウガツリュウゲン),シンエン 1983年 坂本の日吉山王の神猿が言うには、今年は天下が豊作だといい、また1匹は人々が多く死ぬといい、またもう1匹は今年も明け新年と改めればよいだろうと言ったので、5月1日を元旦として災難を除けたという。80歳ほどの老人が言うには、自分が8歳ぐらいのときに、年の半ばで正月の祭りを行ったのを覚えているという。猿が話した事を「明言神猿記」と題して売る者もいた。
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シロヘビ,ツバキ 1976年 滋賀県 ある年、青木明神で雨請いをした時、林から水気が登り、他所から見れば失火の煙かと騒ぎになったが、そのあずかる村々のみ潤いを受けた。その時拝殿に1尺ほどの白蛇が現れた。またある時は、風で多くの木が倒れたので、売ろうとしたところ、夜に音が響いて次の日に見たら木がもとに戻っていた。また、この社の北の山岸の磐に3尺ほどの椿が生えており、その茂り方でその年の作柄を知ることができる。
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テンペンチカイ 1978年 綱吉公は遊興に溺れられ、御料が不足するようになった。そこで保明が勘定奉行より下知を受け、色々な新法を企てたところ、天変地怪が打ち続き、奇雲・異星・光り物が出現し、また上総浦から安房相模に至って著しく海が鳴った。これは世の凶を示すと、護持院が殿中に壇をかざり護摩を修したが、邪鬼虚に乗るの習いか、狐狸が時を得て様々な妖をなした。また、富士の須走口から燃え、大いに鳴動して近国へ砂を降らせた。
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シンメイサマ,ミコ 1964年 福島県 高木家には明治初年までしんめいさまがあったが、善行院という山伏に預けて現在はない。あるとき、父が大病のとき巫女が「昔しんめい様があったろう、それをおまつりしないためである」といったので、それ以来毎年9月の幣束祭りには、神明様といって赤幣をあげる。凶変の予告、病気平癒、男女愛敬、育児加護、授福などのご利益がある。祭日は正月・3月・9月の19日である。
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アサガワジンジャ,カグラ 2004年 香川県 阿佐川神社は通称をシコクサンといい、崇徳天皇を祭っている。明治初期、不景気のために宵祭りの神楽奉納を止めることになった。すると祭の後に、近隣の村人から大きな神楽をしていて、灯を見たとか笛や太鼓の音を聞いたという話を聞いた。氏子は誰一人としてこれを見聞きしておらず、これは神が神楽をしてくれということだろうといい、また神楽奉納をするようになった。
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ミョウジン,ヘビカミサマ,ムラサメシンメイグウ,シラアメダイミョウジン 1971年 愛知県 ある日内海の船頭への託宣で「私は内海に住む明神也。昔そこに在った社に鎮座しておった。ふたたび社の再建をなせば村中を繁栄させ水をさずけん」と出たが当初何のことかわからなかった。それはおそらく蛇神様のことでありこの機に社を建立しようと、村人は再建を重ね、村雨神宮と尊称し万延元年の雨乞い祈願では雷雨強く、白雨大明神の霊験と拝した。
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バケネコ 1923年 徳島県 慶安年中、怪猫が出没して家畜や幼児を傷つけた。里人が退去してこれをとらえ撲殺し淵に投じた。このとき山が鳴り水が沸き、大雨がふったのでこれを祀ったのが猫淵であるという。
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カンコウ,スガワラノミチザネ 1935年 香川県 高松の嫁入り人形、稲穂持天神にまつわる話。官公は、仁和2年正月16日から5年間讃岐の国司を勤めた。ある年降雨がなく、池や川も枯れ、田植えも出来ず百姓は苦しんだ。それを見た官公は、讃岐に限り雨が少ないのは自己の不徳のせいと、讃岐綾歌郡府中村の城山で斎戒沐浴し、祭文を城山神に捧げて雨を祈った。それが神に通じ、天忽ちにして曇り大雨が降り、農作物は蘇生し、農民は喜んだ。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ 1974年 東京都 寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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ハクジャリュウジン 1975年 島根県 日御碕神社では10月11日から17日まで神事斎龍の祭儀が行われる。この期間は海が荒れ、錦紋の竜蛇が現れるとされている。また、社人・氏人のうち誰かに霊夢のお告げがあり、それを受けたものが竜蛇を迎えて日御碕神社で神事を行うが、そのときに竜蛇は来年の吉凶を首尾の形で示すといわれている。竜蛇は何年たっても形を変えず、体は青色と金色に覆われている。竜神の分賦なので、火災除けや祈雨に霊験があるともされている。
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マイノカンノン 1956年 宮城県 昔ここにあった大沼に大蛇がすみ、人に害を加えていたのを大同2年(807)坂上田村麻呂が退治し、その死体を埋めた上に観音像を安置し、法楽の舞を奉納したので舞野という。
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オンリョウ 1975年 高知県 一条房家の時代の平田備中守越智、安盛父子は悪代官で、苦しめられた百姓たちは父子を倒した。それ以降大洪水が起きたり、下手人の家が屋鳴りをしたり、白煙が上がったり、断末魔のうめき声がするなどの怪異が起きた。以来毎年盛大に祭りをするようになった。
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