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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カイイ
1922年 福岡県
明治43年の夏頃、糸島郡某町の町長の家で、仕立中の衣類が切断されたり、晩酌中に瓦礫が飛びこんだりという事が続いた。前妻の娘の仕業かと疑い、その娘を実家に返したが怪異は止まず、町裏の畑中にある狐家の、孤狸のしわざかと調べたが異状はない。祈祷を頼み、神仏を拝するようにすると数日後にやっと怪異は終息した。

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カイ,カイイ
1974年 東京都
午三月、土手四番町のある人の家で膳や煙草盆、石臼などが一人で空中に浮くことが続いた。修験者や陰陽師は仏神の祟りや狸の仕業と言い、彼の言うとおり祈祷をしたが効果はなかった。家が滅びる前兆かと心を痛めたが、とある人が「目黒出身の人をかかえると目黒の鎮守がそれを惜しんでこのような災いを起こす」と言った。この春のにかかえた者を調べたが、目黒出身者はいなかった。しかたなく3、4人に暇を出したところその怪異は止んだ。
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カイビ,タヌキ
1921年 徳島県
明治5・6年頃ある男の家で家中のものが次々と燃える怪異が続いた。消そうとすると次々別のものに燃え移るのだが、消えた後は燻っても焦げてもいない。3~4カ月すると自然にやんだが、男が狸を遣って楽しんでいたので狸を怒らせたのだといわれた。ほどなく一家は衰滅したという。
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カイイ,タヌキ
1935年 東京都
明治10年頃、浅草仲見世の大橋某という家に、約半年に渡って毎夜怪異が続いた。何の祟りか判然としなかったが、その昔、大橋家の先祖が伝法院の寺侍だった頃、浅草寺内の竹薮を切り開いたことへの祟りとの噂が高かった。そのため伝法院でこの怪異を封じて庭内に鎮護大神として一社を祀った。後に災難除けとして金属製の狸の像を授与することになった。
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ロクロクビ
1933年 大阪府
明治初年の頃、ある商家の夫婦は、夜な夜な娘の首が伸びるのを目撃した。神仏に祈りを捧げるがその効果なく、噂としても広まったため一家は他所へ転出していった。
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イタチノカイ
1973年 東京都
文政4年、江戸牛込袋町代地のある商家の娘で、癪を持っているものが体のあちこちに腫れ物ができる奇病にかかった。やがて娘の体から針が出るようになった。夜になると娘が寝ている回りや蒲団の下を鼬が歩きまわっている。
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キツネ
1963年 岡山県
狐は娘に化ける。1950年前後の春の夜、黒い犬が追ってくるので石を投げようとしたら、隣の娘だった。一緒に行こうと待っていてもこないので振り返ると、いなかった。隣の娘はずっと家にいた。その妹娘も同じように見かけられたことがある。猟師が狐を仕留めてから、そんな怪異はなくなった。
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キツネ
1996年 茨城県
明治時代の話。ある家の娘に狐が憑いて、地元の山伏が祈祷をしたら、娘が庭に飛び出して気絶し、狐は落ちた。
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キツネ
1976年 東京都
文政5年、コロリが流行した折、狐が人に憑いて人命を損ずることが少なからずあった。本所松井町のある女房が8月23日に突然発狂したようになったので、これは狐が憑いたのではないかと、色々ありがたいお札を集めたり、祈祷など行ったが効果がなかった。そこで伊勢神宮のお祓いなら恐れないものがないだろうと持ち出したら、女房は震えだし、お祓いを納めてくれるように懇願した。早々に立ち退くように命じたところ、手を窓の外へ出してくれるように願った。狐は手の指爪の間に潜んでいるという。そこで手を引いて窓の外へ出したら、その場で女房は倒れて、気がついたときには何も覚えていなかった。
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タヌキ
1992年 奈良県
朝の薄暗い時に納屋に柴を取りに行ったら、隣の娘さんが黄八丈の着物を着て駒下駄を履き歩いていた。娘さんは下を向きながら歩き、角を曲がった。しばらくしたら、狸が走って出てきた。夜が明けてから娘さんに尋ねたが、その時間には出歩いていなかった。狸が娘さんに化けたのだろうと言っていた。
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タヌキ
1933年 大阪府
和泉町の陸軍少佐波多野義次宅では、何処からともなく瓦礫が飛んできたり、脱いだ靴が何時の間にか別の場所に移動していたりするなどの奇怪なことがあったが、これは狸の所為であるという。
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イシフリ
1932年 岡山県
庄屋の嫁が背中へ痛みを感じてから、家の中へ石が降ったり、焚いた豆腐が落ちたりなどの不思議が起こった。主人が旨いものをと言うと牛蒡が降ったので、もっとうまいものをというと蕗葉へ三つ葉の味噌アエ物が落ちてきた。若い下女に暇をやると怪異はなくなった。
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キツネ,タヌキ
1966年 栃木県
狐か狸かわからないが、道で人を化かすものがいた。大正12年のある夜、強気な男が道を歩いていたら自分の前を歩く娘に会った。怪しいと感じた男は、いきなり娘の尻のあたりをまさぐった。驚いた娘が飛び上がる拍子に男は尻尾を握った。娘は犬ぐらいの獣になり鳴き声をあげたので、哀れに思った男は手を離した。その後人を化かすものは出なくなった。
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タヌキ
1932年 兵庫県
蜂須賀家5代の時、洲本町の紺屋町のある家来の1人娘が病気で死んでしまった。ある十五夜の晩、家来夫婦が縁側にいると、死んだ娘が赤手拭を被り庭で踊っていた。妻は喜んだが、夫は妖怪であると思って弓で射た。それと同時に娘の姿は消え、血の跡が残っていた。それを追うと1つの穴があり、中に瀕死の大狸がいた。またその長男は狸を殺してから大酒飲になり、乱行した。
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キツネ
1965年 兵庫県
男が酒を飲んで帰り、墓ぐちの坂道に通りかかったら、座敷で三味線を弾いて酒盛りをしていた。その家から友達が出て来てあがれあがれと誘い、草鞋の紐を解こうとするが、断って帰った。はて、あそこに家があるはずがないと思い振り返ると、家は消えた。「われにあほにせられんぞー」と怒鳴り、家に帰った。この家も狐が化けているのではと用心し、かかと娘の尻に尾がないのを確認して、ようやく家に入った。
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カミノナガイオンナノコ
1984年 秋田県
昭和57年に、ある旧家の土蔵から髪の長い女の子がでるというので祈祷に行って来た。その後、女の子は出なくなったようだ。
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キツネ
1955年 岡山県
ある家に後妻に来た女が狐憑きになった。話してもいないことを知っていて全く不思議だった。後に杵築に連れていって拝んでもらったら落ちたという。
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キツネツキ
1922年 山口県
大正2年1月に、筆者宅にある婦人が狐憑きになりやって来た。その狐と問答をして、ある坊主がある女から金を貰い、この狐を使っていることが分かった。狐の子供が坊主の出した油揚を食べてしまったため、仕方なく使役されているという。明治天皇の御影を使い、天子の御家来に害を成すではないと諌め、憑かれた女に給養させることを約束し、退散させた。しかし数日後また婦人がやってきた。問答すると坊主に弓で威嚇され、再び憑いたという。筆者は狐を神の眷属とすることを約束し、立石大明神を招いて吉松稲荷大明神の眷属となる許可を得、解決した。
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キツネ,タヌキ
1981年 京都府
昭和43年頃、夜に上賀茂神社の横を歩いていると急に自分が今日どこで何をしていたか思い出せなくなった。家には帰り着いたが、ズボンが泥まみれで道もないようなところを歩いたらしい。土産の魚を狙った狐か狸の仕業だろうという。
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ウスギヌヤマノヨウカイ
1956年 宮城県
上沼村の東北部北上川の近くに薄衣山という岡があり、そこは村の墓地で人家はなく、老松が茂って昼も薄暗いような場所で、得体のしれない妖怪が出て人々を怯えさせていた。この山の南方の弥勒寺村(中田町)に、剣道の心得のある豪胆な米三という若者がおり、化け物退治を決意した。病臥している妻を理由に家人が引き止めるのも聞かずに出かけ、松の大木にのぼって見張っていると、使いの者が「妻が命を落とした」「出棺だ」と迎えに来た。米三はそれを怪しみ、もし本当だとしても、どんなことがあっても退治するまでは家に帰るまいと決心したので我慢して帰らなかった。暫くすると我が家の方向から弥勒寺の方へ妻の葬儀と思われる提灯の行列が見えた。妻の亡霊とおぼしき白いものが飛んできて、恨み言を言い足元に手をかけるばかりになったとき斬り払うとギャッという叫び声がして、ドドッと転がり落ちる響きがした。朝になって降りてみると夥しい血溜りがあり、血痕が北上川まで続いていた。家の妻は生きており、それ以後怪異はとまったという。
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ザシキワラシ
1974年 岩手県
明治初年の凶作の時に末の小さな娘に晴れ着を着せて裏山におぶって行き、藁打ち槌で頭をたたいて殺した。以来家に病人が出たり、座敷から毎夜奇妙な音がした。イタコによると殺した娘の祟りだという。家には座敷ワラシが出るといって使わない部屋があった。
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