(ソセイ) 1980年 ある壬生の禅僧が、死んで19日後に生き返ったという。その僧は死後の世界について、ただ山水に対するといって地獄や天の事を言わなかった。
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テング 1977年 東京都 小石川伝通院山内にいる岱雄という者は、僧とともに出かけたが帰らず、2日後、寺の寮で昏倒しているところを発見された。気が付いて語るには、供をしている時に、体が自然に空へ昇り、それから成田不動へ参詣し、大樹の間にいた出家者たちと相撲をしたり、食事をとったりし、7日ほどいたという。天狗の仕業でも趣あるものだ。また天狗は、再び参詣したければ、東を向いて不動を念じろと言った。そうすると再び天狗が現れ、成田山へ連れていかれた。帰りに諸々の土産ももらった。
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(リンシタイケン) 2001年 新潟県 あの世まで行って、極楽や血の池や針の山を見て生き還った。
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タケ,オウゴンキュウ,(ソセイ) 1974年 東京都 江戸大伝馬町に住む佐久間勘解由の下女・竹は仁慈の心深く、貧しい者に物を与えたりしていた。ある時頓死してしまったが、身体が温かかったので見守っていたところ、ついに蘇生したという。そこで冥途の様子を聞くと、果てしない広野を歩いていたら黄金の宮殿にあり、仏にこれは竹が来る台だと言われたという。その後いよいよ念仏を行い、大往生を遂げた。近所の者が湯殿山に参詣したところ竹に会い、竹は念仏を勧めて消えたという。
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シノヨソク 1944年 秋田県 極楽浄土行きを熱心に願う坑夫がいた。ある時成仏の時期を予知し、妻子と別れの杯を酌み交わし、夜陰月明に乗じて梅の木に登ると、急に彩雲がたなびき、男はその中に姿を没して行方がわからなくなった。極楽往生によって身体は消滅し、魂が浄土へ行ったのだという。
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アイサイノコエ 1921年 岩手県 五葉山に行った際、深い林の中で前の年に亡くした愛妻の声聞いた。山から帰る早々、病気になって死んだ。
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セイシノセトギワ,ユウカイ 1949年 新潟県 大病を患って、生死の境をさまよっているときに、裸になって寺に行こうとした自分の夢を見た。その姿をとがめられると、自分もやっと裸であることに気づき、寺はなく裏の道をとおると、そのまま生き返ったという。
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ボウレイ 1975年 富山県 越中国新川郡の立山に願ったら思う人の亡霊が見えるという。元禄のころある人が山に上り禅定して帰路日が暮れたので山中で念仏していると食事を与えてくれる人がいた。周りに人家がないので器をもって下山し里人に見せると、七日前に死んだ人の物だった。
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(アッキ),メイカイ 1982年 宝永5年5月5日、堺町のある人の後妻が急死した。暫くして息を吹き返したので如何したのだと聞いたところ、夢現の状態でいたところなんとなく恐ろしい悪鬼が3人やってきて荒野へ連れて行かれた。そこに老人が現れ悪鬼を追い払ってくれたので何者かと尋ねたところ、ここは冥界だから娑婆へ帰れと袖から黒粉を出して口に入れられたところでよみがえったと語った。
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カゲキヨボウレイ 1980年 宮崎県 日向国を巡見している時、沙汰寺にある平景清の古墳を詣でた。感慨して宿から手向けの歌短冊を、寺へ使いに持たせた。使いが寺に行くと、ある老人が出てきて受取書を渡したが、帰る途中見ると受取人の名が無い。そこで寺に帰ると、寺僧はそんな老人はおらず、短冊も知らないという。受取書には景清の亡霊が書いたと思われる返歌があったという。
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カシカラノソセイ 1944年 愛知県 伯父が仮死状態から生き返り、「とてもありがたい極楽に行ってきた」と話していたことがある。
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(メイドデシャリヲエル) 1974年 京都府 丹波舟井郡藍田村に住む山田彦七は熱心な念仏者だったが、元禄2年12月1日、 27歳の時に死んでしまうも翌日生き返った。その時に冥途の話を始め、冥途で仏舎利を得たという。確かに左の掌の中に光る仏舎利が一粒あった。ただその翌日に大往生を遂げ、仏舎利もなくなったという。
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オノノコマチノレイ,ビジョヅカ 1976年 山形県 京都で深草少将が小野小町に恋して通い詰めたが小町は応えず、少将は思いを遂げず急逝した。その恨みからか小町は病となり、死を前に父に会いたいと北国へ向かった。米沢の山中で小町は病に倒れたが、現れた薬師如来に小野川の湯を教えられ平癒する。しかし塩井で亡くなったと言う。そこに村人が地蔵を立てて葬ったのが美女塚であると言う。その200年後、旅僧が読経すると小町の霊が現れ、米沢の呉服商の清欒が少将の生まれ変わりと言う。これを知った呉服商は間もなく病で死んだので、美女塚に対して西方に美男塚を作って葬った。異伝も多い。
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タマヨビ 1948年 和歌山県 元文年間にある70歳くらいの男が急病になった。家族が魂呼びをしたところ、蘇って病気も治ったが、言葉や態度がおかしく、妻子のことも覚えていなかった。考えてみると、同じころに山奥で死んだ木地屋の名前が同じだったので、入れ替わって入ってしまったのだろうということになった。それから10年くらい生きていたといわれている。
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カシカラソセイシタモノ 1944年 鳥取県 蘇生した者の話である。ある者は「綺麗な花園に行っていた。舟から自分を呼んでいたが、どうしても行けなかった」と語り、別の者は「美しい蓮の生えている橋を渡りかけていた。すると美しい音楽が聞こえる。だがそれでも橋を渡らず帰ってきた」と語った。
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(ランオウケン) 1980年 京都府 京都の柳馬場松原に、鸞鳳軒という浄瑠璃語りがいたが、彼は5月2日に寺院を訪れ、自分は来る9日で死ぬので11日頃に葬式をあげてくれと頼む。実際妻が9日に寝所を見てみると、彼は眠るように息絶えたという。
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ボウレイ 1974年 東京都 角田川のほとりにある子の墓で母親が念仏すると子の亡霊に会うことが出来た。母は妙亀という尼になり傍らの庵に住んだ。故にこの地を妙亀山という。
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カシャ,オンヨショウニン 1974年 東京都 増上寺の音誉上人が死ぬ前の年に火車がやって来たが、上人はもう少し衆生を引導したいといい、来年の今月今日に再び迎えにきてほしいといった。すると火車はどこかに行ってしまい、震動や雷電もそのまま止んだ。そして来年のその日になると死んだという。
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(リンシタイケン) 1982年 群馬県 住職がお勤めをしていると気配がしたので「まだ早い」と叱ったら、その者は去った。死にかけた人だったが、叱られて意識を取り戻した。冥途への道は蓮の花盛りで、寺の人が庫裏に案内してくれ、二の膳つきのご馳走を食べた、座敷一杯に見舞いの人が来ていた、という。
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(イキカエルコト) 1976年 大分県 花がたくさん咲いている気持ちのいい場所で、名前を呼ばれて引き返したところ生き返ったという人がいた。
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