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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ムカデ,シン
1975年
秀卿が龍宮に頼まれ蜈蚣を射った話や、程霊銑が蜃を射った話は、武名が高いために後に作られたのだろう。

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ヨウカイ
1978年
秀郷が妖怪を射殺した箭鉾が代々伝わっている。
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タムカデバゲン
1971年 滋賀県
多百足馬蚿は勢多橋の大蛇を害していたが、大蛇の頼みを受けた秀卿に射殺される。
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イヌガミ,サルガミ,スイカズラ
1917年 徳島県
昔、怪しい獣が大空を飛んでくるのを、武士が弓矢で三段に射切った。その首は犬神になり、胴は猿神になり、尾は吸葛になったという。
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クズノダイジャ
1933年 大阪府
源満仲が夢の告げに従って空に矢を放つと、それは雷のように轟き光って飛び去った。夜が明け、老人の案内で、先年俵藤太秀卿が射とった百足の霊が9頭の大蛇となって棲むという池に行くと、大蛇は頭に鏑矢が当たって死んでいた。
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シュテンドウジ
2001年
和漢の武人の故事を列挙する中に、「源頼光、酒典童子ヲ退治シ」とある。
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タマモノマエ,シロギツネ
1976年
玉藻前の話は五山僧徒が公案で作ったもので、倩女離魂の話のたぐいであることは疑いはない。それは玄翁禅師が殺生石を打ち砕き白狐の霊を成仏させた話がある事でも明らかである。
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ハクオウサマ,ダイジャ
1991年 愛媛県
土佐の孫八という猟の名人が僧都で鹿を撃った。鹿は白王様の大岩の下の淵に入った。孫八が行くと白い大蛇が鹿を巻いていた。孫八は「身はいらんから角だけくれ」と言って角をもって帰った。白王様の祠に鹿の角があるのはこの由縁。
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ヌエ,イヌガミ
1949年 徳島県
昔、中国から怪しい獣が飛んできたのである武士がこれを3段に射ると、犬のような首は阿波に落ち犬神に、猿のような胴は讃岐に落ち猿神に、蛇のような尾は備前に落ちて吸葛となった。
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コギツネトショウベエ
1956年 宮城県
昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。
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ハクリュウ,カネ
1940年 香川県
頭に珍しい梵鐘をかぶっている白龍を退治しようと、ある豪勇の武士が立ち上がった。かろうじて白羽の矢で射殺し、龍の鐘を奪い取ると、それを寺に寄進した。えもいわれぬ妙音なのであるが、白龍の霊が宿るため、無念の涙として毎年夏には鐘から水滴が落ちてくる。後年、高松藩主がこの鐘を持去ったところ、鐘が「国分寺へ戻りたい」となったので、また戻したという。
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ヌエ
1930年 愛媛県
愛媛県で伝えられていることには、射芸の大家であった源頼政は、鵺を退治して、功名をたてた人だということである。
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ヒデヨシコウノオンメノヒカリ
1976年
秀吉公がまだ木下藤吉だった頃、大沢主水と槍合わせしたが、主水は目がくらんでうつ伏したという。また羽柴筑前守の時に、志豆が嶽にて佐久間玄蕃允を睨むと、人馬ともにまばゆく、佐久間が後ずさりしたことなど、よく知られている。懲毖録によれば、その目の光は閃々として人を射るようだったという。
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ユウテン,ユメ,フドウ,ケン
1976年 千葉県
昔、祐天が愚昧で鈍なることを悲しみ、成田山の不動へ参詣したところ、満願の夜、夢に不動が出現して、剣を与えるので呑めと告げたので、その通にした。その後はなはだしく吐血したが、聡明となり、名僧と噂されるようになった。しかし、『孔氏六帖』の尹知章の話にあわせた嘘話である。
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キチョウ
1979年
庭氏が鬼鳥を弓で射る話があるが、これはうぶめのことである。
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カイチョウ,ヤ
1930年 岐阜県
土岐氏の祖である源頼政が、竹に山鳥の矧いで禁じられていた恠鳥を射落としたという伝説がある。その場所には、一つの根で二つ生える竹があり、一鎌で一対ずつ切ることができた。猪野家がこの社の氏子なので、この箭はおそらく神事のためのものであろう。
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〔ハンテイシモヤシキノオンビョウ〕,ネコ,マクラガエシ
1956年 東京都
只野真葛女の祖父丈庵が獅山公隠居屋敷に勤めていた時の話。久しく人の住んでいなかった山を開いて邸宅を建てたためか,移り住んだ当座はどこからともなく拳大の石が長屋に投げ込まれることがあった。昼夜の別はなかったが,特に雨降りで暗い夜などに多かった。他に宿直の侍が枕がえしをされたり,灯火が突然消えたり,蚊帳の釣り手が一度に切れて落ちたりすることもあった。ある時,典医の丈庵が命ぜられて宿直をしていると堪らなく眠くなった。それでも何とか薄目で見ていると大きい猫か狸のような獣が現れ,途端に蚊帳の釣り手が一度に切れた。以後は何事もなかった。翌日は昼夜時々鉄砲を撃たせて威嚇したが,日中二度ほど大犬程で尻尾の太い赤毛のものが庭前の林の梢をとび渡った。鉄砲を浴びせたが,逃げ回って姿を消してしまった。その後このような怪事は減少したが,ある時御長屋門の下の辺に犬くらいの猫が眠っていたので,近侍の者が鉄砲で打ち殺した。この辺りは特に野良猫が多い所であった。
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ダイジャ
1934年 岩手県
鉄砲名人の男が大蛇を撃った。すると洪水となって大蛇は山に逃げて行った。この男の一族は祟りにあって左目が悪いという。そして山には登ってはならない。
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シロギツネ
1976年 長崎県
肥前島原の弓術の名人の夢に狐が白髪の翁になり現れ、明日国主の前で御覧の狩がある。その時助けて欲しいと語った。当日獣を助けず射殺した。酒宴の席で夢の事を語ると、国主はひどく悲しんだ。弓術の名人はその後貧窮して子孫は絶えた。
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ムカデムシ,カイチョウ
1977年
田原藤太は百足虫を射殺し、また天野遠景は朝廷内の庭で怪鳥を射殺したと俗に言われている。
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リュウグウ,ダイジャ
1930年 神奈川県
昔、貧乏で正直な葱売りの男が龍宮から美しい姫を嫁にもらった。国司がその妻を奪おうとして無理難題をふっかけたが、最後は姫が大蛇になって国司の首を絞め殺した。大蛇はそのまま龍宮に帰り、男は元の葱売りに戻って揖請をすごしたという。
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