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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

テング
1974年 神奈川県
元弘二年の春、鎌倉の巷で天狗礫が毎夜家々の門を打ち、夜天狗に出あった人は蹴り殺されることが続いた。また天狗を捕らえようとした者たちが殺され衣服をはがされた。天狗の正体は小冠者であった。

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テング
1922年 富山県
昔から天狗が住んでいると言われていた霊場で、夜更けに帰山するものに砂礫を投げたり、バリバリ木の枝を折って投げるような音がする。ある小舎は小天狗に中天に持ち上げられた。
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テング
1954年 島根県
昔、高崎山にあったある寺の坊さんは、天狗をよく使い、入り用の物を持って来させるなどしていたという。後に、別の坊さんが寺に住むようになると、天狗はその坊さんを嫌ったため、坊さんは下山してしまった。以後は誰も寄りつかなくなり、寺は潰れてしまった。
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テング
1979年 徳島県
天狗の下駄や、天狗の馬の蹄の跡が残っている天狗岩がある。天狗は正月になるとその岩に来て鉦や太鼓を叩くので、近隣の老婆は「恐ろしい」と言って早くから家の戸を閉めていた。
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テングツブテイシ
1938年 福島県
夜、雨戸などに石のあたる音がする。天狗が度胸試しに石を投げつけるのだという。天狗礫石と呼ばれる。
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イジュウ
1974年 京都府
延宝年間のこと、京の南にある吉祥寺村で、吉祥天女のご開帳があるというので、近隣の村々から六斎念仏を行う者が多く集まった。その彼らが打つ鐘や太鼓の音を恐れたのか、怪獣が出てきて、ある百姓の家の縁の下にかけ入った。それを生け捕りにすると、顔は狸に似て、鼻から額まで黒く、うなじは白い。さらに背は黒く、腹は白く、徳利のような丸い尻をしており、尾はなくて前足はモグラのようで、後ろ足は長く犬のような獣だった。餌は串柿だけ食べたという。
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テングサマ,カタメノドジョウ,ヒ
1916年 静岡県
御一新前にはよく天狗様が出た。夜になると天狗様が殺生に出る火をよく見たものである。その頃は片目の鰌がたくさんいた。天狗様が殺生のとき抜き取っていくのだと言われた。天狗様の火は出没自在だった。
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ムジナ
1984年 山梨県
鎌倉の建長寺の和尚が京都から鎌倉へ帰るときにこのあたりを通って帰った。小明野の新田のミヤブ様のところへ泊まったが、そのときに人間ばなれした行為をするというようなことがあった。そして、今度向原の方へ来て、泊まったとき、つないであった犬が和尚をかみ殺したため大問題になった。何かあるに違いないと思って三日間外へ干したら爪がムジナの爪になった。京都から来る途中で和尚はムジナに喰い殺されて、ムジナが和尚に化けたのだ。
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ナキタマ,ユウコン,ボウコン
1974年 高知県
土佐の国で、流罪になった人のところへ毎夜、都で死んだ妻が現われるようになった。その妻を網で捕らえたところ毛の抜けた古狸になったので殺した。貞観年中のこと。
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ヤギョウサン,クビキレウマ
1939年 徳島県
以前は節分・大晦日・庚申の夜の他に夜行日があった。この日は夜行さんが首の切れた馬に乗って徘徊するという。この首切れ馬に出会うと、投げられるあるいは蹴り殺されるという。草鞋を頭に乗せて、地に伏していればいいと言っていたという。夜行日は拾芥抄にある「百鬼夜行日」のことだろう。正月は子の日、二月は午の日など、月ごとに日が定まっていた。
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テング
1993年 福井県
大きな岩石があり、ここの天狗がいると恐れられていた。ある日この近くで三左衛門という人が炭を焼き始めた。天狗が現れ「ここはわしの庭だから、すぐ帰れ。笛を吹き、太鼓が鳴ったら下山しろ」という。無視していると数日後に天狗が現れ「もう一度合図するので、帰れ」という。風が強くなり、雨も降り出したので下山した。あまりの大嵐となり、三左衛門の家は倒れた。
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テングサマ
1938年 福島県
天狗様の祠にある木の切り株に登って「天狗天狗さらわばさらえ」と大声を張り上げた帰り道、グイグイ後ろに引かれた。振り返ると鎌が1、2間先に落ちていたので拾った。家に帰るとまた鎌が無くなっていた。数日して、木の上数間のところに鎌がかかっていた。天狗の仕業であるという。
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テング
1940年 神奈川県
文化3年の4月、天狗が大鳥の寺で11歳の子をさらった。8月には9歳の弟もさらったが、大山で兄に会わせるとその日のうちに帰した。
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タロウヤマノテング,テングサン,テングサマ
1964年 長野県
ある人が天狗さんに3丁余も抛られ、血だらけになっていた。太郎山に行って悪いことをすると、天狗さまに抛られると、幼い頃にはよく言った。
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テング
1922年 富山県
明治14,5年ごろ、1人か2人は天狗に連れ去られた。いなくなった子供を捜すときには、天狗が棲むという火の宮や愛宕の大杉の下で名前を呼び、太鼓と一升枡の底を叩いた。枡の底を叩くと天狗の耳が破れそうになり、捕えた子供を樹の上から放すのだという。
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テングサマ
1984年 埼玉県
むかしは白石でも草ぶきの屋根だった頃、ある家では雨もりがするのに忙しくて屋根をふくための草刈りをする暇がなかった。ちょうどその頃、近所の人たちは草を刈って干しておいた。ある晩のこと、その家の人が、庭でガヤガヤする音をきいたが、そっとしておいたら、庭に刈った草が積まれていた。近所の人たちはこれを取り返しに来たが、1晩のうちに運ぶことはできないので、天狗さまのしわざにちがいないということになり、近所の人も草をとり返さずに帰っていった。それで人並みすぐれている人のことをあの人は天狗さまだという。
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テング,モノノケ,アヤカシ
1976年 奈良県
天福2年2月頃、南都に天狗が出現し一晩の内に家々の上に未来云々と書いたという。
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クビキレウマ
1933年 徳島県
ある大晦日の夜、寺に強盗の一味が押し入った。寺の飼い馬が喧しく鳴いて暴れたので、強盗は馬の首を刎ねた。1年後の大晦日、首のない馬が目撃されたり、凶事が続くので、本寺では元日の鶏鳴を聞いてから餅を搗くようになった。
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テングサマ
1995年 長野県
天狗様は子どもを授けてくれるというのでお願いしたら、赤ん坊が家の前に置いてあった。わが子として育てたが、忙しくしていたら4つにもならないうちにその子は亡くなってしまった。家の者は天狗様に授かった子を死なせてしまったことを後悔して、薬師平の三倉の明神として祀った。
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テング
1975年 山形県
向川寺に昔天狗が遊んだという天狗の手まり石がある。天狗は昼は姿を隠して夜は空を飛び、子どもをさらった。姿を見た人は気を失い、翌朝体に爪の跡がついていた。ある年の祭りのときにも子供がさらわれ、次の朝杉の大木に天狗の爪跡が一面についていた。
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テング
1973年 三重県
昔、田平という下男がいた。天狗が通ったときに静かにしていればよかったのに、相手になってしまったので、天狗に取って投げられ、みひろ石にぶつかって死んでしまったという。
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