キツネ 1978年 京都府 宝永、正徳の頃、京都町奉行組同心田村治助と申す者の方へ、元来は狐であるという桑門が常に来て親しく交わっていた。元来狐であることも隠さず、狐らしいこともなく、言語も普通の出家者のようだった。
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キツネノショカン 1976年 東京都 若年の頃、親類の家に同居していた。その家の小侍がある時外出して帰ってきたら、門から入りながら「清めろ清めろ」と言った。座敷に上がり主人に対面したいと言うので、主人が会ったところ、小侍は礼を申しながら、私は上方筋の狐であるが、この地へきたところ、くたびれたのでこの小侍の体を4,5日借用したいと言った。主人に問われるままに身の上を語った狐は、自分は善い狐だから出て行くときに小侍の疳の病を治すと言い、5日目の夜に書を残して翌朝出て行った。
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キツネツキ,キツネ 1977年 東京都 安永年中、狐落としを得意とする旗本の所へ、武州中野村の狐に取り憑かれた男が連れて来られた。旗本が狐の言い分を聞いたところ、男の父が京の加茂明神で無礼を行ったので私の父の狐が取り憑いた。しかしこの男が父もろとも餓死させたので、その敵を討つため取り憑いていると語った。
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キツネツキ 1922年 山口県 大正2年1月に、筆者宅にある婦人が狐憑きになりやって来た。その狐と問答をして、ある坊主がある女から金を貰い、この狐を使っていることが分かった。狐の子供が坊主の出した油揚を食べてしまったため、仕方なく使役されているという。明治天皇の御影を使い、天子の御家来に害を成すではないと諌め、憑かれた女に給養させることを約束し、退散させた。しかし数日後また婦人がやってきた。問答すると坊主に弓で威嚇され、再び憑いたという。筆者は狐を神の眷属とすることを約束し、立石大明神を招いて吉松稲荷大明神の眷属となる許可を得、解決した。
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キツネ 1976年 滋賀県 正念寺という一向宗の寺に狐が住んでいた。人の目には見えず、寺を火災から守り、住僧が他出の時には守護してついていくという。ある時住僧の草履に物をのせた者があったが、帰ってから物陰から人語をなして、吾が草履の上にいたのに、物をのせられたと大いに怒った。住僧は、人の目に見えないのだから仕方が無いことであると言ってそれをなだめた。また、狐憑きの事を寺が頼まれた時に、災いをなすのは野狐であると答えた。また、官を進むために金が入用であると、賽銭箱からこぼれた金を集めていた。
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キツネ 1937年 福井県 狐ごと稲荷堂を埋めてしまったので、それをなじりにやって来た知人が家に不幸が続くと言った。切りつけると正体の狐となって逃げた。翌日に、本物の知人がやって来た。
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キツネ,オンナ,オオニュウドウ 1937年 岩手県 昔、夜遅くに若い女を見て狐が化けていると正体を見破った男は、次に大入道に会い、狐と見破る。家に着くと狐がいたので叩いているとそれは雨着だった。またある時には、大水が出たと思わされて、蕎麦畑を裸であるかされたりもした。
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キツネ 1981年 千葉県 下総佐倉には狐取の男がおり、狐に化かされたふりをして、逆に捕まえることができた。かの者が家に居たところ、役人風の男がやって来て、多くの狐を殺した事を責め、これ以上殺すと厳罰に処すと脅しをかけて去っていったが、これを捕らえて打ち殺したら狐だったという。
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キツネ 1974年 愛知県 尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
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キツネ 1937年 福井県 ある武家で、不都合を起こした為に切腹が命じられた。切腹を命じにやって来た役人は、狐が化けていたので、犬がほえると正体をあらわして逃げた。別の家は稲荷さんの申し子だと言われていた。この2つの家は両方とも断絶した。
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キツネツキ 1978年 東京都 有徳院殿の御代、江戸で小笠原石見守の家来に狐がついた。御次でその沙汰をお聞きになり石見守を召され、狐に退くようにと命じた。石見守はその上意の旨を家来に述べたところ、狐が退き正気に戻った。
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キツネ 1988年 茨城県 話者の祖父がカツオを馬に積んでの帰り道、きれいな女の人に乗せてくれと頼まれた。これは狐だと思い、ぐるぐる巻きにして家まで連れ帰った。狐が正体を現したので逃がしてやったら、後でお礼に来た。その後、祖父が仕事で災難に遭ったとき、命が助かり、代わりに狐が死んでいた。
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アッコ 1976年 九尾の狐といえば俗に悪狐だと言われるが、もとは瑞獣であり、『太平御覧』にそれを示す記事が引用されている。
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ツキモノ,キツネ 1960年 島根県 昔、菱の漁山に住む狐が、海士から焼火へと向かう嫁入り行列からご馳走をとろうとしたができなかった。腹の減った子狐が責めるので、何とかという家に入り込んで人に憑いた。そこで攻め立てられて上記のことを白状したのだという。
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キツネ 1999年 宮崎県 船引の正家院という修験者が、川べりで遊んでいた親子狐を脅かした。家に帰ってみると腰に挿していた小柄がなくなっていた。占うと、下小路の仮屋屋敷の石の上と出た。翌朝行くと、小柄と狐の糞があった。占いに負けて、狐が小塚を返しに来た。
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キツネ 1999年 宮崎県 船引の正家院という修験者が、川べりで遊んでいた親子狐を脅かした。家に帰ってみると腰に挿していた小柄がなくなっていた。占うと、下小路の仮屋屋敷の石の上と出た。翌朝行くと、小柄と狐の糞があった。占いに負けて、狐が小塚を返しに来た。
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キツネ 1975年 東京都 文政元年4月2日より、御普請役の妹が乱心であった。調べてみると大久保新田当山修験に遣わされた狐が憑いたためであった。
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キツネツキ 1942年 長野県 ある人が病気になったので御嶽講の先達に占ってもらうと、狐憑きといわれた。その後、村に2、3軒狐憑きがでた。狐がいうには、上垣という屋号の家で、食べ物をくれないので来たのだという。そこで村の者が上垣に掛け合ったが、上垣は狐など飼っていないと言った。その家の大黒さんを怪しんで川へ流したが、依然狐憑きは治らなかった。村の者は収まらず、ある夜大挙して上垣に押しかけて乱暴狼藉の限りを尽くした。上垣は代官所に訴えて勝訴したが、この件以来けちがついて家は絶えてしまった。
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キツネ 1930年 山形県 加藤某という武士がいた。勤番で詰めているとき、稲荷の近くに住む狐がうるさいので、刀で突き刺すと逃げて行った。その次の勤番のとき、終夜三味線や太鼓の音がした。翌日になって加藤某が廓の芸妓と遊んだという噂がたち、知行を取りあげられた。不思議に思いミコに聞きに行くと、狐がミコをかりて現れ、それは祟りであり、七代先まで続くと言われた。
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キツネ 1955年 静岡県 狐憑きの人に来た方を問うと狐になっているから本当のことを言う。大釜で煮立たせた湯を禰宜が湯冷ましの祝詞を上げてかけると、狐憑きは正気に戻る。
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