国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

(カミノイカリ)
1974年 福岡県
斉明天皇と中大兄皇子が朝鮮征伐の為に軍勢を向け、途中九州で朝倉橘広庭宮を造ったが、その時朝倉神社の木を伐ったので、神は怒りをなし、斉明天皇はこの朝倉宮で死んだという。

類似事例(機械学習検索)

オニ
1975年 福岡県
斉明天皇が治世6年目に死んだ後、朝倉山の上に大きな笠をかぶった鬼が喪儀を見ていたという。
類似事例

(シンボクノタタリ)
1977年 高知県
神木で仏寺をつくる事は恐ろしいことがある。斉明天皇の時には朝倉神社の木を切って祟りがあった。
類似事例

シャボクノタタリ
1974年 福岡県
大弐として太宰府に赴任した清原岑成は、倉屋の破壊が著しいので神社の木を伐って修造に充てたところ、岑成は社木の祟りを受けて死んだという。
類似事例

スギヤクシ
1956年 宮城県
天平(729~749)の昔、孝謙天皇が御不例で、医薬効なく太史に占わせたところ、陸奥にある高さ数十丈の大杉の枝葉が雲をしのぎ、その陰が皇居に達しているさわりと分り、大納言某を遣わして伐採を命じた。某は築館の地に大杉を発見し伐ったところ、伐り口から血が流れ、翌日はふさがって元通りになる。幾ら伐っても同じことであった。杉の東北の広野にある茅萱を縄とし伐り口をふさげば伐れるという占いによりようやく伐り倒す。切りくずは飛散して一片もなかった。天皇の御病も治り、勅命で伐り口に仏堂を立てた。のち慈覚大師が薬師如来を安置した。
類似事例

シロザル
1992年 宮崎県
ある男が、諸塚と椎葉の間の槙の大木を切り出そうとしたが、容易に倒れなかった。それは市山大明神の神木だからだと知り、京都滝口大明神の印入りの斧を用いて倒した。そのとき、槙の大木から白猿の夫婦が飛び出し、悲しそうな顔をして去った。男は木を川に流して美々津まで行ったが、猿もついてきた。その夜、槙は不審火で全焼してしまった。白猿の夫婦は市山大明神のお使いだった。
類似事例

チノデノマツ
1967年 福島県
岩城判官正道公が謀反人として殺され、その夫人は一男一女をつれて放浪していたが、海賊に二人の子を奪われ、後この地で死んだ。海賊に奪われた兄弟と別れ別れになった安寿姫は悪者の手から逃れたが、飢えと疲れで世を去った。これをあわれんだ村人は、なきがらを埋め松を植えて祠を建てたが、ある村人がこの松を切ろうとしたら、切り口から血が流れた。直後には切り口すらなくなって元通りになっていたという。
類似事例

アラガミサマ
1984年 長野県
神社合祀令の際に字にあった荒神様や三神を伊勢宮神社に合祀した。その際に、社の大樹が全て伐採された。それから大切な家の人や息子が夭逝するようになった。
類似事例

ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
類似事例

オハルジノカミ
1972年 沖縄県
氏神であり、産土神であり、農業・漁業の神である大主の神(オハルジノカミ)、ある島の長者が訳も無く大主の神の社を焼き払ったところ、祟りを受けて自身のみならず子孫まで死に絶えた。
類似事例

イチョウ,ウトウ
1935年 青森県
允恭天皇のとき、烏頭中納言安潟は勅勘を蒙ったが 高倉の霊夢により外ヶ浜についた。安潟の死後、どこからかひと番の異鳥が飛んできて、雄がうとうと鳴けば雌はやすかたと鳴いた。ある時猟師がその雄を捕らえると、メスはそれを悲しんで啼いたが、まもなく猟師も非業な病に倒れた。里人は恐れて塚を立てて祀った。後に勅使が下って三角相という桶にこの善知鳥安潟をとらえ、大神宮に祀ったという。一説にはこの鳥は海鳥で、砂の中に巣をつくり雛を養育し、母鳥がうとうと呼べば、子鳥がやすかたと答えるという。
類似事例

ヘキレキボク
1976年 広島県
推古天皇の36年に、安芸国で昔より祟るといわれている古木を切ろうとした。雷雨が始まったので、切れと命令した人が祟るなら私を祟れと言った。すると雷雨が止み、木を切ることができた。
類似事例

サネカタヅカ
1956年 宮城県
在中将藤原実方は長徳元年(995年)3月、東山の桜狩りに「桜狩り雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の蔭にかくれむ」と詠み、絶唱と称えられたが、衆の前で藤原行成に「歌が美しいがおこの者なり」とけなされ、実方は怒って行成の冠をつかみ、紫宸殿の廊下に投げる。一条天皇の怒りにふれ、陸奥の歌枕見て参れと陸奥守に遷され、多賀国府に下る。同4年11月、出羽に阿古耶の松を訪ねての帰途、名取郡笠島の道祖神の社前を通り、邪神として乗り打ちしたところ、馬が棒立ちとなって落馬し、今、仮宿と称する民家で死ぬ。享保7年(1722)11月4日五代藩主吉村が詣で塚を修築。
類似事例

ブットウ
1974年 奈良県
文徳天皇の頃、斉衡2年に東大寺大仏の頭が理由なく墜ちたという。
類似事例

ダイジャ
1983年 岐阜県
天皇が落ち延びてきた先で大蛇に襲われた。天皇の情勢が険しくなったとき大蛇のいた木が爆発し、大蛇が飛び散った。そして天皇は助かった。
類似事例

レイム
1967年 福島県
春日四社宮は仁明天皇の御宇、藤原政朝が霊夢により岩瀬郡鉾衝宮で通夜した時白鹿の神助があり、嘉祥3年11月14日下底岩根に建てられた。
類似事例

スガル,カミナリ
1974年 愛媛県
栖軽は雄略天皇の命令で雷を撃ち鎮めたが、そのまま死んでしまった。その死後に彼の忠信を賞賛して、雷が落ちたところに碑を建てた。その碑には取雷栖軽之墓とあったが、この雷が怒って鳴り落ちたところ、逆に捕らえれたという。
類似事例

スミヨシノマツ,ジャホウ
1983年 大阪府
戦国時代に南蛮の王が日本を傾けようとして、邪法(キリスト教)を流布させようとしたのだが、住吉大社の松が一夜のうちに66本枯れたという。これを神主が朝廷に奏聞したところ、朝廷は織田信長に異国襲来の恐れがあると、キリスト教布教を禁止させようとした。しかし信長は一旦認めたものをすぐに禁止すると軽んぜられるとして拒否した。だから明智光秀に殺されたのだという。
類似事例

テング
1968年 群馬県
角落大権現には天狗が住む。行者が宮を建てろと言ったので建てた。大門の木を総代の人が勝手に切ったところ、その人は奥山で炭焼きをしているときに、崖から転落死してしまった。村人は天狗山の木を勝手に切ったから投げられたのだ、と言った。
類似事例

ショウグンヅカ
1977年 京都府
桓武天皇が、平安京が長久であるようにと、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に西向きに埋めた。泉涌寺の上にある塚がそれである。鳴動したのは、保元元年は大乱の兆しとして。治承元年は平清盛の福原遷都の兆し。明応2年と享禄3年の時は、ともに足利将軍の時代であった。慶長3年の時は、豊臣秀吉死去のためであった。
類似事例

シンボク,マツ,シンバツ
1976年 千葉県
文化の始の頃、下総国海上郡銚子郷から2、3里ほどの所で、ある寺で普請の為棟木を求め近所の社の松を伐ったところ、側の楠に松が倒れ掛かりそのまま楠の幹に付いた。神主や寺僧は発熱して6,7日で発狂して死んだ。松を伐った人も発熱したが、命乞いをしたので助かった。下野の飯岡古崎神社にも同様の話がある。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内