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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ
1975年 福岡県
斉明天皇が治世6年目に死んだ後、朝倉山の上に大きな笠をかぶった鬼が喪儀を見ていたという。

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(カミノイカリ)
1974年 福岡県
斉明天皇と中大兄皇子が朝鮮征伐の為に軍勢を向け、途中九州で朝倉橘広庭宮を造ったが、その時朝倉神社の木を伐ったので、神は怒りをなし、斉明天皇はこの朝倉宮で死んだという。
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オニ
1975年 三重県
坂上田村麿は天皇の命令によって、鈴鹿山で鬼を討ったという。
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アカネコ
1996年 石川県 
小松のある家の爺が赤猫を大事にしていた。ある日赤猫が「前田利常公が死ぬと葬式には嵐が起こる。その時、金銀を盛り上げて作った花が飾られるから、人がいなくなるまで待って、持って帰りなさい」と言った。爺はそのとおりにして、裕福に暮らした。そのときに大風で棺の蓋が飛んできたのが葬棺山。
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ガイコツ
1928年 富山県
天智天皇の6丁卯年、役行者が34歳のときに剣嶽に登った。そのとき、9尺5寸ほどもある大きな骸骨を見つけた。その骸骨が持っていたものを行者がとろうとしたが、とることができなかった。それでもこれをとろうとして苦練修行を続けて倒れた行者に天からの声が聞こえた。その声が言うには骸骨は行者が更生する前の姿で、第3生のものであるという。第5生、第6生のものもあるらしい。行者は7度更生している。
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エイコ,カルアシ,ツチグマ
1969年 京都府
推古天皇の時代、丹後国の三上ヶ嶽に、英胡・迦樓夜叉・土熊という鬼が住んでいた。そこで天皇は麿子親王に命じて征伐させた。誅した後、鬼のうち土熊を岩窟に封じた。これが今の鬼ヶ嶽だという。
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バケネコ,クヮシャ
1978年 宮崎県
米良山で大正年間に夜中に死者を家から2里以上離れた墓地に運ぶ途中に棺を下ろして休んだところ、黒雲におおわれ化け猫(カシャ)に死体を奪われた。埋葬の時は墓地に埋めるまで棺を下ろさないことになっている。
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ウシオニ
1992年 山口県
天徳2年(958年)、新羅国の牛鬼が鬼ヶ城山に砦を築いて里人に危害を与えていた。その頃、大歳神社の宮司の娘を鬼ヶ城山の鬼が見初め、夜毎のぞき見するようになった。10月14日の夜、宮司は鬼の片目を弓で射た。鬼は山へ逃げ、頂上で死んだ。それ以来、鬼ヶ城山の頂上には片目の蝿が出るようになった。
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カメ,ダイカイリュウオオカミ,ダイカイリュウダイジン
1995年 愛知県
明治42年9月10日に身長約6尺、幅3尺7寸、重さ13貫という大きな亀が瀕死の状態で小佐の浜に上がった。その亀は事前に浄土寺の亀岳鶴翁和尚の夢に白髪の老人となって現われ、自分を神に祀れば諸願成就を約束すると言っていた。和尚はこの亀の死後大龍神大菩薩として寺のケヤキの根元に埋葬し供養した。またこの亀の背には奉大海龍大神という文字と共に伊賀上野町の谷村佐助ら一族の名が書かれていたが、これは病気平癒を願った佐助が伊勢神宮に祈願したところこの亀がやはり白髪の老人の姿で夢に現れ大海龍大神を名乗り、のちに亀の姿で現れ病を平癒せしめた際にこれを喜んでその背に書いて海に逃がしたものであるということだった。のち、この神に祈願すれば生活に関することで叶わないことはなかったという。
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ケモノ
1980年 静岡県
遠州見付の天神さまに、人身御供の風習があった。通りかかった六部がお告げを聞いて、お告げ通りしっぺい太郎という犬を娘の代わりに箱に入れて連れて行く。しっぺい太郎は娘を食べようとやってきた獣をやっつけるものの、傷を追って、観音山まで来たところで息を引き取ってしまった。あるいは、観音山まで来たところで、しっぺい太郎は六部と大木の下で眠っていた。すると突然しっぺい太郎が吠えだし、六部に飛びかかろうとしたので、六部は鉄砲で撃ち殺してしまった。しかし、しっぺい太郎は木の上の大蛇に飛びかかろうとしていただけであったとも言う。
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ヌエ,サルガミ,ヘビガミ,イヌガミ
1931年 愛媛県
源頼政の母の病が重かった頃、頭は猿、尾は蛇に似た鵺という怪獣が京都の紫宸殿に現れ、頼政が退治を命じられた。仁平3年4月7日、頼政は母から贈られた矢で鵺を射落とした。その夜、母は他界したが、鵺は現れなくなったという。退治された鵺は斬られて摂津の川尻へ流されたが、四国に流れ着いて祟りをなしたとか、頭は讃岐に着き猿神に、尾は伊予で蛇神に、手足は土佐、阿波に着いて犬神になったともいわれる。
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ダイジャ
1941年 岐阜県
筆者の母が維新前に聞いた話。ある朝、町の者が松倉山へ登った所、1匹の大蛇が死んで横たわっていた。この話は町中に広まり、2・3人の物好きが見物に行った。それからというもの、松倉山には大蛇の死骸見物に行く人が絶えなかったという。
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マセキ,ホウセキ,オニ
1943年 山形県
推古天皇の6年、午の年、羽黒山の後の鬼名澤というところに麻石という鬼が現われて、人を悩ませた。能除太子が8月にこの鬼を封じたが、翌未の年に男鹿の島に包石という鬼が住み始めたので、太子は6月15日にこれも封じた。
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アッキ
1975年 京都府
源頼光は天皇の命令を受けて、大江山にいる悪鬼を討ったという。
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シュテンドウジ,イバラキ
2001年 京都府
正暦3年3月26日に大江山に登る。鉄門があり、酒田公時が打ち破る。都から持参した銘酒を鬼に飲ませる。酒呑童子は肴に人間の腕を取り出す。酒呑鬼は17、8歳に見える美男であった。酔って奥の一間に入り、正体を顕して寝入る。丈は9尺8寸もある。各々声をかけ目を覚まし、一言王の怨みと言い首を打った。その頭は天に飛び上り、頼光の頭に食いつく。渡辺綱は茨羅鬼の部屋に入る。茨羅鬼は綱の姿になる。大勢押しかけたがどちらが本物かわからない。頼光が都の綱には額に痣があるといい、急に眉間の上に痣の出たほうを退治した。外の鬼も撫で
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オニ
1996年 新潟県
鮭がたくさん上ってきたが、近くの山の鬼が現れ、鮭が登ってくるところに立ちはだかって、手づかみにして食べた。この時鬼が発する声を聞いた者は、血を吐いて死ぬといわれた。
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ヨウキ,キジン,ウナギ
1929年 岐阜県
今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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(シンボクノタタリ)
1977年 高知県
神木で仏寺をつくる事は恐ろしいことがある。斉明天皇の時には朝倉神社の木を切って祟りがあった。
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イワ
1937年 福井県
朝倉義景の墓のそばに、亀の形をした石がある。その上におにぎりの形をした石がある。義景の魂だといわれるおにぎり型の石には、命日の日に上の石が当たってものすごい音がするという。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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オニ,ハシヒメ,キシン
1974年 京都府
攝津守頼光の時人が消える事が続発した。よく調べてみれば嵯峨天皇の御宇にある公卿の娘が嫉妬の為貴船の社に願を掛け、鬼のような姿で夜宇治川へ向かった。その姿を見た者は死んだ。三七日宇治川につかると生身の鬼になっていた。その後、妬む女や自分をもてあそんだ男の親類など、思うままにとり殺していった。
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