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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ヘキコ,ヤモリ
1979年
芳野金陵の『芳野金陵譚古書餘』の「紀阿市事」という文章の中に、釘打ちされた壁虎(ヤモリ)が、雌のおかげで生き長らえているのをみて、大いに感じ入ったとある。

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エンテイ,ヤモリ
1979年 大阪府
浪華にある夫婦がいた。時に夫が悪い病気にかかったので、妻に他に嫁ぐように勧めるも妻は承知しなかった。ある日、妻が屋根を見上げると1匹の蝘蜓(ヤモリ)が釘で打ち付けられているのに、なおも生きていた。よく見ると雌の蝘蜓が餌を運んでいるので死なないのだと分かった。
類似事例

ヤモリ
1979年
藤本藤陰という人物が下総のある村で家を建てたとき、誤って守宮(ヤモリ)を板に打ちつけた。しかしその板が腐っても守宮は生き続けた。よく見ると雌とおぼしき守宮が餌を運んでいたので、生き長らえたのだろうという。
類似事例

ヤマワロ
1950年 熊本県
山道で馬が動かなくなり、前方を見るとヤマワロが大木を揺らしていた。石を投げるとヤマワロの額に命中して死んだ。驚いてヤマワロを持ち帰り、山法師に相談したところ「そのヤマワロは組離れしていたので大丈夫だ」と言われ、果たしてその後何事もなかった。
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タヌキ
1976年 新潟県
鉄砲撃ちから狸を買って吊るしておいたところ、死んでいた狸が生き返って眼を剥いて唸った。鉄砲撃ちに聞いたら、「この家に妊婦がいるだろう。身持ちの女がいるところに行くと、死んだ狸は生き返る」といわれた。実際、その家には身重の嫁がいた。
類似事例

リュウ
1932年 奈良県
ある美男子の許に、ある夜美しい女が尋ねてきた。2人は夫婦となり子も生まれたが、男は妻について、草履が濡れている事と、井戸で水鏡をしている事を不審に思っていた。ある時それを尋ねたら、妻は亀山の原の池に牡竜とともに住む牝竜の化身であり、池が井戸とつながっているのだと言い、池へ帰ってしまった。池を訪れ妻を呼ぶと牡竜が現れ男を食おうとした。逃げ帰ったが病に倒れ子とともに死んでしまった。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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リュウ,メオトイワ
1964年 愛媛県
昔、ある老婆が竜の仕業とされていた、どれほど川が流れても離れない夫婦岩を見に行った時、竜に会ってしまった。その後、病気を患って死んだという。
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ヤモリ
1979年 静岡県
西村白烏の『烟霞綺談』という書物によると、宝暦12年(1762)の春に遠江の金谷駅横山氏において、25年前に雨よけの板に打ち付けられていた守宮(ヤモリ)が、いまだに生きていたことが書かれている。
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スイコ,スイジン,ヒヤウズエ,シンペン
1974年 宮崎県
日向国下北方村の人が語るに、水虎は生きているのに会えば必ず病気になる。知らなかったとしても身の毛が立つ。たとえ鉄砲などが不意に当たったとしても死骸は見つからない。猿には弱く、猿もこれを捕らえようとする。
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ヘビ,ウロコ
1992年 富山県
助けられた蛇は恩返しの為に、その男の妻となって子供を産んだ。その子孫は長男だけではあるが、脇腹に鱗が3枚ずつ生えている。そしてその痕跡は残っている。
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オトウカ
1982年 群馬県
明治の初め頃の話。向原の人が大原の市へ行く途中、昼寝していたオトウカを法螺貝で威した。その帰り、酒を飲んで古井戸に落ちた。老夫婦が、助けを求める声を聞きつけて行ってみたが、声は表に行くと裏、裏に行くと表から聞こえて、わからなかった。翌朝、鉄砲撃ちに捜してもらって、古井戸の中に、生きているのが見つかった。オトウカに仕返しされた。
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リュウ
2001年 静岡県
永江院の、藤原棟教の彫刻の竜が娘をさらったので、眼を釘で打ちつけ、金網を張った。
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オゾキモノ
1976年 兵庫県
但馬国氷の山の麓の鵜縄村の女が童2人を連れて草籠を負って谷筋に入ったら、橋の下に長さ7尺程のものがいた。恐ろしくなり逃げ帰ったが、そのことを聞いた村人が獲物を手に向かったところ、とてもおとなしいものであった。よく観察すると角が1つ生え、手足があり、体は木の葉の色に金の光を帯び、写し絵の青竜のようであった。撫でてやると喜んでいた。
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オシドリ,ユメ
2002年 栃木県
大町の鴛鴦塚の記載。昔阿蘇沼が大きかった頃、鴛鴦が住んでいた。菰に隠れ連れ添っているところを近くの猟師が見つけ、雄の首を射切った。雌は驚きその首を羽に挟んで去った。その夜、猟師は鴛鴦が来て鳴き責める夢を見て、苦痛を発し、吐血して死んだ。猟師の妻はそのため尼となり、弔いのため塔を建てた。それが今もあり、鴛鴦塚と称するという。
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コマジシ
1928年 京都府
石の高麗獅子に性が入って宙を飛び、町に行った。そこで獅子は悪さばかりして暴れまわった。浪人がその獅子の足を切ると、獅子は倒れたがすぐ立ち上がって逃げていった。翌朝見ると、高麗獅子の足が切れ、血がにじんでいた。
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ダイジャ
1965年 高知県
鉄砲の達人の「せっしゅのおかね」が、夫が山に行って帰らないので、お守りと鉄砲をもって探しに行った。鹿の皮の中の笛を吹いて獲物を呼ぶと、ブスブスと音が近づいてきた。この正体は大蛇に違いないと待ち構えると、火の玉が二つ近づいてくる。鉄砲を撃って木に登ると、火の玉は大蛇の両眼で、おかねは生臭い匂いをかいで眠たくなった。お守りの力で目覚めると、大蛇は隣の木に登っておかねを飲み込もうとしているところだった。鉄砲で撃ち殺して腹を割ると、夫がいた。
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ダイジャ,アカイ
1983年 京都府
鞍馬寺の寺記によると、延喜年中に寺主だった峯延和尚が或る年の5月に、大蛇に遭遇した。和尚を呑もうとしたので、大威徳明王の法や毘沙門の呪を唱えると、蛇は自ら倒れたが、雌の大蛇は助けた。そこで和尚が言うには、この山は水が欠乏するので水を施せと。蛇は誓って去ると、忽然として清らかな泉がわき出た。それが閼伽井である。
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カエル,ヘビ,ロウバ
1941年 秋田県
百姓が蛇に食われかけた蛙を「娘を嫁にやるから」といって助けた。蛇は人間の男に化けて待っていたが、娘が千本の針でこれを殺した。その後、娘は山道で迷い、山小屋に住む老婆に助けられた。最後に娘は、長者の息子に一目ぼれされて、嫁となった。老婆の正体は百姓が助けた蛙だった。
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マンコウ,サイノカミ
1931年 岩手県
駒木のミゾロヶ池の山奥にナガシダというところにマンコウという美女がいた。この女を見初めた旅の馬喰と共同生活をしていたが、男が山で殺されたのを悲嘆して山を降りようとした。その途中の地獄山というところで産気づき、男の子を産み落としたが、産み落とすと同時に、大鷲にさらわれてしまった。女はミゾロヶ池のほとりに住み、後にサイノカミとなったといわれている。
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エンコウ
1955年 島根県
正保の頃、那賀郡今福村宇津井の庄屋が川岸に馬を繋いでおくと、毎晩えんこうがこれを解く。ある日、馬屋に行くと、桶の中にえんこうがいたので、捕まえて打ち、結局許したが、やがて庄屋は病に伏した。夜な夜な庄屋の名を呼ぶ声がするので、声を頼りに追いかけると、橋の袂でえんこうと組み打ちになり、ついに組み伏せた。
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