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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ギョウニンザカ
1956年 宮城県
澱橋通筋違橋から千貫沢に沿い、山屋敷に通ずる坂。路傍に行人塚があった。元禄の頃、その亡霊が伊達綱村の茶席に現れたという。

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タヌキ
1960年 神奈川県
ある寒い冬の夜、一人暮らしの老婆の家に年を取った狸が来て囲炉裏にあたった。次の日も来たので老婆が狸に火を投げつけると驚いて逃げたが、坂の途中で死んだ。その坂を火の坂という。後に水車業を営む人が陽原から久所に通ずる坂の下に穴を掘って祀った。
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オボウサンノタタリ
1990年 山梨県
役場の手前にある国道のトンネルの上に塚がある。それは、お坊さんが徳和のブラクへきて、煮えた粟をかけられて便所へ飛び込み、そこから出て来て、塚のところまで行って亡くなった。その時にこの祟りは必ずするといった。そのあと、何年おきかに徳和ブラクは火災に遭い、話者の小さい時や、20年くらい前にもお坊さんの祟りでそういうことがあった。
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オウギザカ
1956年 宮城県
仙台城二之丸の都城口の東へ扇状に開いている坂。県スポーツセンターの西向かいにある。その下の筋違橋は、足長小僧の怪で知られ、坂路に人間の生首が転がっていたという。
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デイダボウ
1984年 埼玉県
昔、デイダ坊という大きな人がいて、粥を煮たころが坂本の粥新田(粥煮田)峠で、腰をかけた所が大霧山。粥の箸を立てたところが二本木峠で、すげ笠をとってかぶせたのが笠山になり、足跡は沼になったといわれている。
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フリソデザカ
1956年 宮城県
生前に法華経を信仰していた仙台城下大町の町人の娘が、死後亡霊となって身延へ参る。富士川べりで、陸奥に下る身延の千ヶ寺参りに会い、振袖の片袖を千切り、これを証拠に仙台の実家を訪ね念願が叶って身延山に着いたことを知らせてほしいと頼む。千ヶ寺参りが仙台の娘の家を訪ねると四十九日の日であった。両親は振袖の片袖を榴ヶ岡釈迦堂のうしろに埋めて塚を築く。これを振袖塚と称し、仙台管区気象台と県図書館の間の坂を振袖坂という。
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イリヤノセンニンヅカ
1956年 宮城県
入谷村は昔から金鉱の町として繁栄した。貞治年間(1362~68),女郎を坑内に連れ込んで酒宴を催し,山の掟を破ったので坑道が陥没し,鉱夫が数百人圧死した。その供養のために築いた塚が現在大船沢字信倉に千人塚として残っている。
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ツカ
1991年 山梨県
村人が膳・椀・金などほしいものがあるときには塚に行って頼む。翌朝にはそこにある。しかし、不心得者がいて膳椀の1部を返さなかったためにそれからは貸さなくなったという。1説ではこの塚の近くに老婆が住んでいたという。
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ボウレイ
1975年 富山県
越中国新川郡の立山に願ったら思う人の亡霊が見えるという。元禄のころある人が山に上り禅定して帰路日が暮れたので山中で念仏していると食事を与えてくれる人がいた。周りに人家がないので器をもって下山し里人に見せると、七日前に死んだ人の物だった。
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タカミチノヒ
1956年 宮城県
寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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エンマドウヨコチョウノカイ
1956年 宮城県
明治の中頃,附近一帯の道路工事に伴って泥沼を埋め立てた。工事完成の数日後,夕方そこを歩いたら髪を振り乱した白い葬衣の女が現れて,何か訴えたげにしていたのを見た者が出た。昔塩竃明神の火災の時,この池にお釜が飛んできて埋まった。明神を信仰していた門前町の妓楼の遊女も焼け死んで,その魂がお釜に縋ってここに埋まったので,今回現れた女はその幽霊だということであった。一方,その幽霊は塩竃の遊女ではなく,近くの弓ノ町が遊女町であった頃無残な死に方をした女があり,その墓石が道路工事で古池の傍らに埋められてしまったために怨んで現れたという噂もあった。円福時近くに住む丹野某と言う請負師がこれを聞いて古池近くを掘らせるとそれらしい墓石が出土,これを厚く弔うとその後幽霊は現れなかったと言う話も行われている。
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タタリ
1992年 宮崎県
チンチン坂は六部が行き倒れになったところ。六部を葬った塚の周辺の家で不幸が続いたので、お寺に供養してもらい、お坊さんの指示で石を供えた。その後その家も転居し、塚は宅地造成でなくなった。
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キョウガミネ
1956年 宮城県
萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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オヤマジョロウ,カワウソ
1985年 愛媛県
梢川の石橋にはお山女郎が出る。夜石橋の上に真白に化粧をして、竹かごを下げた娘が佇み手招きをする。近づくと振り返り、振り返り先に立ち、十間ほど歩いて村の墓に通ずる上り坂にさしかかると消える。カワウソが化けたのではないかという。
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オヘンロサン
1984年 愛媛県
坂の谷に遍路墓があったが、予讃本線開通の時に墓石を土中に落とし込んで埋めてしまった。ある人夫が病気にかかり、祈祷師に拝んでもらうと、お遍路さんが祟っていると告げられた。墓石は掘り出されてもとの場所近くに戻された。
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イットノサカ
1987年 長野県
夫神から逃げてきた白山さまは,当時湖水であったこの地で石の船の下に隠してもらった。いくら探してもわからないので夫神様は追うことをあきらめてしまった。そこでこの場所を「縁切り坂」「縁遠坂」といい,「いっとの坂」となまった。昔はここに「縁切り地蔵」が立っていて,嫁入りの時に前を通ると縁を切られるというので脇を通っていった。
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ヒメ
1989年 山梨県
昔、百姓が水をくみにいくと、どんなに早く行っても誰かがくんだ後のようなので、おかしいと思って水のたれた後を追っていくと、古屋の山の麓のほうへ見えなくなった。宵のうちから待っていると、お姫様が現れ、水を汲んで古屋の山の神の方に消えた。その後姫の姿が見られなくなると、池の水も自然となくなり、今は坂だけが残っている。それが御姫坂の名の由来。
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シュテンドウジ
1988年 奈良県
白毫寺の稚児が死人の肉を切り取って師の僧に勧めた。僧は知らずに珍味と喜んだので、稚児は奈良の町に出て人を襲い、師の僧に肉を差し出すようになった。僧は稚児の跡をつけてそのことを知り、縛って山に捨てた。その坂を稚児坂と言う。その稚児は大江山にいき、酒顛童子となったという。
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サカサヤツハシノイケ
1956年 宮城県
元禄の頃(1688~1704),清水小路の連坊小路寄りに浅間某と言う大身の侍の屋敷があり,八ツ橋の池と言う小沼があった。浅間某はこの池の辺の離れ家に綾目という愛妾を住まわせ,彼女を大変愛していた。しかし本妻撫子は嫉みから情夫大橋某と共謀して綾目を殺害,池の泥深く埋めた上,主人には綾目が不義を犯し出奔したと讒訴した。その秋,浅間某が歌舞妓五月女を宴席に侍らせた。五月女が化粧をしていると鏡に自分ではなく姉綾目女の顔が映る。他人に見せても五月女の顔に違いないと言うので不思議に思っていると,その夜の夢に綾目女の霊が現れ,自分は殺されて池の底に埋められている,怨念を果たしてほしい,と話して消えた。この話を聞いた主人が池の底を浚わせたところ,愛妾の遺骸が出てきた。五月女が再び鏡に向かうと,杜鵑が一羽そこからとび出して西の方に飛び去った。また,池の水がそこに通ずる小溝を逆に西の方に流れるようになったので,これを逆川(サカサ)と呼ぶようになった。
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アンザノサカ
1974年 愛知県
三河一宮の砥鹿神社への道途中にアンザの坂という場所がある。ここでは首を吊った人がぶら下がっていたのが見えたという。
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ヤマブシヅカ
1984年 長野県
恋仲になった家臣と姫がいた。家臣が山伏の姿となって落ちのびるが、その先で男は死んでしまった。山伏を葬って女は尼になった。終戦後ここを通った旅僧が山伏塚を見て霊験を感じ、西の方角に向って念じよと言い残していった。
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