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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

クマノゴンゲン
1958年 香川県
行基が塩江町最明寺に逗留した時、行基の前に白髪の翁が現れ奥の山に薬泉があると教えた。行基が名を問うと熊野権現であると答えて消えた。

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ジカクダイシ,ズイウン,セイリュウ,リュウトウ
1974年 東京都
慈覚大師が東方を行脚していた時に浅草寺でしばし逗留した。ある日白髪の翁がやって来て、東北に霊地があって、私はそこに霊像を安置した。その像は伝教大師が作ったものだと言い終わると姿を消したという。そこで慈覚大師が東北に向かったところ突然瑞雲が立ち、青竜が雲から現れた。庵に入り、仏像を拝んだ。慈覚大師は青竜に対して、ここに寺を造るので加護してほしいと告げる。それを聞いた青竜は姿を消した。その後は時々竜燈の奇瑞が起きるという。
類似事例

クマノジンジャ
1956年 宮城県
平安末、仙台市と名取市の境の前田に1人の巫女がいて紀州の熊野に年参りをしたが、老後長旅に堪えず、保安4年(1123)、名取川を音無川に見立て、岸に新宮証誠殿、その西に本宮、高館山に那智権現を勧請して、熊野三所権現と称した。巫女は老いて名取老女と呼ばれた。あるとき、熊野の修験が陸奥に下り証誠殿に参籠すると、枕辺に子童が現れ、陸奥に名取老女がおり久しく見えぬが、これを渡してほしいといって消え、枕辺にナギの葉があって「道遠し年もいつしか老いにけり思い起こせよわれも忘れじ」と三十一文字が書いてあった。修験が陸奥に下って老女にこれを伝えると、感激に涙を流して三社を案内したという。
類似事例

ギョウキノトク,タタリ
1975年 徳島県
阿波国海部郡比和左村薬王寺から土佐国までの間の八坂という地に、行基庵がある。昔この地を遍歴していた行基が、鯖売りに鯖を1尾乞うたが、鯖売りは行基をののしった。そこで行基が、鯖売りの馬が病気になるという歌を詠むと、たちまち馬が病気になった。あわてた鯖売りが無礼を詫びたので、馬の病気が止むという歌を行基が詠むと、すぐに病気は治ったという。皆がその徳に感嘆し、行基のための庵を結び、その御影を写し本尊にしたところ、多くの人が参詣したという。
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ユメ,コンジキノヒカリ,ハクエヲチヤクセルオキナ
1983年
賢心という僧が夢の告げに従って淀川の辺に行くと、一つの流れに金色の光があった。その源を探して遡ると一流の滝に着き、不思議に思って側を見ると庵の中に白衣を着た翁がいた。200年そこに住んだというその翁が大悲の応現だと悟った賢心は、翁の願い通り大悲の像を安置することを決心した。
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カンノンノミズ
1932年 長野県
明治10年頃のこと、塩尻峠を登っていた若い躄が、清水の湧き出る場所で水を飲み、ふと見上げると観音様がいた。彼は近寄って額づいていたが、そのまま深い眠りに落ちた。目を覚ますと躄は立ち上がれるようになった。この噂が広まり、観音様をお参りする者が日に日に増えたが、供え物をめぐって人々が争うと、観音様は忽然と消えてしまったという。
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ビャクダン,タイシャクテン
1939年 京都府
金色の光の源を突き止めてみると、そこに芳香並々ならぬ白檀の木があった。ひとりの老翁が現れ、和気清麿に「ここに精舎を建立せよ」と言う。翁が消えると白檀の木は帝釈天の像になっていた。
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タケ
1940年 山形県
温かい慈悲の心をもち、慎ましく生活していたお竹が亡くなった。ある日、湯殿山に詣でた人の前に姿を現し、訓話を残した後、消えうせた。
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コウボウダイシ
1967年 福島県
この地では山中の水を汲みそれを煮て塩を作っていた。こんな山奥で塩の井が出ることは土地の人にとっても不思議なことであった。これは弘法大師がこられて尊い術で山奥まで潮を運んでくれたのだという。
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チセン
1980年 群馬県
上州伊香保にある温泉に1人の樵がいたが、周りの住人は彼の年齢を知らなかった。その地の古老が言うには、彼は源義経の旗指で、奥州合戦の時に義経とともに蝦夷の地に逃げた。義経は彼の忠勤を称えて、常陸坊海尊の伝えていた灸の技術を彼に伝え、彼はそれによって地仙となり長寿を得たという。
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リュウジョ
1970年 香川県
行基菩薩が説法をしていた時、竜女が姿を現し、玉の笄を残して天上した。後の玉の笄を笠山の峰に埋めて竜神を祀った。夏に旱魃になったとき、この峰に祈れば必ず雨が降るという。
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ヤマノカミ,ユメ
1941年 朝鮮
大同郡秋乙美面美林里の病人の夢に、白い着物を着た山神が現れて、一里先の小高い山で最初に目に付いためずらしいものを、食べるものなら食い、飲めるものなら飲めと言った。そこで行ってみると清水があり飲んだ。数日続けると次第に快復した。世間にも官にも知らせ、大kの人がその薬水を汲んでいくようになった。
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ギョウキ,テング
1952年 静岡県
光明山は夜、常に霊光を放つので「大鏡山」ともいう。行基菩薩が登山した際、白髪長髯の老人に出逢った。何者かと問うと、笠鋒坊権現と名乗り、火防の守であると答えた。これが行基菩薩と先明天狗笠鋒坊権現の開創ということになる。
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キノシタノヤクシ
1956年 宮城県
朝鮮の役に政宗の軍勢が肥前の名護屋を出航したとき、薬師如来が支那に学問修行しにいく僧に化身して便乗して玄界灘を無事乗り切るよう保護し、帰還のときも同乗して守ってくれた。往復ともに僧は「陸奥木ノ下の僧」とのみ答えて名を言わなかった。
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(ダイホウシ)
1981年 東京都
牛込山伏町に住む朝倉八十五郎という者が帰宅しようとした時、門前に大きな法師が立っていた。八十五郎は驚かずに、挨拶を言いながら袖の下を潜って入ろうとすると、この大法師は忽然と消えてしまったという。
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ヤクシニョライ
1963年 山梨県
行基が諸国行脚のおり、柏尾に至り、郷人を集めて川岸の大岩の上に21日間静座してご祈祷した。その火の中に霊夢となって、左手に法印を結び、右手に葡萄を持った薬師が現れた。行基はそれによって葡萄を持った薬師如来を彫刻し、本尊として柏尾寺を開基した。
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(ムコク),アミダニョライ
1980年 大阪府
大坂内本町に住む商人・利倉屋忠兵衛は夢に3度、紀国高野山蓮花谷にある某寺の本尊・阿弥陀如来が、何日に自分の家にやって来るので迎えに来いと告げる。その日に夢で伝えられた道順で忠兵衛が行くと、1人の高野僧と出会う。彼は先の某寺の僧で、夢に本尊が忠兵衛の家に行くと告げたので来たという。2人は奇異なことだと語り合ったという。
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シンランショウニン
1979年 山梨県
ある日の夕暮れに、1人の旅僧がやってきて泊まった。翌朝、ここは清浄なところだから何日か行をやりたいというので、堂へ案内した。婆さんが家の内に水の出る所はないものかと捜していると、その旅僧が場所を示した。掘ってみると清水がわき出した。ただし、この水はこの家の入用だけしか出ず、女性が不浄の時には汲んではいけないと約束した。ある時、婆さんが約束を忘れて水を飲んだところ、水が止まってしまったが、坊さんに話して拝んでもらうと、また水が出てきた。後にこの名僧は親鸞聖人であることがわかった。
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ユメ,ハクハツナルオキナ,レイチク
1983年 京都府
精舎を建てたいと願う藤伊勢人の夢に白髪の翁が現れ、北山は天下に優れた霊地であり、ここに精舎を建立すれば利益無量だと告げた。翁に名を問うと貴船の神と答えた。夢から覚め、その場所を知るため白馬に鞍を置き、白馬は霊畜だから夢で見た場所を知るはずだと放すと、確かにその場所に着いた。
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ノギツネ
1973年 群馬県
上野国に幸菴と号する白頭の翁がいた。彼は128歳といい、常に仏説で人々を教諭し、また人の吉凶禍福や将来の事を的確に答えたという。しかしある時、入浴しようとした湯が熱かったため、彼が飛び上がったのを見ると、全身に毛が生え、尾がある老いた野狐だった。
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シオノヤクシ
1956年 宮城県
塩出山の下に塩水が湧き、1人の老僧が塩を焼いて12人の童子に命じ村人に分け与えた。この塩によって村人は病気が治ったので、老僧を薬師の化身としてまつり、塩の薬師と称した。塩の湧いたところを塩河原、塩を煮たので塩出と呼んだ。
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