ギョウキノトク,タタリ 1975年 徳島県 阿波国海部郡比和左村薬王寺から土佐国までの間の八坂という地に、行基庵がある。昔この地を遍歴していた行基が、鯖売りに鯖を1尾乞うたが、鯖売りは行基をののしった。そこで行基が、鯖売りの馬が病気になるという歌を詠むと、たちまち馬が病気になった。あわてた鯖売りが無礼を詫びたので、馬の病気が止むという歌を行基が詠むと、すぐに病気は治ったという。皆がその徳に感嘆し、行基のための庵を結び、その御影を写し本尊にしたところ、多くの人が参詣したという。
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レイム,シンリュウ 1983年 大阪府 聖武天皇が、平城京の西に救世観音象がおわす霊夢を見、行基に命じてこれを求めさせた。行基が誓いを立て深山に分け入ると、十六童子に導かれてある場所へ至った。その時山川震動して神龍が現れ、観音と自らの掌を行基に与え、仏法守護を誓った。話を聞いた天皇は尊崇し、寺を建てて像を安置した。
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ツエ 1925年 高知県 長岡郡西豊村の薬師堂に、行基菩薩が登山の折に携え来た杖を挿した。その杖が成長して逆さ杉と呼ばれている。
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ヤクシニョライ 2000年 愛知県 医王寺の薬師如来は行基が作ったものといわれる。昔医王寺に盗賊が押しかけ、薬師如来像や宝物を盗もうとしたことがあった。そのとき1人の坊さんが盗賊の前に立ちはだかり、盗賊たちをなぎ倒し追い払った。この時の坊さんは実は薬師如来が姿を変えたもので、像には盗賊につけられた刀傷が腕に今も残っているという。
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レイオン,レイコウ,セイジン 1929年 東京都 聖武天皇の頃、行基菩薩が遊行で際現村山貯水池近くに至った時、樹林の間から千手陀羅尼(経文)を唱える声が聞こえた。菩薩は樹に掛け霊音を感じつつ経文を唱え、夜四度目を繰り返した時異香が四方に薫り霊光輝き千手千眼の聖人が現じなされた。菩薩は感極まってその後千手の尊像を造った。(山口観世音縁起)
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マンダラ 1936年 長野県 松尾の部落の山畑である老翁が婿と畑打ちをしていたとき、崖のうえに曼荼羅がかかったのが見えた。老翁は「やれ有難や松ヶ尾の薬師」と叫んだが、婿には何も見えなかった。この崖の上には藥師堂が建立されることになった。
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レイム 1967年 福島県 小手五岳の1つ、女神山に信夫城主左藤庄司の娘が薬師の尊像を背負い登ったところ、糠田村の村民18軒が一同に霊夢を蒙り、互いに奇異の思いをなしてこの峰に上ったところ霊夢に見たように女が薬師尊像を仮堂をいとなんでいた。その後この地に薬師堂を建立した。
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センジュカンノン,ジゾウボサツ 1984年 愛媛県 養老年間に磯崎浦のある漁師が、突然大地からわき出てきた千手観音、地蔵菩薩の像を見つけて、出石寺を創建した。
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センジュカンノン 1929年 東京都 嵯峨天皇の頃、弘法大師が山籠の為山口村貯水池辺りを通過の際、樹の下に休んでいる白髪の老人にあった。「我はこの山の主で行基菩薩が感得して造り出した千手観音だが、風雨にさらされているので堂を造りたまえ」と述べ、その霊感をうけて大師は樹林の中に千手観音をみつけると、草堂を造った。(山口観音縁起)
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ショウジンブツ 1928年 奈良県 役行者の修練時代、吉野山を上りつめた金峰山に本尊を得るため、17日の間般若心経を唱えたところ、地蔵菩薩が現れた。慈悲円満の顔をした菩薩であったが、強剛な愚民を治めるには柔和な顔ではだめだと思った行者は菩薩を西に向かって投げた。その地蔵菩薩は伯耆国(鳥取県)の大山に飛び去り、そこの寺の本尊になったという。。
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レイム 1967年 福島県 薬師寺は建武年中、女神山の頂上から霊夢によりこの地に移したという。その頃、医王山という山号だったが、薬師瑠璃光如来の眉間放光の瑞相により眉間山と改めた。
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シガノヤクシ 1956年 宮城県 貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。
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メグロフドウ 1974年 東京都 慈覚大師が若い頃、師の広智と目黒の里で宿をとった。その夜に不動明王が現れる夢を見た広智が慈覚に言うと、慈覚も同じ夢を見たという。そこで、その姿を霊木で彫り、その地に置いた。その後、慈覚大師が唐から帰朝し、関東へ下向した時目黒の里にやって来た。その夜にも不動明王のお告げがあり、嶺の上に登って独鈷で地面を掘ると霊水がわき出した。この水は炎天にも枯れることなく、長雨でも増える事はなかった。
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ヒカリモノ,レイボク,レイム,ダルマ 1935年 群馬県 碓氷川が氾濫した時、夜中に光り物があった。翌朝見ると古木で、えもいわれぬ芳香のある霊木なので、観音様がひきよせられたのだろうと少林山の観音堂に納めた。数十年後に一了居士なるものが霊夢を見て登山し、一刀三礼の敬虔振りで霊木から達磨の座禅像を彫り上げた。その当時また碓氷川に流れよった古木があり、この古木にあった大きな穴は丁度達磨像の龕に丁度よかったという。それらの話を聞き伝えた人々の参詣が盛況を呈し、ついに寺を開いたのが少林山達磨寺である。
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キフネミョウジン,ハクバ 1983年 京都府 山城国鞍馬寺は、藤原の伊勢人が建立した。この人物は普段から観音を信仰し、観音を安置する場所を探していた。するとある夜の夢に白髪の老人が現れて、自分は貴船明神であり、かの地に安置せよと告げる。そこで伊勢人は白馬に鞍を乗せ、この馬が留まる所に建立しようとする。そして留まった場所は夢に見た所と同じで、近くにあった毘沙門天像を安置したのが鞍馬寺の始まりだという。
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ドウチヤクシニョライ 1936年 岩手県 道地薬師如来が苦病に悩む人を救おうとして川に落ちた。流れてきた仏体を持ち帰った人の夢枕に立ち、祠を建てよと言ったので、薬師神社を建立した。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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ヒカワミョウジン,ジュウイチメンカンノン 1974年 東京都 天暦年中に近江国甲賀郡の連林という僧が、東国修行の為に氷川へ来た。その日の夢に白髪の老人が現れて、地中に長年埋もれているので掘り出して安置してくれれば、この地の守護神となると告げた。そこで近辺を探してみると、ある場所が金色に輝いており、掘ってみれば十一面観音像があった。そこで社を建てて祀ったという。治暦2年の関八州の日照りでは、この社に雨を祈るとたちまち大雨となった。
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リュウノオ 1970年 大阪府 竜尾寺には竜の尾が寺宝として秘蔵されている。天平年間、旱魃に苦しんでいる人民を行基菩薩が憐れみ、雨を祈った。するとたちまちに大雨が降り、竜の尾が落ちてきた。これを祀ったのが竜尾寺であるという。
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センジュカンゼオンボサツ 2003年 愛知県 元正天皇の頃に、勘少と藤六という兄弟が網引きや釣りで生活していた。霊亀元年の春、船を浮かべ小佐が瀬で網を引き上げると、魚ではなく小石が入っていた。石を捨てて場所を変えても、同じことが七回あった。兄弟がその石を船に置いて漁をすると、大漁になった。喜んで帰り夜になると、船の中から明かりが見えた。光っているのは小石で、勘少が家に持ち帰ると、それは千手観世音菩薩だった。二人はさらに堂を建てて千手観音をまつることを願った。すると千手観音が現れ、本身が阿弥陀仏であること、行基に頼むとよいことなどを告げた。行基に頼むと阿弥陀・観音・勢至の三尊を堂に安置された。これを須佐の古寺といい、現在の極楽寺である。
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