カッパ 1992年 宮崎県 諸塚村の民俗資料館にはカッパの手が展示してある。ある家で、便所の中からカッパが手を出していたずらしたので、はさみを持って入ってカッパの手を切り取った。それが現在陳列されているカッパの手のミイラだという。
類似事例 |
|
ヒョウスンボ,カッパ 1999年 宮崎県 諸塚村民俗資料館には「ひょうすんぼの手」が所蔵されている。村の平氏の祖先が便所から出てきていたずらする冷たい手を短刀で切り落とした。ひょうすんぼとヒョーと叫んで逃げていった。その手が今も伝わっている。
類似事例 |
|
カッパ 1999年 宮崎県 河童の腕を木城の比木神社へ奉納した。
類似事例 |
|
オニ 1933年 大阪府 大阪の勝福寺にある鬼のミイラが公開された。二本の角があり手足の指は三本ずつあった。
類似事例 |
|
カッパ 1985年 熊本県 保存されている河童の手で患部をなでるとどんな病気でも治る。
類似事例 |
|
カッパ,スイコ 1974年 大分県 寛永年中に豊後国肥田で捕らえられた河童の図。原本は鍋島摂津守が所持。詞書に、皿に蓋があり、歯は亀のようで、背色も亀のようである。脇腹に立筋があり、これを持てば動けない。手足は亀のように縮み自由に曲がる。また、様々な特徴がある。
類似事例 |
|
ミソシ 1958年 石川県 河童(みそし)は人畜を害さないと約束し、神社の柱に手判をしてかえった。その跡は今も残っているという。
類似事例 |
|
カゴウソ 1956年 静岡県 田代部落では河童を「かごうそ」という。
類似事例 |
|
カッパノテハン 1956年 宮城県 昔,粕川堰に河童が棲んでいた。ある夏の午後,邑主武山氏の家来が堰で主人の馬を洗い,帰ってくるとザンギリ頭の痩せた異相の小僧がいた。捕らえてみると河童で,馬の尾に縋り付いてきたのであった。この堰ではよく子供や馬が溺れ死ぬことがあったが,それはこの河童の仕業と判明した。すぐに打ち殺そうと思ったが,河童が平謝りするので悪戯を固く戒め,証拠として白手拭に手判を捺させて許してやった。この手判は明治9年の大火まで同家に保存されていた。
類似事例 |
|
ガラッパノテ 1982年 鹿児島県 上床家の家宝として河童の手首がある。伝承が2つあり、1つは京泊から久見崎に向かう渡船に河童が手を書けたので切ったといい、今1つは泳いでいるときに河童に襲われたので切ったというものである。箱に元禄13年の銘がある。
類似事例 |
|
カッパ 1949年 鹿児島県 河童の両手は続いていて、通り抜けだという。
類似事例 |
|
カッパ 1949年 長野県 河童の両手は続いていて、通り抜けだという。
類似事例 |
|
カッパ 1949年 青森県 河童の両手は続いていて、通り抜けだという。
類似事例 |
|
カッパ 1949年 高知県 河童の両手は続いていて、通り抜けだという。
類似事例 |
|
カッパ 1930年 宮崎県 河童のことをセコボウ・ヒョウスンボ・ガラッパと言う。夏は川、冬は山に住む。1、2才の小児の様で、頭頂は皿状に凹み、水をたくわえている。人の肛門より手を入れ、ケツゴ(キモ)をとる。河童の腕はもともと猿の腕だったという。
類似事例 |
|
カツパ 1949年 熊本県 河童の腕を抜いたつもりでみたら一本の藁しべだった。
類似事例 |
|
カッパ 1991年 山梨県 さる山小屋でヒジロ辺が異様に濡れているということが何度も起こったので、抜き身の刀を持って寝ずの番をしていると河童が夜陰に乗じて現れたので、刀を払った。翌朝、河童の片手が切り落とされていた。その昼下がり1人の小娘が訪ねてきて、また、河童には河童膏という妙薬があり切り落とされた手など治るから、手を返して欲しいという。この膏薬の秘法とひきかえに手首を受け取って、河口湖へ姿を消した。
類似事例 |
|
カッパ,カッパノショウモン 1982年 新潟県 清水弥五郎家に河童の証文が伝わっている。何代か前のじいさんが馬を青海川に入れて洗っているときに河童の腕を手に入れた。河童は両手だと千人力だが、片手で掴むとすぐ抜けるという。その夜河童が腕をもらいに来たので、以降、青海の子供に悪さしないという証文を持ってこさせ、それから青海に水死人は出ていない。また、次の朝から弥五郎家の垣根の木の股に生魚が届けられたが、そこを鉄かぎに換えたらもう魚が来なくなった。河童は竜宮の乙姫様の使いなので金物を嫌うという。
類似事例 |
|
カッパ 1992年 宮崎県 御殿女中のお雪が、便所で尻をなでてきた河童の手を切り取った。河童は手を返してくれと謝りに来た。そのときに河童が書いた手形が柳川藩士の子孫の家にある。
類似事例 |
|
カッパ 1986年 大分県 河童の指には水掻きと鋭い爪があり,足には踵が無いので人間の足より短い。
類似事例 |
|