ダイジャ 1978年 愛媛県 「おそごえ」という場所には大蛇が住んでいた。ある人がそこに木を切りに行くと大蛇が出てきて、あわてて帰ったという。また信心深い人がおそごえの滝で行をしたのちに、心臓マヒで亡くなった。
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ウワバミ 1974年 大阪府 大蛇が住むという泉州谷の輪の居守山の榎の枝を薪にしようとする者がいた。榎の枝を打っていると大蛇が出てきたので眉間に鎌を打ち込み大蛇を倒して枝を持って帰った。その様子を友達に語っていたが、病気になり、20日程後に死んだ。
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ジャタイ 1985年 和歌山県 ミナミノクボという所に、大きな蛇体がいたという。ある時、ここに池が掘られた。掘りかけた池に金物を入れたら、池が掘りやすくなるというので、金物を入れた。するとその人は死んでしまったという。
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ヘビ 1957年 愛媛県 庄屋の奥さんが音なし奥という山で蛇になった。それから、主人が病んで庄屋は滅びた庄屋の田植えには必ず雨が降り、その日は庄屋に蛇が出ると言う。
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ダイジャ,タタリ 1929年 長崎県 島原の領主が雲仙嶽の山林で狩りをした際二匹の大蛇のうち一匹を射止めた後、島原地方一帯の畑が荒らされて作物の収穫が殆ど皆無になった。村人が原因の大蛇の捕獲に失敗した同じ頃、多比良にいた名医は傷を負った女を治療した。医者が助けた女は、連れ合いを殺された復讐に畑を荒らしにきて村人が捕まえそこねた先程の蛇だった。女は近々地震と津波が起こるので島原を離れろと医者に告げた。そして雲仙岳が噴火し、女の言うとおりになった。災害は大蛇の祟りといわれる。
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ダイジャ 1994年 愛知県 鵜がたくさんいる鵜の山のふもとには大きな池があり、この池の水を抜くと鵜が逃げてしまうので水を無くしたことはなかった。上野間の人が池の水を抜きにいったが、池に大きな大蛇がいたので驚いて帰った。しかし別の人が池のいりを抜き、その人は祟りで病気になって死んだ。以来、いりを抜くときは必ず御神酒を供えるという。
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サクランサク 1964年 福島県 嫁いじめで、田の草を取れば戻すといわれた嫁が一生懸命田の草をとって、赤ん坊をおぶったまま死んだ。その後その田は誰も作る人がいなくなり、作らんさくといわれる。
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ダイジャガオコシタオオミズ 1987年 長野県 ある日,二人の猟師が本沢にやってきた。岸の茂みに大蛇がおり,恐ろしくなった若い猟師は年上の猟師の制止にもかかわらず鉄砲で大蛇の頭を撃った。大蛇は死なず,淵に飛び込んで見えなくなった。覗き込んでみたが影も形もなく,やがて淵の中からもうもうと霧が立ち昇り,真っ黒な雲が空を覆った。その日から3日間大豪雨となり,近辺の村に大きな被害が出た。5日目になってようやく晴れた。村人の中に,蛇が流れ下っていくのを見たものがおり,きっと赤沼の池の主が池と一緒に流れ下ったものだと言い合った。
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ヘビ,イケノヌシ 1970年 鳥取県 摩尼山の近くのお種ヶ池には弁天様を祀る。長者の娘のお種が下男と仲良くなり、池の中洲から毎日さと柿を取って来て男に食べさせたので、男がいぶかしがると、お種は池に身を投げた。家人が鐘太鼓で池の周りを探すと、お種が蛇になって現れた。男もその池に身を投げた。お種の髪の毛は先が三股になっていて、裂いたら血が出たという。それは蛇の気のある女だったのだ。お種が池にはドジョウがたくさんいた。兵隊に行く人の祈願にそのドジョウをあげると、必ず生きて帰ったという。
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ダイジャ,ガマ 1941年 朝鮮 平北宣川の街から3里くらいのところにある険しい山は、2つの頂がある。険山には大蛇が住んでいた。ある日、少年が大蝦蟇を連れて黍畑の番をして夜更けを待っていると、大蛇が現れ少年を一呑みにしようと襲いかかってきた。すると大蝦蟇が青い煙を噴いて蛇に応じた。大蛇は力尽き、大蝦蟇も夜明けとともに死んでしまった。その後大蛇と大蝦蟇の墓ができたが、洪水で流されてしまった。今でもその墓のあたりに夜行ってみると、蛇の青い目玉が光るという。
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ダイジャ 1991年 石川県 田の堤という池の奥の穴に大蛇が住んでいた。その大蛇を見てゾーッとして死んでしまった若い人がいた。田の堤もいまは干上がり、もうない。
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ダイジャ,リュウ 1996年 香川県 玉越村の林の谷と小槌島の間を大蛇が往来しているという。一説には龍だともいう。この蛇を見た人は死ぬといい、空を歩く蛇を見ると縁起が良いという人もいる。
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ダイジャ 1981年 神奈川県 三廻部山にいる大蛇を見ると死ぬといわれていた。ある時、薪を取りに行ったお百姓さんが行方不明になり、3日後、のら着とわらぞうりだけが見つかった。大蛇が通った形跡も見つかったので、大蛇に飲まれたのだろうと言われた。
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キツネ 1988年 奈良県 惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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フルソマ 1915年 高知県 深山で「いくぞーいくぞー」という声が山に鳴り渡ると、やがて木の折れる音がして、すぐ近くに大木の倒れる音がする。けれどもそのほうに行ってみると何も無い。これを古杣と言い、むかし伐木の際に木に打たれて死んだ者の仕業だと言われている。
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カナワノイ,ウシノトキマイリ 1933年 京都府 鉄輪という嫉妬深い女が神に祈って丑の刻参りをして気疲れ、井戸の前で死んだ。ゆえにこの井戸を鉄輪井という。この場所を婚礼の行列は通らない。
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ヘビ,イケノヌシ 1965年 高知県 赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
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ダイジャ 1974年 京都府 安永の頃、竹野郡の百姓がソバの畑を荒らした大蛇を殺した。それ以来家中に小蛇があらわれるようになり、百姓は六部姿で廻国の旅に出て、供養塔をたてたが、次の代まで不幸が続き、大蛇の死汁が流れた川の水は三年ばかり牛馬さえ口をつけなかった。
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ダイジャ,ムスメ 1929年 長崎県 2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
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ダイジャ 1937年 新潟県 竹薮の中では大蛇が木の株に化けて出る。昔近くの家では病人が絶えないので、巫女に見てもらうと、大蛇の祟りだと言われた。そのため、大蛇を祀ってからというもの、ここでは大きな蛇が見かけられるようになった。
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