国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

アキコクノブシノハカ
1975年 愛媛県
昭和の初め頃に水田を校地にしたところ、ある教室の児童やそのクラスの母親が次々に死亡した。ある人が「教室の下に安芸国の武士の霊魂が眠っている」と言った。校地は元は庄屋の隠居屋敷だったが、三代不幸が続いて絶家したという。校地の隅に墓石を建て、学校の守護神にしたという。

類似事例(機械学習検索)

タノタタリ
1969年 福島県
田の真ん中に弁天様が祀ってあったものが、いつのまにか埋まってしまった弁天谷地という田は、祟りをおこすといわれていた。大正期学校で耕作したこともあったが、校長がポックリ死んでしまった。権兵衛という大工が作り始めたが、妻と子を亡くし、気味悪がって手放してしまった。ある人が草を刈ったら大きなうなぎがでてきたともいう。
類似事例

オハカ
1999年 栃木県
小学校が建っている場所は、昔、お墓だったという。
類似事例

ボウレイ
1976年 高知県
元は身分の高い子守りの女が、主人の虐待に耐えかねて自殺したのだと、神の言葉として語った。そのために、慰霊碑を作り祀りを行った。しかし新任の校長がこれをつぶしてしまった。この校長は若くして死んだ。
類似事例

オハカ,ヒトノナ
1999年 栃木県
小学校は、お墓を壊してその上に建てられたという。それで、築山の上にある石に人の名が浮き出てくるのだという。
類似事例

ボチ,シンデイッタセンシ
1996年 栃木県
宇都宮のH小学校は、昔、墓地あるいは戦場で、多くの人がそこで死んでいった。そのせいか、何か行事があると必ず雨が降る。特に運動会がそうである。その雨は死んでいった兵士たちの涙なのかもしれない。
類似事例

トイレ
1990年 神奈川県
鎌倉市のある小学校では、1階にある女子トイレの一番奥は、こわれているわけではないのに戸が時々開かなくなり、おそろしいのでそこには絶対入らないという。学校を建てるときに井戸を埋めたが、この井戸で投身自殺をした人がおり、このトイレはちょうどこの井戸の真上にあたるので呪われているのだと言われる。
類似事例

ヒトダマ
1937年 大阪府
見るからに陰気な雰囲気のある家の屋根に人魂が出るという噂が、子供たちの間で言い囃されたことがあった。
類似事例

オンナノヒトノユウレイ
1990年 香川県
いま小学校のところは昔お宮で大きな森があり、カボソが出て化かしたりした。そこに井戸があり、日照りでも水が枯れず、弘法大師の井戸と言われていた。その井戸には、一生懸命に水を汲む女の幽霊が出た。
類似事例

ジゾウサマ
1976年 大分県
三原家の庭には防空壕跡があり、地蔵様が祀られている。これは以前は山の上に祀られていたものを下に降ろしたまま祀らなかった。すると、三原家の死んだお婆さんの所に祀ってくれと地蔵様から指示があり、今の場所に祀ったという。
類似事例

シニダノオンリョウ
1932年 愛知県
死に田と呼ばれる田があり、その持ち主だった家は、既に3代とも死に絶えてしまった。現在の所有者の家も、病人が絶えないという。昔、矢田川が氾濫した際、ここにあった寺が埋没してしまったために、仏が祟っているのだろうと言われる。また、持ち主だった女が人にだまされ、家産を傾け死んだため、その妄念が残って、祟っているのだろうとも言われる。
類似事例

ハッコツ
1996年 栃木県
ある学校の体育館のプールを作るとき、約200人の白骨が掘り出された。そこは戦時中に死んだ人を焼くところだった。その学校の体育祭の日は、今でも必ず雨が降り、たびたび中止するそうである。
類似事例

(マタノアイダカラタイヨウヲオガムコト)
1975年 山口県
河田家の田の中に墓がある。昔、田植えが嫌になって、太陽を股の間から拝んだ人が、泥に潜って死んでしまった。その人の墓だという。
類似事例

アクリョウ
1977年 東京都
忍ばずの池の端に住む山名勘十郎の母は生首を見ないと食事が進まず、いつも死骸を側に置いていた。この母がある時乗り物を担がせ乗り込み、山王の西の池辺に降ろさせて下人を帰させた。下人が戻ってみると女はいなかったので家に帰ると、彼女は馬で帰ってきてそのまま忍ばずの池に入った。馬の持ち主がいうには、山王の西の池から女が出て来て馬に乗り、池の主になろうとしたが先に鯉がいてだめだったといった。その後怪異が起きたので、勧学院の了翁僧都が悪霊を鎮めるために島をつくり、弁財天を安置した。鐘楼が地震で倒れて鐘は沈んだ。この霊が鐘を取ったと言われた。一切経を島に安置すると怪しいことも絶えた。
類似事例

キツネトタヌキノハカ
1986年 東京都
今、小学校が建っている所は、もとは狐と狸のお墓だった。
類似事例

サンニンミサキ
1983年 岡山県
北房町下呰部にはまた、三人ミサキといわれるものがあり、これは、子守とそれに負われていた子の溺れ死んだ霊と、そこを通りかかって川に落ちて死んだ人の霊とを祀っている。
類似事例

キツネ
1991年 奈良県
狐や狸が棲んでいた山を崩した。そうしたら運動会の時、祟りがあった。学校へ来た時は日が照っていたのだが、にわかに曇り、ものすごい雨風になった。怪我をする人も出て、稲荷さんの祟りだと言っていた。
類似事例

ヒトダマ
1932年 兵庫県
蜂須賀家家老の家来が争い、殺してしまってその死骸を間形虚空蔵坊の西の三本松の根元に埋めたと言う。今でも墓があり、この附近ではよく人魂が飛ぶと言い、寄宿舎の生徒が飛んでいるのを見たという。
類似事例

キツネ
1938年 長野県
昔、小学校の校長先生が狐に化かされて人の通る道より5町も上にいた。1、2年前にも狐に化かされて死んだ人がいる。
類似事例

ショウジョ,オンリョウ,レイザン
1975年 高知県
国民学校の児童が教師に引率され平家平へ登ったが、6年生の少女が行方不明となり数日後発見された。発見されるまで寒さも空腹も感じなかったという。平家平には平家の落人の怨霊がさまよっているという伝承がある。
類似事例

ネズミコゾウノタタリ,ゲンスケチャヤ
1984年 岐阜県
大正10年ごろ、鼠小僧治郎吉の墓を学校を建てるために埋め、化学実験室が建てられた。化学実験室は原因不明の火事で全焼し、新築するもまた丸焼けになった。鼠小僧の祟りだという噂が出たので、墓を探して現在の場所に安置し、懇ろに供養した。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内