オハカ 1999年 栃木県 小学校が建っている場所は、昔、お墓だったという。
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キツネトタヌキノハカ 1986年 東京都 今、小学校が建っている所は、もとは狐と狸のお墓だった。
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キツネ 1938年 長野県 昔、小学校の校長先生が狐に化かされて人の通る道より5町も上にいた。1、2年前にも狐に化かされて死んだ人がいる。
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アキコクノブシノハカ 1975年 愛媛県 昭和の初め頃に水田を校地にしたところ、ある教室の児童やそのクラスの母親が次々に死亡した。ある人が「教室の下に安芸国の武士の霊魂が眠っている」と言った。校地は元は庄屋の隠居屋敷だったが、三代不幸が続いて絶家したという。校地の隅に墓石を建て、学校の守護神にしたという。
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オオイシ,ユメマクラ,バチ 1987年 長野県 今も西町大石平にある大石は,神様の石で,登ると罰があたるといわれていた。その上に祠があったが,土地の持ち主が地所を処分した時,祠だけを墓場に持っていった。すると,東京にいる娘の夢枕に神様が立ち,祠を大石の上に戻さないと罰があたると告げたので,祠を元に戻したという。
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ハッコツ 1996年 栃木県 ある学校の体育館のプールを作るとき、約200人の白骨が掘り出された。そこは戦時中に死んだ人を焼くところだった。その学校の体育祭の日は、今でも必ず雨が降り、たびたび中止するそうである。
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タテイシ,イナリ 1973年 東京都 立石村の名主の畑に高さ1尺位の丸い石があった。掘り出そうとしたが思ったより深く途中で帰った。翌日行くと掘っただけ石は地中に入って、1尺ほど地上に出ていた。何か良い事があるだろうと埋めて帰った。翌日見ると再び石が地表に出ていた。石の上に稲荷の祠を建てた。この石があるから立石村と言うのだろうか。
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ショウジョ,オンリョウ,レイザン 1975年 高知県 国民学校の児童が教師に引率され平家平へ登ったが、6年生の少女が行方不明となり数日後発見された。発見されるまで寒さも空腹も感じなかったという。平家平には平家の落人の怨霊がさまよっているという伝承がある。
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キツネ 1991年 奈良県 小学校を建設する時に、御霊山を切り開いた。そして入学のお祝いに自転車競走をした。けれどもその時、雨風が吹いて自転車競走を中止しなければならなかった。御霊山に住んでいた狐を全部追い出したので、狐の祟りなのだろうと言われた。
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タヌキ 1978年 和歌山県 旧北山小学校の上に、狸の巣といわれる岩穴があり、そこを通った時には、締め付けられるような感じであった。
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(ウマレカワリ) 1982年 群馬県 貧乏な家に足の悪い子がいて、その子が死んだとき両親が印を付けて葬った。その後印のついた子が生まれたので、生まれ変わったということになった。前世の墓の土を塗れば印が取れるというので試したところ、取れたという。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山の化物に偉い人の子供が殺された、その血が流れた場所には、草が生えない。
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ボウレイ 1941年 兵庫県 小学校の先生が生徒を連れて墓地の側で休憩しようとすると、生徒は近づいてこない。理由を尋ねると、亡霊が出現するからだという。科学的に言うと、燐火が出るのでユーレイと考えられたのだろう。
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イシヅカダイミョウジン,タタリ 1975年 愛知県 豊丘小学校の裏山に石塚大明神がある。昔、ここは野間で殺された偉い人、源義朝か鎌田政家を埋めた場所で、子供の頃から石塚さんの石ひとつでも触れると祟りがあると恐れられて近寄らなかった。
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ボウレイ 1976年 高知県 元は身分の高い子守りの女が、主人の虐待に耐えかねて自殺したのだと、神の言葉として語った。そのために、慰霊碑を作り祀りを行った。しかし新任の校長がこれをつぶしてしまった。この校長は若くして死んだ。
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ヨナキイシ 1984年 長野県 急に流れて来た大石が、夜な夜な子供の泣き声を立てる。山から押し流されてきた石は、その間に幼児を圧死させていたことが分かり、石の上に地蔵を置くと、泣き声がやんだ。
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テンセイ 1933年 愛知県 足の裏に印をつけて死んだ児を葬ると、その印をつけた子がどこかに生まれるという。その印を消すには、その墓所の土で洗えばいいそうである。
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イシジゾウ,コドモ 1943年 新潟県 2つの墓の横に石地蔵が立っている。その横を通ると、小さな子供が出てきて石地蔵を倒したり起したりする。無気味に思った人たちはこの道を通らなくなった。
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エンマドウヨコチョウノカイ 1956年 宮城県 昔石名坂下・船町の辺りに遊女屋が栄えた頃,石名と名乗った遊女が自分の罪障消滅のため,死後自分の墓石を橋の一部として通行人に踏んでもらってくれるよう遺言したが実行されなかった。その後墓石が倒されたままになっているのを近所の請負師が見かねて円福寺に移してやったが,遊女の霊は遺言通り石橋にされないのを怨んだものか,余計なことをするなとばかり請負師の妻の夢に毎晩現れて望みが叶えられるまで悩ましつづけた。その石碑が現在どうなっているかはわからない。
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オッパショイシ 1911年 徳島県 村の入り口の近くに名のある力士の墓があるが、いつかから前を通ると「オッパショオッパショ」と墓は喋りだすようになった。そこで、ある強い人がそれなら負ぶされと言って石を負うと徐々に重くなった。それを投げたところ二つに割れてしまい、それ以来この怪異は絶えて、長い間割れた石が残っていたという。
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