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検索対象事例

カワタロウ
1958年 三重県
元文元年6月22日、馬の脚に河太郎がついていたので、玄山霊門大和尚がこれを調伏した。

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カッパ,ガタロ
1950年 三重県
三重県・永泉寺の和尚が愛馬を番太淵のそばに繋いでおいたところ、大声で嘶いて寺門に駆け込んできた。見ると左足に河太郎がつかまっている。捕えて馬盥に伏せ、3日間訓戒を与え解放した。2日後、夢に老婆の姿で現れ、今後、村人を守護すると誓って消えたという。
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カッパ
1958年 三重県
玄山和尚が河童を調伏する画軸がある。栗毛の馬がつながれ、和尚の左に河童が反省している。体が青く甲羅を有しない。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ
1976年 兵庫県
康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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カッパ
1974年 茨城県
寛文6年、ある人が馬を連れ柳橋を渡っていると馬が進まなくなった。見てみると馬の尾を河童が掴んでいたのでその手を切って持ち帰った。夜河童が手を取り返しに来て手接の妙薬の仕法を伝えた。
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エンコウ
1997年 高知県
お寺の和尚が淵の傍の梶株に馬を繋いでおいていた。すると、馬が梶株を引っ張って戻ってきた。和尚が梶株を切ろうとしたら、梶株は猿猴になった。猿猴が化けていたのである。猿猴は命乞いをし、証文を書いて帰った。
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カッパノショウモン
1956年 宮城県
葛西氏家臣小泉宝領館主三条小太夫近春が夏のある日小泉川に馬を洗いに行った。日ごろおとなしい馬なのに,川に引き入れると暴れだすことが5,6日続いたので近春がよく調べると,河童が馬の尾に悪戯をして驚かしていたのであった。近春が鞭で河童を強く叩くと河童は失神した。蘇生してからは平身低頭して謝り,詫びの証に水遁の術の巻物と詫び証文(直径5,6センチの平たい石)を差し出した。この石は天気の観測に役立つとも,水に潜るときに役立つとも言われた。
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ウマ
2001年 三重県
石薬師寺の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、杭を描き添え、前足を縛った。
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イッポンツノノウマ
1978年 愛媛県
宝暦元年の頃、一本角の馬が宗楽寺の近くに現れ、田畑を荒らし家畜をおそった。皆は困り、宗楽寺の和尚に相談をした。白元和尚は秘仏本尊の前にひれふし、二夜三回の回伺をした。満願の日の午の刻に、宗楽寺の裏山に馬が現れ、天に向かって叫ぶと倒れた。
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ダイジャ,ダイイトクミョウオウ,ビシャモン
1983年 京都府
鞍馬寺の寺記によると、延喜年中に寺主だった峯延和尚が或る年の5月に、目が雷のようで、火炎のような舌を出した大蛇に遭遇した。和尚を呑もうとしたので、大威徳明王の法や毘沙門の呪を唱えると、蛇は自ら倒れた。3日後に人夫50人で大蛇を切り、静原山の奥に捨てたという。
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カッパノテハン
1956年 宮城県
昔,粕川堰に河童が棲んでいた。ある夏の午後,邑主武山氏の家来が堰で主人の馬を洗い,帰ってくるとザンギリ頭の痩せた異相の小僧がいた。捕らえてみると河童で,馬の尾に縋り付いてきたのであった。この堰ではよく子供や馬が溺れ死ぬことがあったが,それはこの河童の仕業と判明した。すぐに打ち殺そうと思ったが,河童が平謝りするので悪戯を固く戒め,証拠として白手拭に手判を捺させて許してやった。この手判は明治9年の大火まで同家に保存されていた。
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アクジュウ,キジュウ
1973年 愛媛県
日輪寺5世祐珍和尚のとき、牛馬が悪獣のため次々と死んだ。祐珍和尚が馬で移動中にその獣に遭い説伏したら、そのようなことはなくなった。
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キツネ
1965年 岩手県
旅人は帰りの道中にて、馬の用人の素振りがおかしいので、用人を馬に乗せた。旅人は用人を狐が化けたと見破って、火にかけてやると脅したら、これからはしないと詫びるので許してやった。それ以来、ごくろう岩に乗って「今帰る、今帰る」と言っていたという。
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ウマ
2001年 埼玉県
慈恩寺の、左甚五郎の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、鎖で縛った。
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エンコウ
1955年 島根県
馬を洗っているとえんこうが取り憑いたので、引っ張り返して捕まえたという。君谷村の玉泉寺では、今後川で人をとらないと約束して証文を入れ、口羽村の宗林寺では、和尚が岩に文字を刻んで、その文字が見えなくなるまで人をとらないと誓わせた。えんこうは毎晩出ては岩の文字を消そうと撫で続けたという。
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ダハク
1975年 山梨県
甲斐国保坂の牧の馬が野飼いの牛と交わり、頭は馬、体は牛、左の爪が馬、右の爪が牛というものを生んだ。明和2年正月、浪花で見世物に出されていた。
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カッパ,カワビソ
1982年 石川県
夕方、馬を川へ入れて足を洗っていると、河童(カワビソ)が馬の後足を引っ張った。馬が足で蹴ったところ、カワビソの手が外れた。それを返してやると、良薬の元となる玉をくれた。
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カッパ
1935年 新潟県
馬が鳴くので見ると、河童の目であった。尻子を抜き損じてしまったのでついて来たらしい。捕らえられた河童は妙薬の調法を教えるので、命を助けてもらったという。
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ウマ
2001年 岡山県
上遍照寺の、狩野法眼の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、木を描き添え繋いだ。
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ウマ
2001年 山形県
慈恩寺の、郷ノ目右京という画家が描いた絵馬の馬が田畑を荒らしたので、丸田で囲んだ。または縄で縛った。
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カッパガミ
1956年 宮城県
農夫が馬の尻にくっついた河童を捕らえるが、向後人や馬に仇をするでないぞと放してやる。その後、農夫の家で振舞に膳椀が足りないと、不足の分だけ前夜軒先に置いてある。振舞が終ったのち元の所に置くと夜中に運び去る。あるとき椀の蓋をなくしてそのまま軒下に置いたら、以後持ってこなくなった。河童が助けられたお礼によその家から持ってきていたので、一つでもなくしては先方に申し訳ないと思ったのだろう。河童はいたずら者ながらも恩も耻も知っているといって、祠を立てて祀ったという。
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