キツネツキ,イナリサマ 1922年 茨城県 以前は祈祷者が病人と問答をし、祈祷者と病人の狐の間に契約が交わされ、1週間の祈祷の後に赤飯、油揚げなどをもたせて村境まで送り出すということが流行した。今でも稲荷様や法華宗の祈祷者が神や仏となり、よく病人の身上を言い当てるので流行することがある。
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キツネツキ 1988年 群馬県 昔は狐つきが多く、狐のように歩いたり、油揚をほしいといった。これをおとすには、専門の神主にまかせ、辻に赤飯を置いて追い出すのが最良の方法であった。
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キツネ 1938年 鳥取県 狐つきは中流以下、全村で信じられている。消滅しつつある。
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キツネ 1937年 鳥取県 精神異常は狐の禍による。そのため狐の好む油揚、赤飯を供えれば全快するという。
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キツネ(ゾクシン) 1916年 岐阜県 精神に異常をきたした者あると、狐が憑いたという。油揚げや赤飯を欲し、目が狐のようにつり上がる。身体に腫れた部分があると、そこに狐が入っているのだといって、その部分を打ったりした。青松葉で燻すと狐が逃げ去ることがある。
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トウビョウツキ 1950年 鳥取県 狐憑きにかかると、食事をとらず、赤飯油揚げを好んで食べる。施術をすると、両手を前にして、座ったままで飛び出す者や、急に強く吹き出す者がいた。
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キツネ 1968年 佐賀県 昔は法印は、病人の原因は狐が憑いているのだといった。大工をしていた人で憑かれ易い人がいて、酒を飲んで隣村から帰って来るなどすると、憑かれることが多かった。落とすには湯立てをして、笹の葉で湯を撒くと、狐が湯に入れられると思って出て行く。また、憑かれた人の上に刀をぶら下げて、それを矢で射ると憑かれた人は飛び起きて走り出し、倒れると狐は落ちている。祈祷の最中に狐が「○○に憑いてくれ、と山で頼まれた」などと言うこともある。狐の好物は鼠の蒲焼と小豆飯。
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キツネ 1981年 福岡県 元気な人が突然わけのわからないことを口走ったり、熱が出たり冷めたりすると、狐が憑いたという。目がつり上がり、顔色や人相が変わり、魚・卵が食べたいと言い出す。死ぬ人もいたという。病気で休んでいると、狐が医者に化けて来る。人間の言葉をしゃべるという。黒豆を炊いてお茶に出すと、狐は食べないので判るという。
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キツネ 1961年 茨城県 狐憑きは赤飯を炊いて送り出すと抜ける。病人が歩いて行ってブックリカエルと、そのときに狐が抜けたということになる。
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キツネ 1977年 和歌山県 村に狐憑きが出たときは、道の辻に小豆団子と油揚げを置いておくと治るという。祈祷師に祝詞をあげてもらうと抜けるが、2・3日安静にして眠っていると死んでしまうという。田辺の祈祷師を呼んで、カラシをたいて家の口からいぶしだしたという。
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キツネ 1955年 山梨県 狐に化かされると村中で鉦を叩いて大勢で見つけると狐が離れるといわれた。狐憑きの時には素人の信心者が5、6人いて病人を囲み祈った。富士信仰で経を読み、刀を抜いて脅かした。供物としては赤飯、油揚げが使われた。お寺の大門先に祠があり、そこから狐が来たと言う。素人の新人者ではぬけないと、上野から法印を頼んだこともある。
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キツネ 1971年 岐阜県 昔、病人が狐の真似をしたり来客の予言をするようになったが、その人は少しして死んでしまった。
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キツネ 1961年 島根県 人に憑く狐は普通の狐とは違う。狐を憑けるには丑の刻参りをする。憑かれると病気になり、その人の口を通じて狐が「○○から来た」と語る。この狐を落とすには小豆飯や油揚げを食べさせたりするか、病人を打ったり叩いたりする。
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ツキモノ,トウビョーモチ 1954年 岡山県 あるトウビョー持の家には肺病患者がいて、昔は部落との交際もほとんどなかったという。また、カイコ狐という狐を飼っている家の場合、狐の怒りを買うと狐は仕事をやめて食いつぶし、たちまちにその家は没落し、食物がなくなると人体までも食い荒らすといって恐れられる。
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キツネ 1952年 神奈川県 病人が食欲が無く、食べられないのは狐が憑いているから。
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キツネツキ,キツネモチ 1937年 狐憑きは一種の精神病で、治すには小豆飯や豆腐を村境に置いたり神様に供える。サンジョサンオガミと呼ばれる祈祷師(大峯行者やその崇拝者)に頼むこともある。一方、狐持ちは、一族の者全員が人狐を持っており、一般の家とはほとんど縁談がまとまらない。
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キツネ 1938年 鳥取県 狐ツキを落すには小豆飯をサンダワラに載せて送り出す。また法者を依頼して信仰によって落す。狐ツキの家のハフに銃を撃てば落ちるという風習もあるが、今日では狐等の事は漸次減少している。
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キツネツキ 1979年 埼玉県 戦時中は狐憑きが多く、油揚げや炒り豆を半紙に包み三本辻に置いてきて狐を送り出した。また熱でうわ言を言うと拝み屋が来て狐が憑いているからだといった。
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キツネツキ 1942年 長野県 ある人が病気になったので御嶽講の先達に占ってもらうと、狐憑きといわれた。その後、村に2、3軒狐憑きがでた。狐がいうには、上垣という屋号の家で、食べ物をくれないので来たのだという。そこで村の者が上垣に掛け合ったが、上垣は狐など飼っていないと言った。その家の大黒さんを怪しんで川へ流したが、依然狐憑きは治らなかった。村の者は収まらず、ある夜大挙して上垣に押しかけて乱暴狼藉の限りを尽くした。上垣は代官所に訴えて勝訴したが、この件以来けちがついて家は絶えてしまった。
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キツネツキ 1938年 鳥取県 突然、精神に異状をきたして狂態を演じる。また、自分の知らないことや遠方の出来事などをしゃべる。ふだんは食べない肴や油あげを食べる。喜怒哀楽の定まらない状態を狐つきという。
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