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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オオハマグリ
1999年 香川県
ある時、村に疫病が流行した。多和大神の託宣によれば、小左自古が所持する玉と海底の大蛤の中にある玉を持ってくれば、疫病はおさまるという。そこでみそりに頼んで蛤を上げてもらったが、みそりは死んでしまった。人々はみそりの死をいたみ塚を立てた。

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ニワトリザカ,オウゴンノニワトリ
1938年 京都府
塚に埋められた黄金の鶏を掘ろうとすると、白羽の矢が飛んでくる。村人が掘ろうとすると、流行病で村が全滅したという。
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ヒダマ
1974年 京都府
正徳のころ、ならず者を成敗するために家族ぐるみで生き埋めにした。12歳になる娘は頭に土をかけられたとき「赤いかんざしが折れる」と泣き叫んだ。まもなく赤い火玉が飛ぶようになり、疫病が広がった。村人はたたりだと恐れ、氏神境内に四人塚を築いた。
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ヨツヤノカイカ
1921年 徳島県
龍蔵土手に真夜中火の玉が出るとおそれられていた。豪気な若者多助は火の玉を生け捕りにすると言って出かけ、捕らえてきた樹木のホタ様の物を柱に結び付けておいたが、毎夜丑光頃「火を返せ」と声がするので帰した。多助はその翌日から病気になり二三日で死んだ。
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ジゾウ,ミゾロガイケ
1975年 京都府
西光法師が建てたという地蔵堂で、毎年祭りの後に、精進あげとして御菩薩が池の魚を食していた。ある年、村長が地蔵尊に恐れ多いからと、精進あげをやめるよう提案した。皆でそれを実行したところ、かえって村中に疫病が流行した。そこで翌年から精進あげを再開したら、祟りはなくなったという。
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(タタリ)
1981年 長野県 
山伏が村人と争って殺され、生き埋めにされた。しばらくして夜な夜な法螺貝の音が響くようになり、熱病が流行った。村人の一人に山伏が憑き、手足が縛られて苦しいと口走った。山伏の骨を拾い、供養すると熱病も治まった。それが法力様で、ご神体はその山伏の頭蓋骨。
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シロギツネ
1991年 愛知県
新羅三郎義光が年老いた白狐を射止め、その場に埋めて村を去ったあと、村に災いや病が次次と起こる。塚を作ってまつると災難は止まった。
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オユダチ
1964年 福島県
伝染病が流行するときなどに、おさごを供え、塩を入れた湯を煮立て、神がのりうつったまま幣束を湯に浸して人々にうちふる。熱湯だが不思議に熱くなく、湯がかかれば病気はうつらないといわれた。
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フクタロウ,カワタロウ
1935年 神奈川県
相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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オオモトジンジャ,エキビョウ
1944年 島根県
大元神社の社地を伐って畑にして楮を植えたら疫病が流行って多くの人が死んだ。この村のある間、毎晩燈明をともしますから疫病を払ってくださいと祈願したら病気が治った。今でも、毎晩村中順番に燈明をともしている。
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クジラ,タタリ
1996年 三重県
夢のお告げを無視して子持ちの鯨を捕獲した為に、悪疫が広がったので供養塔を建てた。この村にある寺の過去帳には、当時二人の子供が死亡していた事が記載されていた。
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ヘンロ
1984年 愛媛県
東方と恵原の境で死んだ遍路の妙円尼を、恵原村の人は夜中に東方村に捨てたので東方村で葬った。後に伝染病が流行した時、恵原村では流行ったのに東方村では何事もなかった。これは東方村が妙円尼を供養した功徳によるものだと言われた。それ以来霊験があるとされ、各地から参拝者が来て妙円講も組織されるようになった。
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セイショウナゴン,セトガイ
1934年 徳島県
清少納言が婿に嫌われて流された。流された村で人びとが病気に苦しんでいるのを助けたいと願っていたが、あまりに病気を苦にして、あそこを切って海に棄てた。それが瀬戸貝になったという。その清少納言の死骸を葬ったのが尼塚である。そこに参ると必ずしらちが治る。下の病なら何でも治るという。
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フルヅカ
1976年 岡山県
備中下道郡九代村舟山で山に祠を建てようとしたところ、石櫃が出てきた。中に生きているような男女が入っていたが、風と共に消えた。刀と鏡があったので、藩主に献上したところ村に疫病が流行った。刀と鏡を返してもらい元の場所に埋め小祠を建てた。
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(ゾクシン)
1979年 静岡県
鮎釣にある地蔵は、病気をしたときに地蔵の石を1つ借り、悪いところを石で撫でると治るという。治ったら、年の数だけの石を河原から拾ってきて、借りてきた石とともに地蔵のところに置く。
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イシボトケ
2003年 三重県
「潮ボトケ」「ぬれボトケ」ともいわれる。明治初年,当村の弥吉老人に次のような夢告があった。「我は本地地蔵菩薩である。因縁によってこの場所に現じた。心から祈願するものには腰より下の病を治そう。また,私は海水に浸るところにいて諸人の代わりに苦患を洗浄するつもりであるから,石を高所に移してはならない。」志摩町潮音寺住職児玉芳山もS8年4月下旬以降の祈念によって宿病が快癒した。
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ウシ
1931年 長野県
大昔、神様が笹原を切り開くために乗ってきた牛が死に、石になった。牛石様と呼ばれ、疫病の神様とされている。県道を設けるために移したら、翌年百日咳が流行したので、祟りだと言われた。また、欠けたときの牛の乳のようなものが出たそうである。
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アオイヒダマ
1982年 新潟県
村のおばばの病気が重くなり、命が危なくなってきた。仲のよいつれのおばばは毎日心配していたが、ある晩小便しに起きて、戸をあけると病気のおばばの家から、青い火の玉が飛び出してお寺へ飛んでいって消えた。朝方に病気のおばばが死んだという知らせが来た。死んだのは青い火が飛んだときだった。
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ジゾウ
1998年 愛知県
天明の大飢饉のとき、流行病のため赤ん坊がたくさん死んだ。村人達は病を食い止めるために「かど坂のお地蔵さん」にお祈りをすることにした。念仏講の人たちが何日も続けた結果、流行病は次第におさまったという。
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ホウイントミカタノマツ
1956年 宮城県
元禄年間(1688~1704)この地に住んでいた法印が,「自分が死んだら生鰛(いわし)を口にくわえさせて棺桶に逆さに納め,引田沢を見下ろす山に葬れ。そうすれば今後この山里に絶対に災厄を流行らせない」と遺言して死んだが,部落民は普通どおりに葬った。しかし,その年部落には悪疫が大流行し多数の病死者を出したので,これは法印様の遺言に背いたからだという事になり,改めて言いつけどおりに葬った。すると悪疫は鎮まった。
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ヤマブシ,タタリ
1929年 北海道
あるとき上国の山伏が祈祷を行い、大漁となったら自分の願いも叶えて欲しいと言った。漁の時期は過ぎていたが、祈祷の結果、大漁となった。しかし村人は約束を守らず、憤慨した山伏は絶食して死んだ。そして遺言どおり、不漁の時でも上国だけは鯡が大漁であった。山伏の祟りによる不幸もあり、神に祭ることにした。
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