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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

セイショウナゴン,セトガイ
1934年 徳島県
清少納言が婿に嫌われて流された。流された村で人びとが病気に苦しんでいるのを助けたいと願っていたが、あまりに病気を苦にして、あそこを切って海に棄てた。それが瀬戸貝になったという。その清少納言の死骸を葬ったのが尼塚である。そこに参ると必ずしらちが治る。下の病なら何でも治るという。

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セイショウナゴン,イガイ
1934年 徳島県
昔、清少納言が何かの罪のために流された時、漂着した海岸で着物や財物を剥ぎ取られて辱められたので、彼女は女陰を切り取って海に捨てて自殺した。そのために人びとは癘病になった。女陰は貽貝になったという。
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セイショウナゴン,セトガイ
1934年 徳島県
清少納言が流れついたとき、あまりに美しいので若い漁師たちが寄ってたかって強姦した。彼女は憤怒のあまり陰部を切って海に棄てた。それが瀬戸貝になったという。
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セイショウナゴン,タタリ
1934年 徳島県
昔、清少納言が流されてきたとき、粟津と里の人たちが着物を剥ぎ取ったので、裸を恥じて砂に潜って死んでしまった。その祟りで病気が急に多くなったという。
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(タタリ)
1981年 長野県 
山伏が村人と争って殺され、生き埋めにされた。しばらくして夜な夜な法螺貝の音が響くようになり、熱病が流行った。村人の一人に山伏が憑き、手足が縛られて苦しいと口走った。山伏の骨を拾い、供養すると熱病も治まった。それが法力様で、ご神体はその山伏の頭蓋骨。
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オオハマグリ
1999年 香川県
ある時、村に疫病が流行した。多和大神の託宣によれば、小左自古が所持する玉と海底の大蛤の中にある玉を持ってくれば、疫病はおさまるという。そこでみそりに頼んで蛤を上げてもらったが、みそりは死んでしまった。人々はみそりの死をいたみ塚を立てた。
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セキガミミョウジン
1956年 宮城県
村の用水堰が大水の度に決壊するので、相談の結果、人柱を立てるとその患がなくなった。のちに大出水があって堤が切れた時、1体の人骨が岸に打ち寄せられた。故老が往年の人柱の骨だというので、その場所に葬り、上に社を建てて霊を祀った。
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アマサンノハカ
1975年 愛媛県
神子の森部落のカラスガケの谷に、尼の墓がある。100年ほど前の雪の日、神札を背負ったまま死んでいる尼を村人が見つけて墓を建てた。熱病が村に流行し、村人は墓に願掛けをするようになったという。コップ1杯の茶をあげて拝み、治るとまたお茶を供えるという。
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〔エキジン,エキビョウヨケノフダ〕
1975年 東京都
清次という男が釣船で、きすを100匹ほど釣った。築地本郷町之前海之波除内で船を留置すると髪や髯が逆立ち、唐人のような衣装を着た6尺余りの背丈の者がきすを所望した。1匹渡して名を尋ねた所、自分は疫神で、釣船清次と名前が書かれた家には参らないと言って去った。その後、同僚の妻が疫病を患っていたので、釣船清次と書いた札を渡した所、病は全快した。噂が近所に広まり、清次は皆に頼まれて札を書くようになったという。
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カオロ
1933年 岐阜県
ある人が峠でひとりの旅人と同行した。この旅人はカオロすなわち河童であり、水神様に捧げる人を捕りに行くところだと話して、どこかへ行ってしまった。そののち、小児が水中で死んだことを聞いた。同行したカオロの仕業と思ったが人には告げなかった。後日カオロはお礼に吹出物の全治する妙薬を教えた。
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エノキ
1960年 三重県
年老いて死を忘れた尼僧が、穴を掘らせ、その中に入った。そして読経し鉦鼓を叩いていたが、やがて亡くなった。そこを饅頭塚という。そして塚には榎があり、この木を切ったり傷をつけたりすると血が出るという。
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(ゾクシン)
1979年 静岡県
鮎釣にある地蔵は、病気をしたときに地蔵の石を1つ借り、悪いところを石で撫でると治るという。治ったら、年の数だけの石を河原から拾ってきて、借りてきた石とともに地蔵のところに置く。
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サメ
1933年 福島県
樵夫が淵に山刀を落とした。すると美しい姫が波の上に立って現れ、樵夫を淵の中の御殿に案内した。そこで樵夫は楽しく3日過ごした。帰るとき決して口外しないように口止めされた。家に帰ると樵夫の三回忌をしていた。帰ってきたので酒宴になり、樵夫はついしゃべってしまった。翌朝、喉に鮫の歯形を残して死んでいた。
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イシブロ
1930年 山口県
島に海賊が多くいた頃、城主の娘が悪い病気に罹り、何年も治らなかった。あるとき、部下のひとりが石風呂の話をし、これに入るとたいていの病気が治ると言ったので、早速城山の西麓の日当たりの良い場所に石風呂を作った。数十日の療養の後、姫の病気は治り、城主は一般人にもこの石風呂の使用を許可した。その後、非道な男が金ほしさからこの石風呂で尼を蒸し殺してしまった後は、さっぱり高価がなくなったという。
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ヘビ
1955年 青森県
和尚が蛇をかわいがっていた。ある夜、蛇が誤って和尚に噛み付いてしまう。傷が痛むので、薬はないかと聞くと、蛇はどこかへ行った。翌朝、土間に沢山の朝顔の蔓が置かれ、その脇で蛇が死んでいた。朝顔を煎じてつけると傷は快癒し、和尚は蛇に塚を建てて葬ってやった。
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アクリョウ
1977年 東京都
忍ばずの池の端に住む山名勘十郎の母は生首を見ないと食事が進まず、いつも死骸を側に置いていた。この母がある時乗り物を担がせ乗り込み、山王の西の池辺に降ろさせて下人を帰させた。下人が戻ってみると女はいなかったので家に帰ると、彼女は馬で帰ってきてそのまま忍ばずの池に入った。馬の持ち主がいうには、山王の西の池から女が出て来て馬に乗り、池の主になろうとしたが先に鯉がいてだめだったといった。その後怪異が起きたので、勧学院の了翁僧都が悪霊を鎮めるために島をつくり、弁財天を安置した。鐘楼が地震で倒れて鐘は沈んだ。この霊が鐘を取ったと言われた。一切経を島に安置すると怪しいことも絶えた。
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キヨヒメ,ヘビ
1981年 和歌山県
安珍という山伏が那智へ行く途中、真砂の庄に泊まったら、そこの娘の清姫に見初められた。安珍が座っていると清姫の髪が外から障子に当たるので安珍は怖くなり、日高川を船で渡って逃げた。清姫は追ってきて日高川を蛇になって渡った。安珍は道成寺に逃げ込んで釣鐘の下に隠してもらったが、草鞋の紐が出てしまった。紐を中に引き込もうとしたが、草鞋の先の結び目が邪魔になって隠し切れずに、見つかった。清姫は鐘を7巻半巻いて溶かしてしまった。溶け残った清姫の死骸は蛇だった。そのようないわれで、草鞋の紐の先は結ばないという。
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(ゾクシン)
1964年 福島県
厄病よけとして、入り口に「釣舟清次宿」と書いてはっておくとよい。清次がびんぼうじいさんにいわなをやったら、「おれは疫病神だが、お前の家だけには行かないようにするから、釣船の清次の宿と書いて表に出しておけ」と言って消えていったという伝承からだという。舘岩村では「源義家の宿」と書く。
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ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
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ハチマン,カイジン
1977年 静岡県
遠州の日坂に八幡の祠がある。昔この明神の美しい娘を海神が妻にしようとしたが、明神はそれを許さなかった。怒った海神は大鯨を遣わして娘をとろうとしたので、明神は碁盤で打ち殺したところ、鯨は山にかわったという。海神はさらにむくりこくりを語らい軍を起こすも、明神はそれを戦って退散させた。海神はさらに明神の御方なる人が海辺に来たら仇なそうと考えた。これより現地の民は潮を焼く所がなくなったという。
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クビヅカ,ケンゲキノコエ,オンナノサケビゴエ
1932年 島根県
尼子と毛利が争った頃、松山城主は毛利に敗れて戦死した。落城の際、城主は姫に城の名宝を託して落ち延びさせた。土地の豪族がこれを知り、姫を殺し名宝を奪って死骸を川に投じた。村の首塚は落城の際の武士の死骸を祀ったものだが、今でもそこを通ると、剣戟の声と女の叫び声が聞こえるという。
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