ミサキ 1957年 岡山県 苫田郡富村の大部落では50年忌を過ぎるとミサキになるといい、位牌を川に流したり束ねて蔵の2階にあげたりする。それ以降は祀らない。
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ミサキサマ 1957年 岡山県 昔、屋敷をすえるときに古墓を移したが色々障りがある。そこで法者に祈ってもらうと「人は死んで50年したらミサキサマになりたがるものだ」といわれた。そこで屋敷の辰巳の方向に祠を建てミサキサマを祀っった。
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アヤシキコト 1974年 山口県 周防国熊毛郡島田村で、あるものの墓に樒と卒塔婆を立てると夜のうちに投げ捨てられることが続いた。死者の母と妻の夢に死者が出てきて、樒と卒塔婆はうるさいので立てないでくれと言った。翌日、母と妻は墓で、樒は榊に卒塔婆は49日の間はこらえてほしいと言った。するとその夜から投げ捨てられることはなくなった。
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ミサキ,ジゾウゴンゲン 1983年 岡山県 西美作では、五十年忌を終えた亡霊はミサキになるとも、地蔵権現の位につくとも言われる。
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ミサキ,カンバラ,ミサキワケ 1983年 岡山県 死者が出た直後や四十九日の前後に次の死者が出ると、ミサキのためにカンバラに依頼してミサキワケをしてもらった。墓地の隅に石や小祠を設けて祀ってあるミサキについては、墓参りの際にまず供え物をする習わしである。
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ミサキ 1969年 岡山県 岡山県邑久群の北池部落では、墓地の隅に小石を置いて、変死者があったときにミサキをまつるという。
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ミサキ 1983年 岡山県 落合町栗原不動寺の丘の東南斜面にある墓地の端には塚があり、ミサキを祀っている。この部落の別の山裾にある墓では、墓石とは別の自然石が置いてあって、これをミサキとして祀っている。
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イヌソトバイシ 1956年 宮城県 農家に美しい一人娘があり、幼いとき、母親がその子に便をさせながら、飼犬に「このカエシを食べたら娘をやる」と冗談を言う。娘が年頃になって縁談で来た者は、みな飼犬に咬み殺された。母親は10年前の戯言を思い出し、娘に因果を話し、泣く泣く飼犬にめあわせて近くの洞穴に住まわせた。卒塔婆石は犬が死んだ時の供養塔だという。
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(フナカタノユウレイ) 1961年 静岡県 昔、船がたくさんこの地に入ってきていた頃、時化の時に人が死んだ。その死体に壊れた船の足伝馬をかぶせて現在の船着場の上の端に埋め、地蔵をつくってまつった。夜になると死んだ船方が、毎日、イソザキ(屋号)に来て田子へ行くからワラジをくれという。そこで地蔵をコザキへ移すと、出なくなった。それでその地蔵をコザキの地蔵という。
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ヘンドバカ 1975年 愛媛県 150年ほど前に、葛谷に妻を亡くして子と暮らしている男がいた。宿を貸した四国遍路と結婚の約束をしたが、女が数日留守にして戻ると親族の反対に合い、女は家を出た。その日は大雪で、女は雪で動けなくなり谷に落ちて死んだ。以来、その家には不幸が続いたので、死んだ場所に地蔵を建てて、霊を祀ったという。それを遍土墓と呼んでいる。
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ミサキ,コウジン 1983年 岡山県 久世町三坂では、ミサキと荒神を祀っている。
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カリコボウ,ヒョスボ 1992年 宮崎県 武士が誤ってかりこ坊を殺してしまい、埋めた。すると、妊娠していた妻の腹をかりこ坊のようなものが食い破ってしまった。山伏に山神の祟りといわれ、山神塚を作って埋めた。
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(コソダテユウレイ) 1967年 愛媛県 身持ちで亡くなったら、臨月の場合は土葬にし、棺に節を抜いた竹筒を挿して、夜に確かめに行っていた。昔に、臨月の女が亡くなったあと、夜に1文銭を持って飴を買いにくる女がいるので、後をつけると、墓に入った。墓を掘ってみると、女が墓中で赤子を産んで、赤子に飴をねぶらせていた。
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マリシテンミサキ,チンジュコウジン 1983年 岡山県 大石の久右衛門屋敷の南東隅には小祠が設けられており、摩利支天ミサキが祀られている。これは別名鎮守荒神とも呼ばれる。
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ヤシキガミ 1985年 愛媛県 主人が大病したとき、大洲のえらいおがみやさんにおがんでもらった。四百年前の霊がとりついていると言われた。家まで来てもらったおがみやさんは「ここへ塚を建てて祀りなさい」と言った。主人の病気は治り、家の守り神となっている。
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ジゾウサマ 1976年 大分県 三原家の庭には防空壕跡があり、地蔵様が祀られている。これは以前は山の上に祀られていたものを下に降ろしたまま祀らなかった。すると、三原家の死んだお婆さんの所に祀ってくれと地蔵様から指示があり、今の場所に祀ったという。
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タカミチノヒ 1956年 宮城県 寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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イシ 1929年 大分県 昔、夫婦が敵に追われて落ちのびてきた。死して石になり、女性はミコト様として祀られ上阪田にあり、男性の方は四歩市にある。
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ミサキ 1983年 岡山県 前に竹やぶ、後ろに墓地を負う茂みの中にはミサキの小祠がある。これをきちんと祀らないと部落に狂人が出るのだという。
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ミサキ 1969年 岡山県 備中、上有漢村でもミサキがとり憑いて首を吊ることが昔は随分あった。ある部落では恐ろしいミサキがいて、33年の年忌ごとに必ず首吊りがあり、最近の例では大石という女性の本家の老人であった。真夏なのにとても寒がり、これはミサキが憑いたのだということで見張っていたが、ちょっとの隙に首を吊ってしまったという。
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