国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

オオムカデ
1963年 秋田県
悪食喜平は岩谷の人で、網にかかった物は何でも食べたので「悪食」と呼ばれた。若い頃は畑7畝の大ムカデを退治して食べたこともある。変なものを食べても蕎麦酒さえ飲めばみな消化した。だがある時、母親が蕎麦酒を飲ませてくれなかったため死んだ。

類似事例(機械学習検索)

ダイジャ
1963年 秋田県
神社にあった太い山芋のつるを掘り出したら大蛇に変じ村人を食べる。悪食喜平が河童を捕まえて居場所を聞き、淵に潜って大蛇を殺し、死骸を荷造りして殿様に献上した。荷造りした坂が「荷坂」で、大蛇を切った血が土に染みて今でも赤い。
類似事例

ヤマバト
2001年 青森県
飢饉のときに、炒粉(麦を炒って臼で引いて、藁を混ぜて粉にしたもの)を食べていた。子供が父親に炒粉の弁当を届に行ったが、魚がそれを食べるのが面白くて全部やってしまった。子供が畑の父のところに行ってみると、父は餓死していた。子供は「テテ、コケ、アッパ言(へ)った」と叫び、喉から血を吐いて死んだ。父が蒔いた蕎麦が、血が流れたところから芽を出した。だから蕎麦の根は赤い。そして山鳩は「テテコケ、アッパヘタ」と鳴く。
類似事例

カイレイ,カイシキビョウ,セガキ
1974年 広島県
備後国三好から二里山奥の広島領で、米蔵の米を10石ほど食べた大蛇に村人が怒り、大蛇を殺したところ、村に怪しい病が流行した。老若男女問わず、自らの指を切り取り、すべての指がなくなると死んだ。僧が施餓鬼をなし、大般若転読を行ったらやんだ。
類似事例

キツネ
1929年 長崎県
山田村が千々岩と境する木場というところに十傳という人が住んでいた。十傳どんが日見ノ峠の狐に「八面グリ」と狐の「七面グリ」を交換しようと持ちかけ、「七面グリ」を手に入れた。翌日、十傳どんの乳母がやって来て、「七面グリ」を見せると、乳母に狐が化けていたので、取り返された。神主の格好をした十傳どんが狐を訪れ、人間の手に触れた「七面グリ」を祈祷しようと家に持ち帰った。夜に狐がやってきたが、返さなかった。翌朝、戸口で狐が舌を切って死んでいた。
類似事例

オニビト
1922年 静岡県
住職が難病で苦しんでいた。膿血を吸い出せば楽になるので、小僧に命じて時々吸わせたところ、小僧は肉の味を覚え、鬼人となって近隣の山に住み、往来の人を捕えて喰うようになった。その後、貞観年中に在原業平が東国に下向した際、地蔵尊に祈念し鬼人を降伏した。
類似事例

ムカデ
1972年 滋賀県
昔、野須、栗太の両群におおきなムカデが住んでいて、三上山を7巻半して瀬田の橋に首を出し、通る人に危害を加えていた。そこで俵藤太秀郷という勇将が退治した。弓でムカデの目を射、太刀を振るって三つに切り殺したという。このときムカデの頭は浮気に、胴は勝部に、尾は瀬田に落ち、それぞれの村で焼き捨てたが、祟りがあるのでそれぞれの村で頭、胴、尾の形の大松明を作って焼くことになったという。瀬田では中絶したが、浮気、勝部では今でも行なっている。
類似事例

タコ
2002年 山口県
昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
類似事例

タコ
2002年 山口県
甚平という下手な魚釣りがいた。甚平は正直者であったので、神様が1本づつ蛸の足を切らせるようにした。ところが切っていく途中で甚平が欲心を起こしたので、神様は腹を立て蛸に甚平を殺させた。
類似事例

ニクショク
1974年 東京都
寛永5年、伊勢参宮した者が帰路三州岡崎で鹿肉を食べた。帰宅後飯を食べなくなり、虫を掘り出して食べていた。後に堤に捨てられて、猫・犬・鼠などの死体を食べるようになった。
類似事例

(フコウ)
1976年 長野県
慮平という不孝甚だしいものがいた。その父親が死ぬ時、必ず近くに変事があるだろうと言い残したが、当年に及び、母親が発狂して慮平の不孝ばかりを口走った。その声や所作は父親のようであった。その内、母親の体に鱗のようなものができ、天竜川に連れて行けと言うようになったので、牢を造り閉じ込めた。すると慮平も発狂し、牢に向かって得も知れぬことをいって苦しむようになった。
類似事例

オニ
1980年 青森県
鬼がいて人をさらって食ったので、退治することになった。偉い人が鬼が島に行き、鬼が飲むと毒になる酒を飲ませて退治した。残った鬼に煮干が動き、炒り豆から芽が出て、岩にごぼうが生え、竹が桃になるまで人を食うなと念を押した。正月、煮干を挟む行事の由来。
類似事例

オンリョウ
1957年 熊本県
別当の先達に打擲された宗平は自宅から岩屋まで一足三礼し、呪詛して「われ死して後、怨霊となって先達子孫に永く報いん」と高声に唱え、17日断食の後、岩屋の中に入水したが、その時、頭襟と履だけで姿形は見えなかったという。
類似事例

ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔1人の僧が、毎年盆中に米ヶ袋の家を歩いて棚経をあげ、盆棚のお下がりを馳走になっていたが、何年たっても年を取る様子がない。ある年、またやってきて一軒の家で麦飯を馳走になる。そばで3,4人の若者が下の渕で毒流しの相談をしているのを聞きつけ、盆中の殺生は止めなされと固く戒めて帰る。源兵衛という者が跡をつけていくと僧は渕の中に消える。源兵衛が毒を流すと大鰻が浮んだので割いてみると、腹の中から麦飯が出る。
類似事例

ギョウニンヅカ
1956年 宮城県
もと同寺裏北九番丁の廃寺光福寺にあった。五大藩主吉村が中山へ狩りした時、宗海という行人が鳥滝で修行中であるのを遠くから見て、あれは何かと家来に聞くと垢離取りと答えたので、鳥と思って銃殺し、吉村はたたりに苦しんだ。近習の矢野右近が身代りになって死ぬ。仙台市青葉区上愛子(生き埋め伝説)、仙台市青葉区川内(榎塚とも)、栗原郡高清水町経ヶ崎(行人万海が生き埋め、満開壇とも)、仙台市若林区五ツ谷(詳細はC0310741)。
類似事例

ムジナ
1933年 長野県
嘉平が山に行くと狢の巣を見つけたので、生松葉を集めて焚き燻して捕まえようとした。けれども、夕方までしても駄目だったので諦めて家に帰った。その晩、嘉平の家と間違えて隣の喜右衛門の家の戸を叩いたり引っかいたりして騒いだ。
類似事例

(フクチシチダユウ)
1980年 福島県
陸奥国の掛田というところに、福地七太夫という男がいる。彼は江戸に行くときに5升分の米を餅にして食べて出発し、75里(約300km)の道中は何も食わなかった。帰る時も同じようにして道中は何も食わなかった。
類似事例

ムクイ
1974年 千葉県
上総国庁南の妙覚寺門前のある人の父は、耳、目、鼻、口のない瓢箪のような姿であった。そのある人いわく、父は若い時にさし網で鳥を狩り、あらゆる殺生をしてきた報いだという。頭に粥をかけると、鳥の嘴がたくさん出てきて少し鳴き声がして粥を食べた。
類似事例

ヤマウバ
1984年 岐阜県
男がものを食わない女を嫁にする。ある日様子を見ると4~5人の子どもに腹いっぱいたべさせ、自分は丸髷の中に握り飯を隠した。男は見つかって山姥になった女に食われそうになるが逃げた。山姥は蜘蛛に化けて男のところに来るが、いろりの火に投げ込まれて死んだ。
類似事例

アクセイ,ソバ
1983年
5月の中旬に、南の空に悪星が出現したという。これを見た者は必ず死んでしまうといって大いに恐れられたが、その時に蕎麦を食べると死ぬという話が広まった。
類似事例

コギツネトショウベエ
1956年 宮城県
昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内