テング 1975年 京都府 ある時天狗が金剛勝院に集まり酒宴をしていた。ある天狗が酔いに任せて四条河原辺で肉食しようとしたら穢多に殺された。
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バケモノ,ネコマタ 1974年 東京都 寛政八年の春、ある茶屋に昔なじみの客が五、六人で来て飲食した。代金はいつものように宿まで取りに来るように言って帰った。その後代金を取りに行ったら飲食した人は七年前に死んでいた。思い出せば、ヒラメ三枚を頭も骨も残さず食べていた。猫まただったのだろう。
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ムジナ 1932年 長野県 ある時、大和尚さんが狢に食い殺された。狢は大和尚さんに化けて庄屋めぐりをした。ある庄屋の家で狢であることがばれ、殺されてしまった。その庄屋の家は死絶したそうである。
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ネコ 1983年 東京都 湯島円満寺前の煎餅屋に、夜な夜な大きな猫がやって来て食物を喰らうので、亭主が猫を捕まえて酷く殺し、妻に命じて猫を捨てさせた。その妻が帰ってくると、あっと叫んで夫の顔を引っ掻き、色々と猫の動作をまねる。もてあました亭主は近所の人々を集めてようやく縛り上げた。するとニャアニャアワウワウと泣き叫び、物を食う時も器の中に顔を入れて、魚を好んで食べたという。
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ムジナ 1989年 静岡県 檀家総代のニシという家に鎌倉建長寺の和尚が来た。犬が嫌いで、飯の時に人を寄り付けない。覗くと犬食いをしていた。東海道の原の宿でイチモツという犬に食い殺されたとき、3日後に大むじなの正体を現した。
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カイジョ 1978年 東京都 寛政11年3月22日雨の強く降る夜、四ッ谷大番町のある武士の家来が美しい女子と会った。以来その女子は夜な夜な家来の下を訪れるようになった。主人が見咎め家来を見張っていると、寝ていた家来がうなされていたので抜刀した。すると猫ほどの大きさの黒いものが軒下に逃げた。
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タヌキ 1989年 静岡県 マンロクという名主の旧家に鎌倉建長寺の和尚が来た。犬が嫌いで、飯の時に人を寄り付けない。覗くと汁と飯を一緒に犬食いしていた。また、入浴後に毛がちらばっていた。ハッピキ太郎という犬が食いついたら、大きな古狸になって死んだ。
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(フメイ) 1989年 静岡県 入間の海蔵寺に鎌倉建長寺の管長が来た。飯の時に覗くと汁と飯を一緒に犬食いしていた。松崎の江奈で四つ目犬という犬に噛み殺されたら、正体を現した。なにか獣が管長を食い殺して化けていた。
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クギョウニバケタムジナ 1956年 宮城県 百五,六十年程前の話。地方巡検にきた公卿の一行が片浜下の畠山家に泊まる事になった。この公卿は魚が大好きで,鰹など家人の驚くほど貪り食った。七日ほど滞留したが,その間一度も入浴せず,また犬を大変嫌っていた。余り外出しなかったが,たまに出て行くと犬が集まってきて異様に吠える。出発の時も犬を避けるためか,舟で出て行った。公卿は気仙の有住で群犬に襲われて咬殺され,狢の正体を現した。この古狢は京都のある寺に棲んでいたのが奥州に下ってきたのだと言う者もいる。畠山家と階上村の近藤家には,お公卿様が書き与えられたという護符の掛軸がしまってあるといわれる。
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ムジナ 1984年 山梨県 鎌倉の建長寺の和尚が京都から鎌倉へ帰るときにこのあたりを通って帰った。小明野の新田のミヤブ様のところへ泊まったが、そのときに人間ばなれした行為をするというようなことがあった。そして、今度向原の方へ来て、泊まったとき、つないであった犬が和尚をかみ殺したため大問題になった。何かあるに違いないと思って三日間外へ干したら爪がムジナの爪になった。京都から来る途中で和尚はムジナに喰い殺されて、ムジナが和尚に化けたのだ。
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タヌキ 1989年 静岡県 ヒヨケという宿に鎌倉建長寺の貫主が来た。犬が嫌いで、飯の時に人を寄り付けない。覗くと犬食いをしていた。三島でむく犬に食い殺され、数日後に大きな古狸の正体を現した。古狸の書いた、「亀」字を裏返した掛軸が残っている。
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シュゲンシャノタタリ 1956年 宮城県 昔仙台城下東郊に広田甚八という番士がいた。ある時仲間と酒盛りをしていると,盛り上がっている頃に山伏が戸口にやってきて法螺貝を吹き鳴らした。座興を壊された甚八は立腹して山伏に斬りかかり,助命を請う山伏を殺してしまった。翌日甚八はその筋に無礼討の旨を届け,お咎めもなくすんだが,その後行状を改めるどころか益々酒乱と狂気の状が募って遂に座敷牢で狂い死にしてしまった。また,甚八の息子が江戸番馬上役を仰せつかったが,上京の前夜一人の山伏が来てここは広田殿の屋敷かと聞く。そうだと答えると「みんな亡んでしまったと思っていたのに」というので下僕はこれを叱り飛ばし,その旨主人に告げた。主人も親戚も山伏と聞くと顔色を変えて,山伏を捕らえようと飛び出したが,その姿はもはや何処にもなかった。さて当主は江戸到着後間もなく失明して労咳を患い,やがて亡くなった。さらに男子彦兵衛と女子なかも幼くして死に,未亡人は後今市の丹野某の後添となったもののやはり不慮の禍で亡くなった。
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ゼンチョウ 1974年 東京都 文政6年4月22日に、江戸城西の丸御書院番であった松平外記が場内で刃傷に及び、数名を死傷させて自害した。その年の正月1日に松平家の飼い犬が門松の前に人の首をくわえて持ってきたという。これは外記の死の前兆と考えられたという。
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キツネ 1977年 大阪府 享保年中、浪速の医者が医学の知識のある真田山に住む老夫婦の家にいると、侍が現れ礼を老夫婦に述べた。食べ物を与えると獣のように食べたので怪しむと、老夫婦は、これは狐で人を誑かした為吉田家に咎められたのを詫びてやったから礼に来たのだといった。
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テング 1935年 大阪府 ええじゃないかが大流行した頃、天狗に憑かれた番頭がおり、周辺住民はその持て成しに忙しかった。その番頭は、やがて腑抜けの様になって死んでしまった。
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ムジナ 1989年 静岡県 伝馬町の脇本陣に鎌倉建長寺の僧が来た。やたらに犬を嫌って遠ざけた。飯の時に人を寄り付けない。覗くと汁と飯を一緒に食べていた。脇本陣の虎斑の和次郎という犬に、丸子で食い殺されたとき、正体を現してむじなになった。
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ムジナ 1974年 山梨県 建長寺のムジナが和尚を食い殺して和尚に化け、犬を怖がっていつも駕籠で移動し、食事のときは決して人を寄せなかった。不審に思って覗くと、風呂では尻尾でお湯を叩いて入った振りをして、飯を食うときには正体を出して四つんばいで喰っていた。そのときに和尚が「越前のロクという犬さえいなければ怖いものはない」と言うのを聞いたので、それをつれてきてけしかけたらムジナ和尚は食い殺され、3日後にムジナの正体を見せた。
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オイヌサマ 1995年 埼玉県 大尽屋の息子が蔵から金をとった。親は泥棒だと思って「お犬様は役に立たない」とくさしたら、お犬様は息子を食い殺して蔵の側へおいた。
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タヌキ 1928年 山形県 祭りのときに、金持ちの娘を人身御供に上げる村があった。あるとき六部がこの村の社に入ると、6尺もある大入道が「丹波の国の和犬(メツケイヌ)に、ちっともこの事知らせるな」と言った後に生贄を食べるところを見た。六部は丹波の国から白い犬を連れてきて大入道にけしかけた。大入道との戦いで犬は死んでしまったが、血痕の先にあった洞穴には半死の老狸が横たわっていた。
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ネコ 1962年 島根県 番頭は夜中に見た猫の恐ろしい様子を旦那に話した。猫は姿を消し旦那は病気になった。住み込みの医者を招いたが、猫が姿を見せるたびに容態が悪くなり、最後には猫の祟りで死んだ。
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