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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ハチマングウ,ハト
1937年 香川県
細川右馬頭頼之が予州の河野を攻めるとき、石清尾八幡宮に祈願すると、神殿の扉からひとつがいの山鳩が飛び出て戦い、東の山鳩が勝った。この後、頼之は四国を平定した。

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オニタイジ
1980年 京都府
頼光は鬼退治祈願のため御勝八幡神社に篭り、その加護により鬼退治を成し遂げた。
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ハチメンダイオウ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
八面大王を征伐しにきた坂上田村麻呂将軍はそれを攻めあぐね、牧の満願寺の観音堂で一心に祈った。満願の夜、観音様が夢に現れて、「甲子の年、甲子の月、子の刻に産まれた男子が三三ふしの山鳥の尾を矢にすればきっと退治できる」と告げた。将軍は山鳥の尾を探すよう、国中に命令した。
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イワシミズハチマングウ
1983年
奥州合戦の時に、源頼義軍は水に渇し士卒が大いに苦しんでいた。その時頼義が石清水八幡宮を拝し、岩を突いたところ、清水が湧出したという。
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ウシイシ,レイム
1929年 東京都
右大臣頼朝が東国追討の際みた夢のなかに、菅神(菅原道真)が牛に乗って現れ「頼朝卿に二つの幸がある、武運満足の後は小社を営むように」と告げられた。目覚めてみると夢の牛と同じ形の石があった。同年、頼家が生まれ翌年には平家を討つことができた頼朝は、社殿を建てその際霊夢を見た後出現した牛石も寄付した。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
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シロオオカミ,シロギツネ
1937年 福島県
源頼朝が墨虎という豪族を討つため、京より背負ってきた山神、稲荷神に断食7日7夜して祈願した。10月15日に白狼と白狐が現われて、足跡が点々と霊山の北の山王祠まで続いていた。神のお告げと喜んで攻めた。
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ミナモトノヨリヨシ,ミナモトノヨシイエ,イワシミズハチマングウ
1983年
源頼義・義家親子が奥州征伐に向かった時に、水に飢えて苦しんだ。その時頼義が京都の石清水八幡宮の方に祈念して、近くにあった岩を弭でついたところ、忽ち清水が湧き出たので諸軍はのどを潤したという。戦争後、この霊泉を壺に入れて上洛し、当地に井戸を掘ってうつしたという。
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レイスイ
1983年 大阪府
河内国壺井八幡宮の霊水は、奥州合戦の時に源頼義が合掌し、至誠の首を傾けて、弓弰(ゆはず)で岸を穿ったところ、霊水が出てきたという。この水を飲んだ頼義の軍は熱や渇仰が忽ち除かれ、一気に戦勝したという。この水を瓶に入れて持ち帰り、香呂峯に井戸を掘って瓶を埋めたところ、その水は源怨敵降伏の霊水として大切に扱われ、今の世でも飲めば病苦や災難を除かれるという。
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キツネ
1984年 愛媛県
河野通直という男の妻が二人になった。姿や発言も同じだったので、しばらくはどちらが本物なのか分からなかったが、食べ物を食べている時に違いが出て、捕らえて拷問したところ、狐の正体を現した。この狐を殺そうとした時、四国中の狐が集まり、この狐は貴狐明神の末稲荷の使者長狐という日本の狐の王であり、これを害した時は国に大災が起こり、化けの神変が断絶してしまうので助けてほしいと願い出た。河野はこれを聞いて不憫に思い、四国中の狐が四国から立ち去れば助けようと誓文を書いて約束した。以来、四国には狐がいなくなった。この誓文が今も河野家に伝わるが、これをなくすと狐たちは戻ってくるという。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ
1974年 東京都
寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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(ドウブツノホウオン)
1976年
中納言山蔭卿という人は、亀の命を助けて報をえたことがある。また、余吾太夫という人は、蜂を助けて蜂恩を報じ、戦に勝ったためしもあるという。
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ヌエ,サルガミ,ヘビガミ,イヌガミ
1931年 愛媛県
源頼政の母の病が重かった頃、頭は猿、尾は蛇に似た鵺という怪獣が京都の紫宸殿に現れ、頼政が退治を命じられた。仁平3年4月7日、頼政は母から贈られた矢で鵺を射落とした。その夜、母は他界したが、鵺は現れなくなったという。退治された鵺は斬られて摂津の川尻へ流されたが、四国に流れ着いて祟りをなしたとか、頭は讃岐に着き猿神に、尾は伊予で蛇神に、手足は土佐、阿波に着いて犬神になったともいわれる。
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シンジュウ,アカイ
1975年 大阪府
摂津の菟餓野で祈狩(うけひがり)をすると赤猪が出現して敵対すると皇子を喰い殺した。
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ヘビガミ,サルガミ,イヌガミ
1922年
昔源三位頼政が紫宸殿で射落とした鵺という、頭は猿、足は犬、尾は蛇に似た怪獣を切って攝津の川尻に投げ込んだ。それが海を漂い頭は讃岐に、手足は阿波・土佐に、尻尾は伊予に着いた。その祟りで伊予には蛇神、讃岐には猿神、阿波・土佐には犬神がいるという。また一説には犬神の起りはある残忍な人が犬を柱に縛り付け、その目の前に食べ物を置き、悶えて餓死させ、その犬の妄執が残忍な人に乗り移って子孫代々犬神になり、他人を悩ますという。
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フシウシジョウ,ガギュウジョウ,カメ
1931年 栃木県
那須与一が那珂川の東にある平群の山に城を築こうとしたが、数万の烏、烏が恐ろしい叫び声をあげながら現れ、幣束を山の山頂に移した。夢に現れた白髪の老人の言に従い、与一は城山の上に築城をはじめた。その際、数10頭の牛を礎の下に埋めた。城に敵が近付くと、城は臥牛の形になり、唸り声を上げて大地を震わせたが。敵が城門に近付くと城内の大池に現れる亀から吐き出された水が濃霧になり、敵兵を惑わせたという。
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オニ
1929年 京都府
一条天皇の頃、大江山に妖賊がでるので退治を命じられた源頼光が、山伏に姿を変えて和田街道へ進み、上川口村宇野花の孫八という農夫孫八に山の案内を頼み鬼の棲家を探す途中三貴神に出遭って道を教えられ、鬼獄稲荷神社で鬼毒酒を賜って鬼降伏祈願をして、やがて首尾よく鬼を退治することができた。
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オニ
1992年 山口県
源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ケチョウ,ヌエ
1976年
源頼政の射った怪鳥を鵺という。夜鳴く鳥の事とも言われ、雉のような形で白い翼と黄色い足を持つともいう。昼は山に隠れて夜飛ぶ。頭は猿で体は虎、尾は蛇で足は狸である。東宮がこれの為苦しんだ時、頼政が射芸で解決した。
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シカ,カラス,シラサギ,キツネ,ハト
1983年
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、春日大社の鹿・熊野大社のからす・気比神社の白鷺・稲荷大社の狐・男山の鳩が、次々と西へ向かっていったという。
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