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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ,ナマハゲ
1935年 秋田県
中山人形にはなまはげの土偶がある。なまはげは次の伝説に由来する。往古支那より漢の武帝が五匹の鬼を引き連れて男鹿半島の本山に渡来した。この鬼共は武帝のために普段あらゆる苦役に従事していたために、正月15日だけは村里に現れ、欲することを自由に許されていたという。

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ミケン,サカヅラ,オウリョウキ,クビト,ガンコウキ,ナマハギ
1935年 秋田県
男鹿の神は赤神で、漢の武帝を祀っているという。漢の武帝に従って来た鬼五頭は、眉間、逆づら、横領鬼、首人、がん光鬼で、眉間と逆づらが両親だというがすでに死んだ。残った三頭の鬼が師走になると暇が出て、山を下って村に来るという。これが神事となったのがなまはげである。
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ナマハゲ
1958年 秋田県
昔、男鹿の本山の神様が鬼を家来にして使っていて、正月15日の夜だけは里に下りて掠奪乱暴することを認めた。これが秋田県男鹿半島の生剥げの行事の由来であり、北京にも類似の行事がある。
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タヌキ,オオニュウドウ
1935年 三重県
四日市市諏訪神社の祭礼に出る、からくり人形の山車うち、桶之町からは大入道、蔵町からは狸が出る。大入道は狸の化け姿といわれるだけに伝説がある。いつの頃からか桶之町には大化けが出るといわれ夕暮れが迫ると人足が途切れる。大きな傘の一本足だったとか酒樽がころがっていたとか、黒白の縦縞に赤い太帯を締めてニューッと立って首をグワーッとのばして長い舌で首をなめられたとかいう。その態を模して山車を作ったという。
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ヤマワロ
1950年 熊本県
左甚五郎が人形を作って仕事を手伝わせた。仕事が済んだ後「人に悪さをするな」と戒めて海に千匹、山に千匹をはなったという。
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マセキ,ホウセキ,オニ
1943年 山形県
推古天皇の6年、午の年、羽黒山の後の鬼名澤というところに麻石という鬼が現われて、人を悩ませた。能除太子が8月にこの鬼を封じたが、翌未の年に男鹿の島に包石という鬼が住み始めたので、太子は6月15日にこれも封じた。
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〔オンビョウオオテンバ〕,ネコ
1956年 宮城県
儀八郎の老母おさんがある時から急に敏捷になり生臭物を好むようになった。猫踊りのような踊りを見せることもあった。その頃鶏などが攫われる事件があったので,近所には恐ろしい噂が広がっていた。その頃のある日の夕方,六部が一人浜街道をやってくると杉並木の辺りで突然頭上から怪物が襲い掛かってきた。斬りつけると手応えがあったが,怪物は逃げ去ってしまった。その夜六部が儀八郎の家に宿を乞うと,急病人が出たということで一旦断わられたが納戸の一間を借りることができた。夜更けに隣室の物音で六部が目を醒まし,そっと窺うと子猫たちが遊び戯れており,犬程もある虎猫が後肢で立って行灯の油皿を舐めている。翌朝六部は主人に昨夜来の事情を話し,その夜二人で老女の部屋に飛び込んだ。ようやく怪物を仕留めてみると老母の姿であったが,朝日に照らしてみると骸はやはり古猫であることが判明した。この怪猫は松崎の猫渕に棲んだ古猫で,その死骸を埋めたのが猫石だと言われている。儀八郎はその後六部に金塊を贈り,六部はこれを観音像にした。その後観音像と由来書は儀八郎の子孫の家に届けられ,今も保存されている。
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テンノウキツネ
1955年 岡山県
布寄神社を天王様といったが、このお使いの天王狐がいる。天皇狐は変事がある前の夜には必ず出てきて鳴いたと言う。また天王狐は油揚などを好んで夜村の人が持って歩いていると必ず取られていて他のものと入れ替えられていたと言う。また昼でも出会った人が石を投げると怒って一日中山の中を歩かされたという。
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フナレイサマ
1939年 神奈川県
三寸くらいの紙人形の男女(墨で顔を書き、女は赤、男は黒い着物を着せてあると)を腹合わせにし、髪の毛、米、稗、大豆とピンコロ(賽)を天一、地六、オモテミアワセトモガシアワセ、トリカヂコニツコリ、オモカヂグツスリに置き、ツヅノカタにきりこむとのことである。
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ムシボイ,カヤニンギョウ
2001年 青森県
6月24日に、カヤで男女二体のほぼ等身大の人形を作り、悪虫退散、五穀豊穣と紙に墨書きした幟を持ち、太鼓、笛、手平鉦を鳴らしながら村中の田を巡り、隣部落の境まで持って行って立ててくるもので、人形を作らないところもある。
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カワコ
1961年 島根県
平清盛が安芸の宮島に参詣して沢山の人形を作り、それぞれに仕事を命じた。最後に残った人形が命令を請うと「お前はシリに来たから人の尻でも取れ」と命じられた。それでこの人形がカワコ(河童)になって、人の肛門を取るようになった。
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カッパ
1949年 九州
左甚五郎などの大工が、大建築の際の人員不足を補うつもりで人形を作ると、それに魂が入って動き出し、たちまち仕事を終わらせた。その後この人形を川に流したものが河童になって、人の尻を食べるようになったと言われている。
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カミノオツゲ
1935年 熊本県
おきん女という玩具の由来。数百年前、六郎という孝子が戦で瀕死の重傷を負った父右近の回復を毎夜市杵島の神に詣でて祈った。この孝心を哀れと思ったのか、神のお告げによって日奈久の温泉を発見し、之に浴して父右近は全快した。この時六郎の孝心にほだされて、陰になり日向になり右近を看護したのがおきんという女だった。
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ヌスットオクリ
1938年 福島県
村人のなかに盗人がいてもあからさまに言えないので、男女2体の藁人形を作り、これをかついで村はずれまで送り、竹槍で人形を突いて川の中に投げてまた突く。そうすると実の犯人は同じところを病むと信じられている。
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カッパ
1985年 熊本県
左甚五郎が作った人形が夜のうちに寺を建てた。人形を川に捨てる時に「人間の尻をとれ」といって捨てた。これが河童である。そこで河童は仏様のご飯をいただいた人間の尻はとらない。
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カッパ
1985年 熊本県
左甚五郎が藁人形をたくさん作って大名屋敷建築を手伝わせた。人形を川に捨てる時に人形が「何を食べたらよいのか」と聞いたので「人間の尻を食べろ」と答えた。河童が人間の尻をとるようになったのはそれからである。
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カッパ,スイテングウ,カワドウジ
1935年 福岡県
久留米市に鎮座する水天宮は、『甲子夜話』65に「本草綱目にいう水虎河伯、筑後の国には水天宮、九州には川童子」と出ているのに因み、河童竹、河童鈴、河童人形などの玩具を分与している。
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キツネ
1972年 千葉県
昔、狐が穴倉に棲んでいて、人を化かした。一晩中山道を歩かされ、ツトッコの中に入れていたイワシをとられた。
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オオニュウドウ
1989年 静岡県
沢の枝の山中に、吉三郎の穴と呼ばれる岩穴がある。海名野の吉三郎がここに寝泊りして炭焼きをしていると、大入道が来て相撲を取ろうと言った。吉三郎は怖くなり、藁人形を身代わりに置いて山を降りた。翌朝行くと藁人形はズタズタにされていた。藁人形を川に流したら海名野に流れ着いたので丁重に祀り、供養のために人形を舞わせた。これが海名野の人形三番叟のおこり。
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カンコウ,スガワラノミチザネ
1935年 香川県
高松の嫁入り人形、稲穂持天神にまつわる話。官公は、仁和2年正月16日から5年間讃岐の国司を勤めた。ある年降雨がなく、池や川も枯れ、田植えも出来ず百姓は苦しんだ。それを見た官公は、讃岐に限り雨が少ないのは自己の不徳のせいと、讃岐綾歌郡府中村の城山で斎戒沐浴し、祭文を城山神に捧げて雨を祈った。それが神に通じ、天忽ちにして曇り大雨が降り、農作物は蘇生し、農民は喜んだ。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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