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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

サル
1935年 広島県
昔宮島には野猿が多数生息していて人家等に群がり悪戯をし、また神鹿に餌を与えるとそれを横から取ってしまう有様だった。後に鹿と戯れ遊ぶようにはなったが、度々人家に被害を及ぼすので遂には猿を捕獲し毛を切り、面に墨を塗り青海苔浦から3里ほど離れた小黒神島へ棄てたが、猿は縄を切り海を渡って宮島へ戻ってきた。なす術もなかったが間もなく麻疹が流行してそれが猿に流行して猿は絶えた。

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〔サケノダイスケ〕
1956年 岩手県
旧家羽縄(ハナワ)家に伝わる伝説。沢山の牛を飼っていたが,毎年巨鷲が飛んできて牛を掠っていく。刺し殺してやろうと,主人が牛の皮をかぶって待っていると,鷲に掴み去られて玄界灘の孤島の老杉の枝に置き去られた。島から逃れられず困っていると,老人が現れて「私は鮭の化身で,大助という一族の長だが,毎年10月20日には仲間達が気仙の今泉川に入って産卵する例になっている。貴国の人たちへの恩返しとして送って進ぜよう。」と言う。主人は無事帰郷できた。羽縄家では毎年10月20日に当主が川口に行って神酒を供え,鮭綱を切ってやり,産卵しやすくしてやることが明治頃まで仕来りとなっていた。また羽縄家では一切鮭を口にしなかった。
類似事例

カイジン,ドクヘビ,ダイジャ
1929年 東京都
神代の昔、三宅島中根の漁夫が不漁の為に大漁と引きかえに、海神に向かって娘を差し出す約束をした。だがすぐに後悔し、かわりに妾を差し出したが、毒蛇(大蛇)は許さずどこまでも人々を巻き込み荒れ狂って娘を追い続けた。娘は神々の加護により神通力を得、白い鷹、白い鳩、虫になり逃げ回りながら守られた。神々は大蛇を退治して切り裂き、島に撒いたので、三宅島には今も蛇が多い。
類似事例

エンコ,カッパ
1930年 高知県
馬を河畔に繋ぎ置いていたら馬が突然駆け引き綱に猿猴がつかまっていた。殺そうとしたが憐みを乞うので逃がしたところ、翌日から謝礼のために毎日魚を持ってきて、木の鉤に掛けた。鹿の角の鉤に代えたら、持って来なくなった。猿猴は鹿角を忌むからである。
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サルノヨメゴ
1956年 宮城県
昔、ある家に娘が3人いた。ある年の日照りに、どこの田にも水がなくて困っていると、1匹の猿が来て、「あんたの田に水をいれてやるから、娘を誰か1人くれ」というので父が承知すると、猿は忽ち水をためる。父が猿との約束を心配していると、末の娘が快諾して猿の嫁となる。2,3日後、猿と娘がお舅礼に来る途中、藤の木の前で、父にこの藤の花をとっていきたいと娘が言う。猿は木に登ってとろうとし、娘がもっと先というのにつられ、先まで行った。するとからまった藤のつるが木からはなれて猿は川の中に落ち、娘は無事家に帰ってきた。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
類似事例

ヒイヒイザル
1993年 三重県
ヒイヒイ猿という猿が、黒田集落から娘を人身御供に取っていたので、旅の由井小雪が身代わりになった。小雪が神輿に乗って待っていると、松脂と砂で毛を硬くしたヒイヒイ猿が降りてきた。小雪は毛の隙間のある首と足を狙って猿を斬り捨てた。猿の頭は比奈知へ、足はサガラの橋へ飛んだ。猿は「去る」に通じて縁起が悪いから婚礼の行列はサガラの橋を通らない。比奈知では今もヒヒマツリという祭りをしていると言う。
類似事例

キツネ
1987年 長野県
昔,長門町(現長和市)と丸子町の境,鳥羽山に尻尾の先が白い狐が棲んでおり,よく人を化かした。あるとき,仙石原の方から子供達が大勢やってくると,犬たちが揃って吠え始めた。するとその中の一人が今やってきた道をまっしぐらに駆け出し,四つんばいになって山の中へ走りこんでいった。村人が一晩中探したがその子は見つからず,翌朝,村から10数メートルも離れた隣村の山中で発見された。子供は疲れていたが元気で,着物には白と茶色の狐の毛がびっしりつき,地面には生物の血が転々と落ちていた。狐の毛も沢山散っていた。以後件の狐を見たものはいない。
類似事例

サルカニガッセン
2000年 東京都
昔々、蟹が猿に殺された。子蟹が泣いていると、栗と蜂と臼がやってきて「仇を討ってやろう」と言った。猿が囲炉裏に火を入れると、栗がはじけて向うずねに当たった。「あちいあちい」と言って猿が味噌部屋に飛び込み、火傷に味噌を塗ろうしたところに、蜂が飛んできて刺した。「痛え痛え」といって外に飛び出したところ、屋根から臼が落ちてきて猿を押しつぶした。そこへ子蟹が出てきて、鋏でちょきんと首を切って仇を討った。
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カッパ
1961年 岩手県
兎は猿と河童を利用して馬車ひきの荷物を盗みとった。河童には塩を分け与えたが川で溶けてしまい、茣蓙を割り当てられた猿は滑って尻を剥いてしまった。兎は豆を喰べてひとり得をしたが、体毛に豆をつけてまめぼろしができて損をしたふりをした。
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サル,ダイジャ
1973年 福岡県
文政7年6月に、宗像郡初の浦という所の山に置いていた煙草が何者かに荒らされた。百姓らは獼猴(猿)の仕業と思い、数十人が山に入ったところ、50匹ほどの猿の群れが大蛇のまわりを取り囲んで闘っていた。その猿の口と手には煙草の葉を持っていた。結局蛇は猟師によって始末され、猿は銃声におびえて消えたが、蛇が煙草を嫌うのこと知っていたのだろうと思われた。
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キツネ
1974年 愛知県
尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
類似事例

エンコウ
1993年 高知県
猿猴が馬を川に引きずり込もうとした。猿猴とは河童である。けれども逆に馬に引っ張られ、捕まってしまった。猿猴が泣いて詫びるので許すと、翌朝から戸口の鉤に魚が吊り下げられるようになった。ところがある朝、鉤が折れたので、丈夫な鹿の角の鉤に取り替えたところ、翌朝から魚を持ってこなくなった。猿猴は鹿の角が嫌いだからである。
類似事例

サル
1951年
爺さんは草取りを手伝ってもらった猿に娘を上げる約束をし、末娘が行くことになった。娘は猿と爺さんのところへ行く際、猿に臼を背負わせ、自分が餅をついた。橋の中ほどで猿を川に突き落とした。以後ここを通ると猿が来て子供のお守りをしたという。
類似事例

カッパ
1981年 東京都
大昔、かまの口という所に河童が出て人を引き込み、内臓をえぐって骨と皮ばかりにしていた。そこで村人たちが退治しようとしたが上手くいかず、逆に1人川に引き込まれてしまった。それで誰も近づかなくなったが、河童はお腹がすいたのであちこちに化けて引き込むようになった。けれども、ある人が河童を捕まえて殺し、それからは河童がいなくなった。
類似事例

ヒイヒイザル
1993年 三重県
ヒイヒイ猿という猿が、大谷の山から黒田に降りてきて畑を荒らしていた。旅の由井小雪がその話を聞いて、猿を切り捨てた。その猿の頭が比奈知へ、足はナガヤ(今の新川)へ飛び、胴体が黒田に残った。黒田では庚申堂を建てて供養した。新川では、猿は「去る」に通じて縁起が悪いから婚礼の行列はそこの橋を通らない。比奈知では今もヒヒマツリという祭りをしていると言う。
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サル
1973年 香川県
百姓が田んぼで仕事をしていたところ、仕事が残ってしまった。困っていると猿が来たので「娘をやるから仕事をしてくれないか」と言うと猿が代わりにしてくれたので、娘を嫁にやった。後に正月か節供に餅を持って里帰りしてくるとき、娘が大きな柿の木の下で柿を取ってくれと猿に頼んだ。猿は柿を取ろうとして下に落ち、溺れて死んだ。娘はそのまま家に帰った。
類似事例

キツネ
1972年 千葉県
稲荷様の傍の神木に狐が住み着いたのに気付かず、その木を切り倒してしまって、狐は鋸にひかれて死んだ。その木には子狐が3匹いた。その後、その家の人は病気になり、死んでしまった。
類似事例

サル
1941年 愛媛県
田の水のことで困っていた老人に、猿が三人の女の子の中から嫁をくれれば水をかけてあげると言った。娘のうちの一人が猿のところに嫁に行ったが、猿をだまして殺してしまい、家に帰った。
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ムジナ,ダンザブロウムジナ
1934年 新潟県
佐渡島には狢が群れをなして住んでおり、その首領の名前を団三郎と言った。鎌倉時代の末期、狐が渡って来て、団三郎と妖術の勝負をした。狐は嫁入りの行列をして見せた。そこで団三郎は大名行列をして見せると狐に行った。狐は大名行列のあまりの見事さに驚いて近寄ったら、その行列は本物で、狐は殺されてしまった。それ以来、佐渡島に狐は来なくなった。
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ネズミ
1976年 愛媛県
安貞の頃、矢野保の浦にある黒島という島で、ある時漁師が網で数百の鼠を引き上げた。鼠は逃げ去り、その後島の田畑は鼠に荒されるので、畑を作らなくなった。水鼠とは鼠に似て小さく、小魚や小蟹が化したものであるという。
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