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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

サル,ダイジャ
1973年 福岡県
文政7年6月に、宗像郡初の浦という所の山に置いていた煙草が何者かに荒らされた。百姓らは獼猴(猿)の仕業と思い、数十人が山に入ったところ、50匹ほどの猿の群れが大蛇のまわりを取り囲んで闘っていた。その猿の口と手には煙草の葉を持っていた。結局蛇は猟師によって始末され、猿は銃声におびえて消えたが、蛇が煙草を嫌うのこと知っていたのだろうと思われた。

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シロサル
1973年
羽州に山役所という処があり、ここを預かる大山十郎という人は、文政元年6月に先祖伝来の刀に風を当てていた。そこに3尺ほどの白い猿が1匹やってきて、その刀を奪って逃げた。十郎と供の者は後を追ったが、山中に入って見失った。翌日大勢で山に分け入ると、白猿は刀を腰に帯び、刀を抜いて人々と闘ったが、白猿の身には少しの傷も付かないかった。鉄砲すらその体を通らなかったという。
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サル
1976年 三重県
賀州の山中で猿が常に丸いものを持ち歩いていた。ある人が銃で撃ってみると、それは木の葉で幾重にもくるんだ1個の弾丸だった。
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ヘビ,タタリ
1973年
文政8年4月27、8日のころ、2人の火消仲間が交尾している蛇を殺した。ひとりは5月8日に発病し15日に死んだ。もうひとりは同月20日に病気になり蛇のことばかりを口ばしり、狂いまわった。修験者に見てもらったが、6月1日に死んだ。また蛇を殺すのを手伝った者も病気になった。
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ヘビ
1967年 福島県
文政のころ、八沢村の阿弥陀寺に大変な数の蛇がいた。中には3メートルばかりのものもおり、子供が近づいても逃げない。寺の小僧がこのことを坊さんに話すと、坊さんは追い払わなくても蛇が好きなものをやればよいという。好きなものは何かと小僧が聞いたところ、坊さんは冗談に煙草のやにだといった。小僧が蛇に煙草のやにを食わせたら、蛇は苦しみどこかへ行った。小僧が寺に帰り掃除をしていると突然発狂したように苦しみ、蛇が腹を巻いているという。坊さんが阿弥陀に祈ると小僧の苦しむのが止んだ。そこで蛇のために卒塔婆を建てたのが八沢の蛇塚だという。
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ダイジャ
1974年 愛媛県
侍が妻夫山へ鳥を取りに行ったところ1羽もとれず、煙草を吸っていた。松の大木があったので吸殻を落とそうと思って木を叩くと、松が動いた。それは大蛇だったという。
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サル
1976年 福島県
奥州会津の黒沢の山中に大きな猿がいて、200匹ばかりの群れを率いていた。その猿は、いつも大きな丸い物体を持ち歩いていたが、ある人がそれを見て怪しんで、銃で猿を撃ち殺した。猿が持っていたのは、短刀が曲がって朽ちたもので、それは藤蔓で何重にもくるんであった。
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ダイジャ
1982年 宮城県
田束山で三菜を採っていると、大蛇が現れて頭をもたげて舌を出した。蛇は煙草が苦手だと思い出して煙草を吸ったら、蛇は逃げていった。山仕事には煙草を必ず持っていかなくてはいけない。
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ヒヒ
1976年 新潟県
延宝か天和のはじめ、ある山家の老人が山から帰ってこなかったので、その妻がいぶかしがり、人に頼んで山を捜索してもらった。すると山奥に老人の笠とわらじが落ちていたので、それを怪しみ、村で山狩りをした。ところがなにもなかったので下山しようとすると、風が藪を吹くような音がしたので振り返ったところ、赤熊を被って目が星のように光る獣が襲ってきた。大力の若者が鎌で眉間に切りかかったが、若者を谷へ投げ落とした。残った者は逃げ帰り、越後公へ訴えた。そこで江戸より軍師を呼び、山狩りを行わせた。獣が現われたので、それを鉄砲で仕留めた。
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ヤモリ
1974年 長野県
信濃国松代の山里に、有名な力自慢の者がいた。水無月の頃に彼は友人と山に入ったところ、きわめて大きな蛇が出てきた。そこで彼は上あごと下あごを持って口を裂こうとして失敗し、鎌で大蛇の口から喉にかけて切り裂いた。その体の太い所だけを家に持ち帰ると、親は大蛇は山の神に違いなく、必ず祟りが起こるといって家を追い出した。里長が何とか宥めた。彼の身体に蛇の匂いがついて抜けず、医者が薬を与えると消えた。その医者が言うには大蛇ではなく野守だという。彼はその後、山に入って官木を盗んだ罪で死刑になったが、野守の復讐だと思われた。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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キツネ
1938年 長野県
昔、ある人が山で石だと思い腰掛けると子狐だった。怒った子狐はばかしたが、この人がたばこをふかして煙を送ると逃げた。
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オオグチナワ
1968年 奈良県
昭和18年頃、炭を焼いている人が山を歩いていたら大蛇が現れた。大蛇は人の気配に驚いて木に巻きつき、首を立てて睨んだ。その人は怖くなって逃げ出し、やっとの思いで小屋に逃げ戻った。
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サル
1935年 広島県
昔宮島には野猿が多数生息していて人家等に群がり悪戯をし、また神鹿に餌を与えるとそれを横から取ってしまう有様だった。後に鹿と戯れ遊ぶようにはなったが、度々人家に被害を及ぼすので遂には猿を捕獲し毛を切り、面に墨を塗り青海苔浦から3里ほど離れた小黒神島へ棄てたが、猿は縄を切り海を渡って宮島へ戻ってきた。なす術もなかったが間もなく麻疹が流行してそれが猿に流行して猿は絶えた。
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ヘビ
1930年 京都府
70年程前、男が仏谷山に牛を放して草を苅っていたら、大きな蛇が牛をたたいたので、牛が暴れた。男は牛をしばりつけていた縄に鎌を投げつけて切り、牛とともに逃げて帰った。その後しばらく男も牛も寝ついた。蛇には耳があったという。
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タヌキ,バケモノ
1975年 徳島県
猟師が鹿を寄せるため笛つけ石の横で笛を吹くと、鹿の笛をのもうと蛇が岩から出て来た。口を開けたところに出雲さんから授かったユルシのたまを撃ち込むと蛇は川の上に落ちた。その3つの角と鱗3枚を持ち帰った。また、豆腐の粕を食いながら壮士芝居を見ている爺を狸だと見抜いて猟銃で撃った。日が当たってから見てみると果たして大狸であった。
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タタリ,ヘビ
1974年 宮崎県
日州飫肥の谷で、山に薪を取りに行ったら大蛇に追いかけられた。猫と蛇が争っているのを見た。大蛇に一の矢を射るものには祟りがあるという。
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ヘビ,タツ
1980年
いたこの里にいる庄兵衛という男の庭に、桃の木がある。その木に1匹の小さな蛇がするりと上り、尾を枝につけて竿のごとく立ち上がった。そして突然煙を吐いたところ、風が吹き、消えてどこに行ったか分からなくなった。これはたつ(龍か)の化けたものであろう。
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ダイジャガオコシタオオミズ
1987年 長野県
ある日,二人の猟師が本沢にやってきた。岸の茂みに大蛇がおり,恐ろしくなった若い猟師は年上の猟師の制止にもかかわらず鉄砲で大蛇の頭を撃った。大蛇は死なず,淵に飛び込んで見えなくなった。覗き込んでみたが影も形もなく,やがて淵の中からもうもうと霧が立ち昇り,真っ黒な雲が空を覆った。その日から3日間大豪雨となり,近辺の村に大きな被害が出た。5日目になってようやく晴れた。村人の中に,蛇が流れ下っていくのを見たものがおり,きっと赤沼の池の主が池と一緒に流れ下ったものだと言い合った。
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ダイジャ
1970年 岐阜県
かつて、金山から上麻生へぬける七宗山の官林で大山火事があった。その時、山中から大蛇が抜け出し、その道筋の草木は波を打ったような痕を残し、前山の方へなびき続いていた。
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ダイジャ,ガマ
1941年 朝鮮
平北宣川の街から3里くらいのところにある険しい山は、2つの頂がある。険山には大蛇が住んでいた。ある日、少年が大蝦蟇を連れて黍畑の番をして夜更けを待っていると、大蛇が現れ少年を一呑みにしようと襲いかかってきた。すると大蝦蟇が青い煙を噴いて蛇に応じた。大蛇は力尽き、大蝦蟇も夜明けとともに死んでしまった。その後大蛇と大蝦蟇の墓ができたが、洪水で流されてしまった。今でもその墓のあたりに夜行ってみると、蛇の青い目玉が光るという。
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