チショウダイシ 2002年 滋賀県 智証大師は入唐して青龍寺に住んだ。帰朝ののち、比叡山の座主のときに、弟子に香水を取らせて散杖で西の空に三度灑がせた。弟子が問うと、青龍寺が火事で、金堂の戸に火がついたのでそれを消した、という。翌年の秋唐の人が来て、「昨年4月に青龍寺の金堂に火がついたが日本から雨風がきて火を消した」という書状をもってきた。弟子は合点した。
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チショウダイシ 2002年 智証大師が帰朝の後、坤の方に向かって水を灑ぎ、印を結んだ。門弟が問うと青龍寺が炎上しているので火を消すためだと答えた。3年して、法全和尚の門弟から青龍寺が燃えている時に美香の大雨がやってきて炎上を消したとあった。
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チショウ 2002年 滋賀県 智証大師が比叡山の千光院に住んでいるときに、弟子の僧を呼んで持仏堂の香水を持って来い」という。弟子が香水を持ってくると、和尚は散杖で西に向かって2、3度灑いだ。弟子が問うと、「宋の青龍寺の金堂の妻に火が付いたので消すために香水を灑いだ」と答えた。次の年に宋の商人が来て「去年青龍寺の金堂の妻に火が付いたが丑寅の方角から大雨が降って火を消した」という。弟子は驚き尊んだ。
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カジ,(ホウリキ) 1935年 大阪府 寺の蓮池に、唐の芦山、東林寺の火事が映ったので、知誉上人が、念仏を唱えつつ、手桶で水をかけたら日が消えた。しばらくして、東林寺からお礼の使者がきた。
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(ホウリキデカジヲケス) 1929年 青森県 或る日始覺山本覺寺五世貞博上人が、村人を呼び集め急いで山門に水を注ぎかけさせた。火事でもない所に何故水をまくのか村人はわからなくて上人に尋ねると、「只今京都の智恩院が大火である。せめて山門なりとも助けたいから皆に水をかけてもらったのじゃ」と述べた。後日智恩院から使僧がお礼にやってきた。
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ボウカイシ 1956年 宮城県 ある日、松島寺の覚満禅師が、小僧に手桶を持たせて、柄杓でしきりに石に水を注ぐ。小僧が訳を尋ねると、禅師は「今、宋の径山寺で火災が起こっており、その火を消すのを手伝っている」と答える。その翌年、宋の径山寺から、消火の手伝いの礼状と、防火鈴が届く。現在その鈴は、瑞巌寺の宝物となっている。
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アコウボウチョウスイホウイン 1931年 岩手県 龍福山長谷寺という寺に阿光坊澄水法印という年齢不明の老人がいた。文禄2年9月21日の午の刻に盥に水を持ってこいと命じ、庭に出てその水を指ではじいていた。何をしているのかと尋ねると、高野山が火事なのでその火を消すのだと言った。そのとき、事実高野山は火事になっていたという。
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レイスイ 1976年 大阪府 槙尾寺の霊水は、弘法大師がこの寺にいた時、山院の地が狭く用水が自由にならなかったため、文を咒して水を呼んだら、たちまち水が湧き出たという。今でもこの水はあり、土俗はこれを智恵水と呼ぶ。
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(イシ) 1986年 大分県 解脱闇寺の開山南渓禅師が中国の火災のため水を送った。
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カヤカケスギ 1976年 愛媛県 ある日観念寺の鉄井和尚が小僧に、「天竺に大火事がおきているので、裏山に水をかけてくれ」と言った。2,3日後和尚は、「水をまいてくれたお陰で火事がやんだ。お礼に品物を送るので高須の浜へ取りに来い」と小僧に言った。浜では箱が流れ寄ってきた。帰りにその箱を開けると、蚊帳が舞い上がった。その蚊帳は瑞巌寺の大杉にかかっていた。
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〔ケイザンセキ〕 1986年 大分県 宝陀寺開山の悟庵禅師が中国の火災のため水を送った。
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(ホウリキデカジヲケス) 1929年 福島県 好間村字大館の長奥村に智頓和尚という当時屈指の坊様がおられた。ある時「唐の金山寺が火事だ、早く消さなければならぬ」と言い出し和尚は寺男に命じて庭の石に水をまかせた。すると一天掻き曇って大雨が降ってきた。その響きは、和尚には「チドンチドン」と聞こえたそうだ。後に金山寺から御礼だとして涅槃像を送ってきた。
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メグロフドウ 1974年 東京都 慈覚大師が若い頃、師の広智と目黒の里で宿をとった。その夜に不動明王が現れる夢を見た広智が慈覚に言うと、慈覚も同じ夢を見たという。そこで、その姿を霊木で彫り、その地に置いた。その後、慈覚大師が唐から帰朝し、関東へ下向した時目黒の里にやって来た。その夜にも不動明王のお告げがあり、嶺の上に登って独鈷で地面を掘ると霊水がわき出した。この水は炎天にも枯れることなく、長雨でも増える事はなかった。
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コンジキノフドウミョウオウ,チショウダイシ 2002年 智証大師が強風のため琉球国(人食いの国)に漂着する。そのとき風がやみどこにも行けなくなる。陸の上を見れば数十人が鉾を持って徘徊している。大師が一心に不動尊を念じると、先に日本で現れた金色の不動明王が現れる。すると辰巳の風が吹いてきて、戌亥を指して飛ぶように進んだ。
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カジ,(ホウリキ) 1935年 大阪府 成合寺の愚白という僧は、ある日弟子に字を教えていたが、加賀が火事だといって、寺の前の石に水をかけさせた。石はいくらでも水を吸い込んだ。後日、加賀からお礼に人が来て、成合寺の法被とバケツの人が沢山来て火事を消し終わると、いつの間にか消えたという話をした。沢庵和尚にも同様の話あり。
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アマゴイ,リュウグウ 1935年 香川県 ある旱魃の年、法泉寺の住職は、海に漕ぎ出し、一通の書状を海に投じて、雨を降らせた。その書状は龍宮につかわしたのだという。
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ホウギョク 1955年 愛知県 大旱魃の時、大智院の法印が硯の墨汁を雨乞いの宝玉にかけて祈願すると、たちまち大雨が降ったという。
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コウボウイド 1987年 長野県 細谷三ツ谷の沢にある湧き水をいう。昔,弘法大師がこの村を通り,咽喉が渇いたので老婆に飲み水を求めると,快く水をくれた。しかし,飲み残しを地面に捨てると老婆が大変怒ったので,大師は謝って,持っていた杖で山の下を突いた。すると不思議なことに,そこから清水が湧き出してきた。これを弘法井戸と呼んでいる。老婆へのお礼とお詫びの気持ちを表したという。
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ウビョウ,ソウ,ベンテンシャ 1973年 京都府 安貞2年(1228)、京師で鴨川の水が氾濫し、勢多判官為兼に防水をさせたが成功せず為兼は呆然としていた。するとそこに一人の僧が現れて、鴨川の東岸の南に夏の禹王の廟を建て、北に弁才天の社を建てて祭れといって消えた。実際それを行うと水勢はたちまち弱くなったという。
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レイム,レイセン 1976年 愛知県 宝暦元年の頃、大師は夢のお告げで、ある男の信心深さに感慨を覚えこの硯石状の霊泉を教えた。後に硯水といわれるようになる。
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