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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オスイワ,メスイワ
1968年 福井県
坂ノ下川のほとりの雄岩は、昔は山上で雌岩と重なっていたが、300年以上前に地震で落ちてしまい、それ以来夜中になると「オーイ、オーイ」と雌岩を呼んでいた。そこで粟田郡の大門の長者という男が雄岩に矢を打ち込み、南無妙法蓮華経の字を刻んで黙らせた。以来、雌岩のそばを尼千人が通ると落ちてくるといわれていたが、まだ落ちてこない。

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カネ,エンノギョウジャ
1928年 静岡県
長福寺の門前に貧しい山伏がいた。大峰修行の際、ある老僧から援助を受けていたが、その老僧が入滅後に後を継いだ住職は、金銀を惜しみ、撞鐘で役立つならもっていけといった。その晩、山伏の枕もとに白髪の老人が現れ、峰入は心配するなといって消えた。次の日、鐘がなくなっていた。住職が山伏と一緒に大峰に行く途中の夜、山鳴りがして大岩の上に鐘が引っかかったという話を聞いて見に行くと、寺の鐘であった。老人は役行者の化身であった。
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オナイシバアサン
1967年 福島県
船こぎ山の頂上に老婆の形をした石が海の方を向いて立っている。昔、松川与作が漁に出たまま難破したのか帰らなかった。妻はこれを悲しみ船こぎ山に登り沖を眺めては泣いていた。女は風に吹かれ雨に打たれ、そのまま石になってしまった。鎌などで刺すと血が出るとも言われている。この婆さんは、昔、大津波があったときにこの頂上に打ち上げられて石になったとも言われる。
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ノノダケヤマ
1956年 宮城県
延暦2年(783)磐井郡達谷の岩屋の蝦夷の頭目高丸が、駿河の清見ヶ関まで攻め上がった。坂上田村麻呂が勅を奉じて撃退し、高丸を追って神楽ヶ岡で殺し、その党悪路王を斬った。その後、山上に敵味方を埋葬し、大塚を築いて上に観音堂を建て、地主権現の白山の社前に矢を射て蝦夷平定を祈願した。この矢が地に突き立って根を生じ、箆といい、それを山名としたという。
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グインサマ
1981年 広島県
150年ほど前、向浦の猟師が大浦の物見岩にいた鳶を撃ったら山から「今の人間を引き裂け」と叫ぶ声が聞こえた。恐ろしくなり銃を折って捧げて正信偈を唱えたところ、「経文を唱えているので今日は引き裂けないが今度は殺す」と言って山は静かになった。
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ダイジャ
1961年 静岡県
昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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ロウバ
1993年 福井県
立岩の里河川畔にあった大きな岩石を割って一本の雄松が生えていた。この老松の上で毎日夜になると白い着物を着た老婆が鐘をたたいて念仏を唱えていたという。それで婆々居渕という名がついたといわれる。
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ウバイシ
1986年 愛知県
ある比丘尼が女人禁制を犯して山に登り、傍らの石に手をついたところ、手が石から離れなくなった。祈祷師を頼んで手を離してもらったが、放置していたら姥石になっていたといわれる。
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〔センビキイシ,チビキイシ〕
1956年 宮城県
多賀国府があったころ、この里に住む女に通う男があった。近くに大石があり他所へ運んで砕かれることとなったが、男はその大石の精であった。運ばれていく前夜、男は女に別れを告げ「明日は何百人で引いても動かぬが、あなたになら引かれよう」という。はたして動かない石を「わたしがひく」と女が申し出る。気狂いに引かせるのも面白いと女に引かせると軽々と動く。女は国府から褒美をもらって幸せになる。これを千引石といい、志引観音堂の丘の下の田に残る。
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ヨバリイワ
1927年 愛知県
ヨバリ岩という2つの岩がある。年越の夜に岩と岩が交互に呼び合う。ある女房が谷に落ちて死んだが、ヨバリ岩の咎を受けたものと噂されている。
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セリザワノサラヤシキ
1956年 宮城県
昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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ニイヤミョウジン,ダイジャ
1935年 群馬県
昔、利根郡にある山麓の長者に、三人の美形の娘がいた。或る日、田舎には珍しい美青年がやって来て、娘をほしいという。断ったが夕刻になると訪れる。不審に思った長者が氏神の新屋明神に祈った。翌夕、明神のお告げに従って青年に笄を渡し、鶏が鳴かない内にこれで溝を掘れという。青年は難なく掘って最後の一掘り直前に、新屋明神のご加護により鶏が鳴いた。青年は大蛇で、逃げた後に石が残った。
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シャベリイシ
1935年 群馬県
奥上州の伊参村という所に二間三間二間の三角の奇石がある。鎌倉の頃、親の仇を捜しに中国から来た武士が、この大石の下で眠っていたところ、この石の中から仇の居場所が聞こえてきたという。それ以来、この石は時々人語を話したので村人が恐れ、囀石と呼んで崇め祀った。数年後、越後の人がその声に恐れて石の角を切って落としたらしゃべらなくなったという。
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オニマツ
1987年 長野県
角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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カネ
1988年 奈良県
貝ヶ平山(カネヒラ山ともいう)に柴刈りに行った人が、山腹でオーンオーンと鳴く音を聞いた。近寄ると大きな鐘が岩に食い込んでいたので、クズワ藤で竜頭を縛って人を呼んだが、戻ってみると鐘は抜け出た後だった。鐘は大阪湾まで流れていき、今は堺の浦のハトヶ浜の海中にあって、旧暦3月節供のときに竜頭が見えるという。鐘の抜け跡はいまだある。
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タイコ
1976年 徳島県
後光厳院の御宇、康安元年の夏秋の間に大地震があり、7月24日に急に潮が乾いて陸になった。この時鳴門の岩の上に周20尋程の大太鼓が現れた。胴は石で面は水牛の皮、巴紋を描いて銀の泡頭釘が打たれていた。これを見た人は皆怪しみ驚いた。試みにこの太鼓を撞木で叩いた所、音が天に響き、山が崩れ潮が湧き出、皆逃げ去り太鼓の場所がわからなくなった。
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オシドリ,ユメ
2002年 栃木県
大町の鴛鴦塚の記載。昔阿蘇沼が大きかった頃、鴛鴦が住んでいた。菰に隠れ連れ添っているところを近くの猟師が見つけ、雄の首を射切った。雌は驚きその首を羽に挟んで去った。その夜、猟師は鴛鴦が来て鳴き責める夢を見て、苦痛を発し、吐血して死んだ。猟師の妻はそのため尼となり、弔いのため塔を建てた。それが今もあり、鴛鴦塚と称するという。
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〔オオカグラヤマ〕
1987年 長野県
群馬県との境にある。昔,山の麓で木こりが数人木を伐っていたところ,人気のない山なのに山の頂でかねや太鼓の物凄い音がしたという。驚いた木こり達は相談の結果,神社を建ててお祭をすることになった。その後は不思議なことや物音は起こらなくなった。また,この山に雨乞いすれば必ず雨が降るとされる。
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ハクリュウ,カネ
1940年 香川県
頭に珍しい梵鐘をかぶっている白龍を退治しようと、ある豪勇の武士が立ち上がった。かろうじて白羽の矢で射殺し、龍の鐘を奪い取ると、それを寺に寄進した。えもいわれぬ妙音なのであるが、白龍の霊が宿るため、無念の涙として毎年夏には鐘から水滴が落ちてくる。後年、高松藩主がこの鐘を持去ったところ、鐘が「国分寺へ戻りたい」となったので、また戻したという。
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トビフドウ
1956年 宮城県
弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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カンノンサマノヤスミイシ
1987年 長野県
もとの親沢分教場の東の方の坂の途中にある石。昔,ある人が親沢の観音様を他へ移そうとした。ところが,この石の所まで来ると急に重くなって一歩も歩けなくなってしまった。この石に腰をおろして休憩し,さて出発しようとすると観音様がいない。もとのお堂へ行ってみると,観音様はちゃんと戻っていたという。何度担ぎ出しても同じ事が起こるので,百万遍数珠の親玉をはずして一緒に持っていくと今度は一気に坂を登れた。以後この石を「休み石」という。
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