ワタナベノツナノシソン 1983年 富山県 渡辺綱の子孫は、謙信が討ち入ってきたので移動をした。最後には布谷村に隠れた。
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ウバカイ,オニ,テガタイシ 1956年 宮城県 この村は渡辺綱の一族が住んだところで、いまも全部渡辺姓である。羅生門の鬼が綱の伯母に化けて、片腕を入れてある唐戸を少しばかりあけさせ、それをさらって自在鉤を伝い天井の煙抜きから逃げる。そのときに足を滑らし手を突いた手型石がある。今も部落の家々に自在カギと煙抜きがなく、節分には鬼は外といわない。
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ワタナベノツナノシソン 1983年 富山県 渡辺綱の子孫がいる。天皇の皇子の謀反の疑いを避けるため、渡辺が皇子を保護して城を築いた。
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オニ 1963年 大阪府 伯太藩主渡辺氏は、四天王の頼光の子孫である。頼光は鬼の腕を切り落として持っていたが、養母に化けた鬼に取り返されてしまった。鬼は破風をけり破って逃げた。だから、渡辺氏一党の子孫は、破風に狐格子を作らず、東作りにすると言われている。
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ヤシキ 1958年 愛媛県 昔、偉い落人が住んでいた屋敷の跡がある。普通の者が住むと威に負けてしまい、馬鹿ができたり不幸が続いたりする。
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ヤハタダノタタリ 1969年 福島県 八幡様の屋敷跡が田圃になっている。その田を作っていた人は次々と一家が死に絶えたり、病人が絶えなかったりした。
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トカゲ 1979年 徳島県 屋敷にトカゲを祀る家があった。トカゲは口が2つあり、足が生えていた。家は富み栄えたが、2・3代で潰れてしまったという。
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ハタノクサマ 1975年 愛媛県 婆さんが洗濯をしていたら平家の落人が逃げてきた。婆さんに決して行き先を教えないように頼んで逃げていったが、婆さんは追っ手に言わないものの唇で教えた。落人は殺され、今ハタノク様として祀られている。教えた婆さんの家は祟りで、家をつぐと唇が曲がるという。
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ドウソジン 1990年 長野県 明治初期、周辺には12軒の家があったが、そのうち10軒には男の跡取りがなく、養子だった。そこで道祖神碑を建てたところ、どこの家でも男の子が産まれた。しかし100年ほど経つとまた女の子ばかり生まれて8割ほどが養子になった。そこで次は道祖神祭りをするようになったという。
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マリシテン,ヤシキガミ 1983年 岡山県 成田町西布寄では、株内や分家に屋敷神がない。それらの人々は、本家にある祝い殿へ参りにいくのだ。
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オオカミ 1964年 長野県 村松正氏が向方にむかっていると、途中から狼が現れて先を行き、追い払っても付いてきた。うるさく思って切り捨てたが、家に着くと家人が病気になった。狼は山の神の化身で、村松氏の守護に付いていたことがわかり、村松氏は狼の霊を手厚く祀り、家の守護神とした。その祠は今も狼の頭蓋骨をご神体にしている。
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オニ,ハフ 1937年 大阪府 大阪府池田町附近に、羅生門の鬼が腕を取り返しに来た渡邊綱の邸宅の遺風を守り、鬼が入らない様に破風を設けない家があり、綱の墓石がある。
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ヤオビクニ 1986年 埼玉県 文武天皇の御世に秦の通鴻という人がいた。ある時友人に誘われて海辺に行くと、いつの間にか宮殿のような所に立っていた。そこで出てきたご馳走を懐に入れ、持って帰った。娘がそれを見つけ食べると歳をとらなくなり、尼になった。そして諸国を回って神仏を拝み寺や神社の修造をし、川には橋をかけ、井戸を掘り、木も植えた。こうして世の人から「若狭の白比丘尼」とあがめられた。その後時代がたって八百年になったので、「八百比丘尼」と呼ばれるようになった。
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トオヤマヅカ 1971年 岐阜県 戦国時代、武田に敗れた遠山家の落武者が、村人の密告で討たれた。その祟りで教えた村人の家には代々口のきけない子が生まれる。
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タヌキ 1935年 東京都 神田柳原の土手にある柳森神社の境内に「おたぬき様」という末社がある。往時、現在の松枝町、東紺屋町の辺りにあったお玉ヶ池に住む親子狸を祀ったものといわれるが、一説には旗本の河原林家が6代将軍家宣公より拝領した木彫りの狸を維新後、屋敷の移転のため社に納めたものといわれる。この親子狸は無尽相場などの勝負事に霊験ありといわれる。
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ゲンベエヤシキ 1955年 山梨県 源兵衛が最後まで残った屋敷の跡の田圃を源兵衛屋敷という。源兵衛は名うての豪家で毎月慈観寺に碁打ちに出かけていた。ある日源兵衛が和尚に手相を見てもらうと、終いには乞食になるということであった。源兵衛は「どんなに寝食いに食っても3代はある身代だ」といったが、厄病と火事との重なる事件のため、明治維新頃には乞食となり、どこで終わったか知る人もないという。
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シンタク,カンレイ 1983年 京都府 婢女文子という者の家に菅霊が現れ、右近馬場に住もうという神託があり、その地に霊廟を建てた。6年後、近江国の禰宜良種に、北野に一夜に千本の松を生じさせよう、そこに建てる社を天満天神と崇めよという託宣があった。そこで朝日寺の住僧・最珍と、文子が力を合わせて霊社を造立したという。その後、文子の夫の子孫は代々神職を務め、妻は代々文子と称して当社の巫女を務めるようになった。
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タタリ 1983年 愛媛県 ドゾの谷にいた七兵衛という者が洪水で家もろとも流されて死亡した。その後部落では不作が続き病気が流行ったので、七兵衛さんのタタリとして墓を作り祀った。その墓は「流れ七兵衛墓」と呼ばれる。
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マルイワノカシワン,ユメマクラ,ミズノカミサマ 1987年 長野県 昔,ある村に働き者の若夫婦がいた。子がいなかったが,川の水を大事にし,田圃の行き帰りに道祖神にお参りしているうち,男の子が生まれた。
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マリシテン 1983年 岡山県 落合町上山では、元々玄朴医哲庵という医者の屋敷で祀っていた摩利支天を、東の山裾に移して屋敷神として祀っている。
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