国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

マサカド,クビ
1995年 栃木県
栃木県足利郡の大手神社や大原神社は、将門の手や腹を葬っている。

類似事例(機械学習検索)

マサカド,クビ
1995年 東京都
東京都千代田区大手町の将門塚は、梟首されて落ちた将門の首を葬った所だと言われている。
類似事例

マサカド,クビ
1995年 滋賀県
滋賀県愛知郡の将軍塚は、将門の首を葬った所であるとされている。
類似事例

マサカド,クビ
1995年 東京都
東京都台東区鳥越にある鳥越神社は、梟首された将門の首が飛び越えた所だと言われている。
類似事例

マサカド,クビ
1995年 岐阜県
岐阜県不破郡矢通村は、将門の首が東北に飛んで帰る途中に射通された場所であり、御頭神社はその首を祀った所である。
類似事例

マサカド,クビ
1995年 東京都
東京都千代田区九段にある津久戸明神は、矢を射られた将門の首が落下した所だと言われている。
類似事例

マサカド,カイイ
1976年 東京都
天慶年間、俵藤太秀郷が相馬の将門の首を持って、都に上る途中、将門の甲を持ってきたが、様々な怪異がおこったため、箱に収めて埋めた。そこを甲塚とも甲山ともいう。
類似事例

ダイジャ
1982年 群馬県
千代田村の大沼の大蛇が毎年人身御供を取るので、都から来た藤原長良に退治を願った。長良は弓の名人の御殿女中のおさよ殿(さいぞう様ともいう)を連れ、大蛇の目を射潰して刀で刺し殺した。大蛇の屍骸は18に切って、頭は千代田村瀬戸井に祀り、他は邑楽郡各地に祀った。邑楽郡に長良社が18あるのはそのため。
類似事例

タタリ
1975年 神奈川県
大坂の陣で討ち死にした武士の家に伝わっていた武具を農具に加工したり、売り払ったりした所、祟りのためか玉川が決壊し、田地は水につかり、書物は流された。以来、その家の先祖を大原大明神として祀った。
類似事例

エノキ,タタリ
1986年 茨城県
土浦市鷹匠町の真言宗龍泉寺に榎八幡があり、榎の枝葉に人が触れると仇を為すという。小田氏治の家臣伊勢守信太範宗を弟の養子が惨殺し、龍泉寺に埋葬した。祟りがあるので、八幡神社を祀り、榎を墓印としたものという。
類似事例

レイ,ボウコン,オンネン
1975年
武蔵国多摩郡中野に陣取り、奸計により討死した平将頼の霊が戦場にとどまり人々に祟をなした。480年程の間怨念は残っていたが、延文の頃一遍上人の3代目真数坊が芝崎村に草庵をつくり供養した。後の神田橋日輪寺である。また将頼の兄将門を神にした。東国に祟をなした霊は将門ではなく将頼のようだ。
類似事例

リュウコツ
1970年 岐阜県
六所神社の竜骨を、ある旱年に持ち出したら、言い伝え通り大雨になり、ついに洪水になったので、以後封印してしまいこんであるという。
類似事例

ブシノハカ
1963年 岡山県
小谷の御崎大神の側の武士の墓は、盆や彼岸にお参りしないと祟る。
類似事例

ダイジャ
1967年 福島県
菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
類似事例

ダイジャ
1978年 高知県
武将の犬が動かなくなったのでその首を切ると、首が飛んで木の枝に飛びついた。木の枝は大蛇であった。大蛇は普通の銃では撃てず、八幡大菩薩の弾で撃つと死んだ。しばらくすると、大蛇の死体の場所に流れ着いた。武将が大蛇の骨を足でなでると、大蛇の骨が足にたひ、それがもとで病床についた。大蛇の祟りで武将は死んだ。
類似事例

ダイジャ
1971年 岐阜県
神様が大蛇を退治して3つに切ったら、頭は大峰山に、胴は串原集落の中山神社に、尻尾は駒山神社になった。
類似事例

マサカド,クビ
1995年
俵藤太に射られた将門の首が数ヶ月も生きたままで、「斬られた体を呼び戻し、再び一緒になって進軍するぞ」と毎晩のように呼ぶので、人々は恐怖を感じていた。通りがかりのある人が「将門は俵藤太にこめかみから斬られた」と言うと、将門の顔が笑って死んだ。
類似事例

サントウノジャコツ
1973年 山形県
出羽国米沢にある日朝寺には三頭の蛇骨が蔵されている。長さは2尺あり、一端は双頭でもう一端が一頭あったという。
類似事例

ガワタロウノテ
1952年 熊本県
上益域郡東砥用村勢井に住む吉田氏のところに、ガワタロウの手が保存されているという。この骨で患部を撫でると病気が治るという。
類似事例

オオツルサマ
1972年 群馬県
昔大きな機屋があり、多くのの奉公人がいた。その中のおつるという女中に番頭が思いを寄せたが、聞き入れられないのを恨み、年の暮の餅搗きに手元が狂ったと見せて杵で撃ち殺した。普通の死に方でないので北を向けて葬った。その後色々怪しいことが起こるので、墓所を神社として祭った。だから「大つる様」は普通の神社と違い北を向いているという。
類似事例

モリサマ
1975年 山口県
上大田の山田家のモリサマは、昔先祖が、足軽が馬に水を飲ませようとしているのを上からばっさりと切った。それが祟るというので、祀ったという。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内