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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ダイジャ
1967年 福島県
菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。

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ダイジャ
1964年 福島県
田原藤太秀郷は平将門の愛妾桔梗の前と恋仲になり、影武者の見分け方を聞き出して将門を滅ぼした。桔梗の前は秀郷を恨み、生国伊達郡藤田村を訪ねたが、秀郷の行方はわからず、蛇身になって菅沼の主となった。人身御供をよこさないと村を泥海に変えるというので、村人は金を集めて娘を買いに行く。下総の周防という浪人が主君の年忌供養のために娘を売った。周防の耳にも人身御供の話が聞こえ、大蛇退治に出かけ、白鳥明神の神通のかぶら矢で大蛇を退治した。この噂を湯野村の阿部道学親子が聞き、武名を上げようと襲ってきたので返り討ちにした。周防は茂庭の領主となり、大蛇と阿部親子の首を祀ったのが三社権現。
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ダイジャ
1964年 福島県
茂庭の湖に大蛇が住み、人年貢をとった。建久3年の年に、金を集めて生贄の娘を那須野ヶ原に求めた。妹を売った人は斎藤実良の家臣今野図書で、主君の父の一周忌の追善のために妹・猿姫を売った。実良は不審に思い事情を聞いて大蛇退治に出かけた。9月19日に稲荷様からいただいた白羽の矢で大蛇を退治した。実良はその功により、伊達家の客として茂庭を頂き、移り住んだ。
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ダイジャ,ヌマノヌシ
1930年 岩手県
大安良山にある沼には主の大蛇が棲んでおり、渋民村では毎年ひとりの少女を犠牲に捧げなければならなかった。この村にきた熱心な仏教信者であった京都の一条家の妹娘依壽姫(よりじゅひめ)は自ら身代わりとなって沼に行き、仏徳をもって大蛇を退治した。3つに切断された大蛇は浄道され、その後、一の権現、二の権現、三の権現として祀られた。その後人間をたたることは無かったという。
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ダイジャ
1961年 岡山県
昔虫原峠に近いところの平坦地に大蛇が住んでおり、蛇原といった。その蛇は牛馬を取って食い、田畑を荒らすので、九品寺の僧が大蛇を祈り殺した。九品寺の僧は大病を患い死亡し、寺は次第に衰え廃寺となったという。また大蛇が死んだ虫原谷を流れるおこぎ川の水に毒気が含まれて牛馬や人に害を及ぼすようになった。大蛇のたたりということで祀ったという。
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ヤモリ
1974年 長野県
信濃国松代の山里に、有名な力自慢の者がいた。水無月の頃に彼は友人と山に入ったところ、きわめて大きな蛇が出てきた。そこで彼は上あごと下あごを持って口を裂こうとして失敗し、鎌で大蛇の口から喉にかけて切り裂いた。その体の太い所だけを家に持ち帰ると、親は大蛇は山の神に違いなく、必ず祟りが起こるといって家を追い出した。里長が何とか宥めた。彼の身体に蛇の匂いがついて抜けず、医者が薬を与えると消えた。その医者が言うには大蛇ではなく野守だという。彼はその後、山に入って官木を盗んだ罪で死刑になったが、野守の復讐だと思われた。
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ダイジャ
1940年 福島県
娘が若者と恋に落ちたが、親たちに反対され、沼に身を投げて死んだ。2人の怨霊は大蛇になり、沼に潜むようになった。その後、大蛇がこの土地を泥海にしようとした。大蛇は秘曲を聞かせてくれた琵琶法師だけにそのことを告げた。琵琶法師は逃げようとしたが、大悲山薬師如来の諌めにより、殿様に知らせた。殿様は藩内の人を総動員して、大蛇を退治した。
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ダイジャ
1982年 群馬県
千代田村の大沼の大蛇が毎年人身御供を取るので、都から来た藤原長良に退治を願った。長良は弓の名人の御殿女中のおさよ殿(さいぞう様ともいう)を連れ、大蛇の目を射潰して刀で刺し殺した。大蛇の屍骸は18に切って、頭は千代田村瀬戸井に祀り、他は邑楽郡各地に祀った。邑楽郡に長良社が18あるのはそのため。
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オロチ
1971年 滋賀県
近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだった。そこで天皇は近辺の農民を招き大蛇を退治すべしと命令した。近隣農民数万人が打寄ってついには退治した。その時の出来事から様々な地名がつき、また褒美として大光明寺を給わった。
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メッコヌマノカイ
1956年 宮城県
沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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ヘビ,イケノヌシ
1965年 高知県
赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
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ダイジャ
1989年 長野県
昔、桑井川に淵があり、仲村に嫁いだ嫁が淵に身を投げた。以来、その嫁の化身である大蛇が主になって住みついたという。
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ダイジャ
1961年 静岡県
250年位前、甲斐国八代郡篠原村の絹屋が松崎の伏倉の旧家、セキセイ太夫の所へ泊まっていた。絹屋はアザノガハラ(字野原)の池の主である大蛇をとりにいくのに名刀をもっていき、その刀が大蛇除けになった。しかし、その刀をすりかえられ絹屋は大蛇に呑まれた。絹屋の娘の姉妹はアネグスヤマ(姉越山)とイモウトクボ(妹窪)で大蛇をまちかまえ、計略をめぐらしておびきよせて射た。大蛇は蛇鋏みという穴に入り込んで、7日7夜うなって死んだ。その大蛇の骨を埋めたところを大蛇院といった。
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ダイジャ,ムスメ
1929年 長崎県
2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
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イケノヌシ,(ダイジャ)
1987年 山口県
室津半島の池の浦の池の主の蛇がいたが、源平の合戦で池の底に金物が落ちて住めなくなったので、女に化けて漁師に渡してもらい、平郡に移った。お礼に「一度だけ大漁させてやる、二度やるな」と言った。あまりに大漁だったので二回目を入れたら、こんどは蛇ばかりだった。
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ダイジャ,シンランショウニン
1933年 栃木県
建保年間にある男の妻が妾を食い殺そうとしたが、夫に遮られたために夫の咽喉に食いつき、妾をも噛み殺した。全身鱗が逆立って、口は裂け、大蛇の姿になった。この世の女すべてを呪うようになって入水したといわれる。水に沈んだ女の一念が大蛇になって人々を困らせるので、毎年9月8日の夜に犠牲を捧げた。親鸞が大蛇を退治したとのことである。
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ダイジャ
1971年 福島県
八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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ダイジャ
1931年 長野県
昔、おかんという女性が沼に身を投げた。死骸が見つからず、沼の主の大蛇になったと言われた。ある人がこの沼を干そうとしたら、雷雨が襲来し、大蛇の祟りだと言われた。この沼はおかんが沼と呼ばれている。
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ダイジャ
1959年 神奈川県
数百年前、生麦に住む男が亡妻との約束を破って再婚した。亡妻は大蛇となって池から現れ、男を襲った。男は亡妻の霊に謝罪し、供養した。何年か後、一帯に悪疫が流行し、稲荷神社へ走る狐の声を聞く者や、大蛇が魔疫病をくわえて稲荷の森から海上に立ち去る姿を夢で見る者が出た。村人は稲荷大神のお告げに従い、かやで大蛇を作って家々を回ったという。
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レイ,ボウコン,オンネン
1975年
武蔵国多摩郡中野に陣取り、奸計により討死した平将頼の霊が戦場にとどまり人々に祟をなした。480年程の間怨念は残っていたが、延文の頃一遍上人の3代目真数坊が芝崎村に草庵をつくり供養した。後の神田橋日輪寺である。また将頼の兄将門を神にした。東国に祟をなした霊は将門ではなく将頼のようだ。
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ダイジャショウジャ
1930年 長野県
夢で大蛇がとめるのも聞かず、殺した大蛇を見世物にしようとすると、一人娘が熱病にかかり、家にとめた六部の言うとおりにすると娘は死んだ。祟りを祓う人に頼んだが、美女が邪魔してうまくいかない。その土地を買った者には祟りが続き、祠を建てて供養した。
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