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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

マビキイマシメノガク
1965年 福島県
福島市鎌田上台に「間引きいましめの額」というものがある。間引きに賛成した婆、夫、女房の首には紐が巻き付いており、反対した爺には観音様の恵みの光が当てられている。子供は何も知らず、ただ観音様を拝んでいる。

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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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オオスギノセイレイ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。
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マビキノエマ
1965年
布川城址の丘にある寺内の地蔵堂に間引きの絵馬が掲げられていた。産褥の女が鉢巻を締めて、生まれたばかりの赤子を押さえつけている。障子に映る女の影には角が生えており、傍らに地蔵様が立って泣いている、という絵柄であった。
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オハナカンノン
1967年 岡山県
新見の洞谷山雲居寺には、お花観音という等身大の千手観音がある。この観音は男女の悲しい願い事やしもの病気に霊験あるという。江戸時代、新見藩主関長治侯の時代、家老職の大橋某の屋敷にお花という女中が奉公していたが、家老の目にとまり寵愛を受けた。これを知り嫉妬に狂った奥方はお花を殺害し、古井戸に投げ込んだと言う。以来、障子お花の霊に悩まされ、奥方は病む身となった。その後大橋家では菩提寺である雲居寺に千手観音を建立しお花を供養したという。またお花殺害に使った刀を手にしたものは必ずその奥さんが病気になったという。
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(ゾクシン)
2002年 福島県
いわき市四沢の粟島神社には鋏が貼ってある絵馬が奉納されている。これは子供の疳の虫を鋏で切る、つまり虫切りの祈願にである。
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ヘソノオ,ホウイ(エナ)
1956年 宮城県
山の神様から出産時に受けたお札と麻でへその緒をしばり、袋に入れて年月日と姓名を書いて保存し、本人が亡くなったときに棺に入れたり(松島・仙台地方)、墓地の一角に埋める(松島・栗原地方)。生誕した子供を守ってくれるよう、祖霊に祈る意味があると思われる。
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(ソミンショウライノフダ),マジナイ
1983年 京都府
山城国と津国の境にある疫神社で、小さい木に蘇民将来と書いて、赤い札を付けて売っていた。これを子供の肩にかけると、厄病を除くまじないになる。また破魔弓を売るのも、子供は悪鬼に魅入られることがあるので、これを払うためだという。
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ヘンジョウナンシ
1973年 東京都
文政年間に、神田和泉橋通りに住む善八が、旅の途中、前方から15、6歳ほどの娘が急いで来たが、その娘が目の前で気絶した。善八が介抱すると目を覚まし、誘拐されて逃げてきたという。善八が彼女を送り帰したところ、恩を忘れぬようにと善八の所持品を所望したので、浅草観世音の御影を与えた。善八が江戸に帰ると家の新婦が出産していたが、孫の手にはかの御影が握られていた。書状を出して尋ねると、先の娘はそれ以前に病死していたという。観音の慈悲によって男子に生まれた変わったのだろう。
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オニ
1991年 滋賀県
大津市葛川の明王院には、豹の毛皮を腰に巻き、白いふんどしを締めた赤鬼と、諸肌を脱いだ筋骨隆々の男が向かい合って、綱を首にかけて首引きをしている絵馬がある。
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フネヒキノギョウジ,ウラナイ
1964年 福島県
磐梯町本寺の恵日寺では、春のお国祭りで舟引きの行事があり、若い男女が新しい野良着をきて、くりぬき舟の両端につなをつけてひきあう。勝ったほうの部落が豊年であるという占い・予祝の意味がある。
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オニ
1991年 滋賀県
日野町の綿向神社で、腰巻をつけた半裸の女性と褌1丁の鬼との相撲の絵馬を見たことがある。
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センチノカミ,ホウキノカミ
1933年 山口県
橋の下の乞食が娘を産んだ。そのとき橋を通ったある人が、厠の神と箒の神富もう一人の神がこの子を嫁にした者は長者になると話しているのを聞いた。その人は早速娘をもらい受けて長者になった。しかし、娘を捨てると、貧乏になったので、再び養うことにした。日本一の長者になった。
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ナベカブリヒメ
1956年 宮城県
昔、子がない正直者の夫婦が、子どもが欲しいと観音様に願をかけると、おつげで「子どもを授けるが生まれたらすぐ鍋をかぶせろ」といわれる。女の子が生まれたのでお告げどおり鍋をかぶせて育てる。皆にのけ者にされ、生みの母が死んで後家の母にはいじめられたが、素直に仕事をして育った。16になって嫁にやる頃、後家の母はその娘をもてあまし、山に捨てたが坊様が助ける。今度は川に流すと、ある猟師が拾って育てる。ある日川のそばで会った立派な若者と惹かれあうが、彼の父である殿様は「そんな川流れの娘」と、一緒になることに反対する。いつも会う山で若者の悩んでいる様子を心配しておいかけた娘は転落、若者が驚いて行ってみると鍋がとれ、かすり傷一つない。しかも後光もさすばかりの美女で、殿様も気にいって2人は幸せに暮らしたという。
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(カッパ),トウ
1982年 神奈川県
相州大川道西久保という所に小さい川があり、その川で河童が馬を引き込もうとしたところ、大勢で河童を打ち殺そうとした。その時にある百姓が河童を貰い助けたところ、夜に河童が礼にやってきて、陶器に酒を入れ、鱸を2匹持ってきた。鎌倉時代のことだという。この河童は雌雄いて、一匹は鎌倉に住み、一匹はこの角村に住んで文通をしているという。この陶の酒を呑む時、少しだけ酒を残しておくとまた酒が増えて、万年も絶える事がないと河童は言った。ある時酒を飲み干したので、それからは一滴も出なくなった。
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ヨウジノクビ
1933年 大阪府
堕胎薬を売っている和薬屋の屋根看板の周囲には、堕された胎児の首がいくつも鈴なりになっていると噂され、ここを通る時人々は恐ろしくて目をつむって歩いた。このことは、通りがかりの僧が指摘したことに端を発するという。
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ミイデラノカネ
1941年 滋賀県
昔、三井寺で鐘をつくるときに、ある長者の家では子どもなら三人でも出すけれど、金は一銭も出さないと断った。同行衆は帳面に子ども三人と書き加えた。いよいよ鐘を鋳るときになると、長者の子どもは三人とも急死した。今でも三井寺の鐘には子どもの形がついている。
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ジゾウアソビ,ジゾウツケ
1967年 福島県
大病人のあるときや紛失物のあるときに、村の女たちが集まり子どもを中におき、幣をもたせて「南無地蔵大菩薩おつきやれ」と唱えると地蔵がつく。これにいろいろと尋ねる。
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リュウトウカンノン,ゴシンスイ
1976年 愛知県
奥田字日沢の地、1アール程の林に囲まれた静かな田んぼのほとりに粗末な社と小屋があってのぼりが多くたっている。その小屋に竜頭観音の額と由来をしるしたものがある。神代国造りの時、美津波能女之命が竜に乗って天より下り少彦名命の病気を治した。その場所に水が湧き、後に病で苦しむ人皇20代允恭天にもその御神水は効果があり病気が全快された。今も万病に効くが特に婦人病によいとされ水を瓶につめて持ち帰る信者が多い。
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ウバイシ
1990年 長野県
宮向こうの上田に、姥石がある。昔、嫁いで三年経っても子どもが産まれない女性がしゅうとに追い出され、石に抱きついて泣いていた。するとまもなく子供が出きたので、家へ戻ることができた。以来、その石へ願をかけると子宝に恵まれるという。
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オカネウムムスメ
1956年 宮城県
昔、名鰭沼のふちに夫婦が住んでいた。子どもになかなか恵まれず、願かけて神に祈っていると、春の猫柳の芽がふくれる頃、嫁の腹が大きくなり、ついに女の子が生まれた。しかし片目片耳の子だったので、人目をさけてボロに包んで納屋においておいた。あるとき用事で、どうしても子を背負って町にいかなければならぬことになったので、慎重に包んで出ていった。町の用事がすんで帰るとき、石の上に子どもをおろして休んでいると、腰のまがった白髪の爺さんがきてボロをはがして子どもを見て「これはいい子だ。神様の授かりものだ。今にお金を生むから毎朝米一粒ずつつかませておけ」と言い残して消える。ためしに米一粒つかませるとお金を一つ産んだ。夫婦はしだいに金持ちになったが、慾の出た夫婦は「うんとつかませたらうんと生むだろう」と、ある日つかみきれないほど米をつかませると、子どもは死んでしまった。
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