国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

キイアケドン
1966年 鹿児島県
高峯部落は高峯、西園、粟牧、前ン園、上ン園の「五門」から成る。この五門を開拓した人を祀るのが切開け殿で、五門の人々が集まって、毎年11月13日に神祭りをする。厳しく祟りやすい神様だと言われている。

類似事例(機械学習検索)

オニ,カミ
1913年 秋田県
昔、神山の奥に住む鬼が毎年現れて田畑を荒らした。村人は困り、もし一夜のうちに100段の石段を作れなければ、以後、姿を現さないと鬼に約束させた。ある夜、鬼が石段をつくり、あと1つで100段というところで一番鶏が鳴いたので、鬼は姿を隠してしまった。それから豊年満作が続いたので、山の頂に祠を建て、鬼を神として祀った。不浄の女が3段以上この石段を上ると石になるといわれている。祭礼の日には、村人が餅を供えにいく。
類似事例

ガラン
1967年 鹿児島県
部落の裏山に古い五輪塔の頭などが置かれている場所があり、ガランと呼ばれる。決まった日以外は近づかず、女人禁制である。ガランは16人の神で威が強く、赤牛を使う。最近、ガランの下から五輪塔が掘り出され、工夫が頭痛を起こしたのでガランに合祀した。
類似事例

アクマ
1968年 佐賀県
11月の秋祭には、集落の境の道に注連縄を張り、神札を立てる。悪魔が入らないようにするため。
類似事例

ゴリンザワチョウジャ
1956年 宮城県
韮神山で討死した照井太郎高直の妻子が落ちのびて造り酒屋となり、妻は菩提のため五輪塔を立て、子の太郎は成功して長者となる。母の死後五輪塔を立て、更に先祖供養に三基を加えて五つとなったので五輪沢という。長者には多くの子があったが、13歳になると死ぬので、一子を13の春に死んだと披露して弔いをし、黒石の正法寺に預け、翌年引き取ると長生きして繁昌した。引導を渡したところを生導沢という。
類似事例

モリサマ,ボウレイ
1975年 山口県
仁五の森様は堤ができるときに切られてしまい、今は堤のところに祠が祀ってある。森様の木を切ったり、供え物を食べたりすると祟りがあるという。福島家の先祖が仁五に来たとき、亡霊が出るというので太夫に頼み、毎春祭をするようになったという。
類似事例

ガラン,ジュウロクガミサー
1965年 鹿児島県
西俣の里嶽部落のガランには、十六神サーといって16人の神がいるという。この神は威が強い神だという。ある年山から大水が出て田を流したが、このガランのところで水が二手に分かれて何事もなかった。また、このガランのすぐ下を工事したとき、数個の五輪塔が掘り出された。すると工事をした人たちが頭痛に襲われたので、この五輪塔もガランに祀ることにした。
類似事例

コイチロウサマ
1959年 大分県
小衣倉部落の森家では小一郎様を屋敷前の田の隅に祀っている。グリンと言う五輪石に似たもので、この付近では子供を遊ばせない。ヤブコウジンサマより祟りやすいと言われ、霜月5日にはオシショウサンが御幣を切って祀る。
類似事例

イド
1930年 群馬県
ここは昔から上中下の3部落にわかれているが、このうち上部落だけには井戸が無い。氏神の飯霊明神が嫌っているからだといわれている。
類似事例

アカガメ
1984年 新潟県
村の南側のはずれにある赤亀神社は、洞門のある「赤亀岩」にまつられているが、それは、昔、海老家の先祖が漁師衆を集めて船で沖へ漁に出ていると急に深い霧につつまれて帰る方向がわからなくなってしまい困っていると、大きな赤亀が浮かんできて、この亀に導かれて赤亀岩のところまで無事たどりついたというからであるという。以降9月1日(旧8月1日)に海老家が代々モリ(鍵取り)をつとめて祭りを行う。
類似事例

ヤマノカミ(シンジ,サイジニカンスルジュホウ)
1956年 宮城県
各部落ごとに子供を産む婦人たちが集まり、山ノ神の掛図を掛けて供え物をして安産を祈願する、山ノ神に十二月に山祝いをする、山ノ神の祭礼で神前に参加するものは祓いを受ける、道祖神は厄病が部落に入るのを防ぐ、などといわれる。
類似事例

コウジンサマノタタリ
1984年 島根県
穴見谷では岡田道夫家と清水政利家が1年交代で裏山の荒神を祀る。また、藤原倉善家、渡部一男家、渡部百一家、小林秀徳家(現平岩)が荒神を持っている。特別なお祭はないが木を伐ったりしてケガをすると、荒神様のたたりだといったりする。
類似事例

ナナニンヅカ,(ケンノツカ)
1963年 愛媛県
昔、大内次郎左ェ門が上猿田を開拓した後、高橋兵庫守の子孫がやって来た。そのため高橋は大内氏に正月の挨拶に行かなければならず、快く思っていなかった高橋はある年、大内氏を名剣紫丸で斬った。このときに力余って茶釜も切ったが、以来、紫丸を抜くと必ず柄から大百足が出入りしていたという怪異が止んだ。この大内氏を祭ったのが七人塚だという。
類似事例

コウジン
1983年 岡山県
久米郡久米町桑上の下組部落は、それぞれ20戸ほどからなる倭文組・長者組・中央組・南組が、各々に荒神を祀っている。
類似事例

モイヤマ,タタリ
1965年 鹿児島県
吉田部落の森山神社の一帯はかつて森山と呼ばれ、勝手に木々を伐採してはならない等の禁忌を有した土地であった。また産の神、子供の神でもあるという。あるとき、神社の宝物を持ち出して遊んでいた子供を大人が叱ったところ、逆に腹痛で苦しんだという。また、吉田部落の人々は森山から離れた海岸に住んでいた。しかしある年、大洪水で家がみな流されてしまった。これは森山ドンから離れたために祟りが起こったとされた。故に森山の近くに住むようになったという。
類似事例

ゴズテンノウ,シンバツ
1935年 福岡県
小倉八坂神社の祭礼の創始についての伝説。細川越中守忠興が鷹狩のとき、不動山で休息した。そこに1つの石祠はあったが、忠興が携えた杖で祠の扉を開けると1羽の霊鷹が中より飛び出し忠興の両目を蹴った。痛みがひどく直ちに帰邸し手当てをしたが直らない。これは牛頭天王の神罰と恐怖して1社を建立し祭りを興行し神楽湯立をするとお願込をして漸く右目だけ治った。それでももう片目が治らないので神前で能興行をすると祈ったところ漸く治った。
類似事例

ヤマノカミ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
6月9日には山の神祭をするという。山の神は部落と部落の間の大木の元に祭ってあり、この木を切ると悪いといわれている。毎月9日が山の神祭で行事はないが、お杣さん(きこり)は山へ入らないという。
類似事例

ヤマノカミ
1982年 新潟県
1月8日に各戸一人が集まり、藁で蛇を作って山中の奥の院にのぼり、後から神で作ったさまざまなものをもって、「山の神様山行きやる 山繁盛 里繁盛」とはやしていく。奥の院では頭を村に向けて老杉に蛇を縛り、木で作った鉈や鎌などをこれに結んで酒を飲み、2本のタラの木をそこに立て、帰りは振り向くと長いものに巻かれるといって山の出口まで一目散に下る。また、それから4日目が山の神様の種蒔きの日である。
類似事例

ジヌシコウジンノタタリ
1961年 鳥取県
藪内姓の本家の裏藪に祀る。昔はよく祟ったといい、地主荒神と呼ぶ。現在は部落で牛を持っている者が春と秋の2回籠る。
類似事例

ナンガクボウ,ナンガクバナ
1931年 滋賀県
昔、南覚坊という行者がきて、真言秘密の不思議な術を使ったため、首をはねられた。その年、村には病気が流行し、飢饉にもなったため、南覚坊の祟りといわれた。法蔵寺で南覚坊を手厚く弔ったが、その翌年から、首を切った下役の家の甘薯芋には朝顔のような花が咲くようになり、その後もこの家が富むことは無かったという。村人はその花を南覚花と呼び、不吉なものとしている。
類似事例

オオカミサマ,ゴンゼン,ヤマノカミノシシャ
1983年 岡山県
貴布禰神社の祭りは霜月13日から15日までで、14日に生まれた雌雄2匹の狼を15日に迎えるのが本来の形であったようである。迎えたものは、屋敷内の東北隅や奥の間の外に小祠を設けて祀る。こうして祀れば、狼様が昼夜を分かたず家をめぐって、病魔・災厄・盗難のないよう見回ってくれるのだという。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内