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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

コウボウダイシサマ
1938年 青森県
昔、駒込村に弘法大師が来て、駒込川で魚を取っていた人たちに「その魚をくれ」と言った。しかし見向きもしなかったので、大師は怒って葦わらたばで束ねてそっくり魚を持って行ってしまった。そのせいで、この川には魚がいないという。

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コウボウダイシ
1967年 福島県
水無し川原は、昔弘法大師が旅の途中にここを通りかかったとき、大勢の村人が川で鮭を獲っていた。大師はここを渡らせてほしいと頼んだが、忙しいので無理だと断られた。それを効いて大師は、それならばこれからも多くの人が難儀するだろうから川の水を流れなくしようと言い残し立ち去った。やがて水は泣くなり、今ではまったくの水無し川原になったという。
類似事例

サカナ,ゴフ,コウボウタイシ
1990年 長野県
ある男が横川で魚を釣っていると、坊さんがやってきて「沢山釣れているね」と声をかけた。男は魚をくれと言われると思って「さっぱりだ」と答えた。すると坊さんは護符をくれて、釣り場に流しておくと魚が釣れるようになると言った。その通りにすると、この川では全く魚が釣れなくなった。坊さんは弘法大師で、嘘を見破って男をこらしめたのだという。
類似事例

〔オオウチノミズナシガワ〕
1986年 大分県
弘法大師が田代の川で芋を洗っていた老婆に芋を所望した。老婆が洗っていない芋を渡したので,大師は川に杖を刺して水を枯らした。一方その下流の新屋敷では洗った芋を与えたので,水の無い川底に杖をついて水を湧き出させた。
類似事例

フエフキガワノヤマメ
1961年 山梨県
昔、弘法大師が空腹で笛吹川の上流の川浦にたどり着いた。ある家の老婆が粟粥を炊いており、弘法大師はそれを乞うたが、老婆は粥の中にはヤマメが入れてあり、なまぐさいのでさし上げることはできないと断る。大師は魚は川へ放ってやるからといい、煮た山女魚を川へ入れると、魚は皆生き返って粟粥を体につけたまま泳ぎ去った。それ以来笛吹川の山女魚には紅の粟粒がついている。
類似事例

コウボウダイシ
1937年 京都府
犬飼川のほとりの百姓家で弘法大師が飲み水を求めたが、その家は断った。それから犬飼川は水の入用な季節には流れなくなった。
類似事例

コウボウダイシ
1960年 京都府
弘法川は枯れ河だが、大雨が降ると非常に荒れる。昔は常に水が流れる河だった。昔、弘法大師が河で洗濯中の女性に水を所望した。女が水をやろうとしなかったので、錫杖で川の中を突いた。そこから水が地面に染み入り、もう一滴の水も流れないようになってしまった。
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コウボウダイシ
1998年 山梨県
昔、弘法大師が川浦地方のある家の老婆に粥を乞うたが、老婆は粥の中にはヤマメが入れてあり、なまぐさいのでさし上げることはできないと断る。大師は魚は川へ放てば生き返るからといい、煮た山女魚を川へ入れると、魚は皆生き返って粟粥を体につけたまま泳ぎ去った。それ以来笛吹川の山女魚には紅の粟粒がついている。
類似事例

コウボウダイシ,ウナギ
1950年 群馬県
それは昔弘法大師が川を渡れなくて難儀していた所、鰻が橋になり助けたので、鰻橋周辺では鰻をとらない。
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コウボウダイシ
1967年 福島県
ある日、一人の貧しそうな僧侶が川を渡してくれと言ってきた。それを船頭が、お前のような汚い乞食坊主は渡すことはできないというと、僧侶は怒って、それでは誰でも自由に歩けるようにしてやろうと、その辺り一帯のみずを止めてしまった。この乞食僧は弘法大師であったといっている。
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フナ
1932年 和歌山県
弘法大師が諸国行脚の途中、ある猟家で魚を串に刺して焼いているのをみて憐れに思い、それを買い取って高野山の玉川に放った。それが繁殖して今に至る。それは鮒の一種で半身焼けて黒く、串の跡だと言う白い斑点がある。
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ダイコンガワ
1986年 大分県
貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
類似事例

〔イマタワラノミズナシガワ〕
1986年 大分県
貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
類似事例

〔ソウダノミズナシガワ〕
1986年 大分県
貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
類似事例

〔タキオノミズナシガワ〕
1986年 大分県
貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
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コウボウダイシ
1930年 福島県
昔、弘法大師が巡錫してきて水をくれと頼んだが、意地の悪い老婆がこの村には井戸が無いと答えた。その後、井戸を掘っても塩水しか出ず、飲み水にはならなくなったという。
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イド
1930年 兵庫県
昔、弘法大師がきて水をくれといったときに井戸が無いといったためにこの部落には井戸が無いのだという。
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コウボウダイシ,カレミズ
1948年 兵庫県
昔、田植えの時期にみずぼらしい身なりのお爺さんがやってきて、井戸端で用事をしていた女の人に「水を一杯いただけませんか」と頼んだが、「水が飲みたければ川の水でも飲めばいいだろう」といって追い払ってしまった。それ以後、この村は水に不自由するようになった。お爺さんは弘法大師の仮の姿であったといわれている。
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コウボウダイシサマ
1983年 山梨県
お婆さんが川でじゃが薯を洗っているところへ弘法大師様がきて、芋をくれないかといったが、お婆さんが小さすぎてあげられませんという意味で言ったのを、弘法大師様が「石芋で食べられませんよ」とうけとって石にしてしまった。しかし、その後で、お婆さんがわけを話すと食えるようにしてやるといった。
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ヒル,コウボウダイシ
1987年 愛知県
昔、坊さんが矢梨の里を歩いていた。田植えのころで、村人は蛭に悩まされていた。坊さんが井戸はないかと尋ねるので村人が清水のわくところに案内した。坊さんが水を飲み甲掛けを洗っていると、その手に蛭が群がった。坊さんは経を唱えて杖を泉に浸してしばらくそのままでいたが、やがて杖を収め立ち去った。その後、蛭はいなくなり、村人はここを「甲掛け清水」「蛭封じ井戸」と呼んだ。坊さんは弘法大師だったという。
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(コウボウダイシトスイロ)
1986年 大分県
弘法大師が立野のいぜ(水路)を通りかかった。いぜ作りの人々が弁当を与えたので,お礼にいぜをせき止めなくても田に水が入るようにしてくれた。
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