ブツゾウノエ 1976年 東京都 文政己丑の夏、多宝院という真言宗の寺で樫の木を切ったところ、木の切り口に仏像の絵が現れた。
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ヘイケノツカ,ヒカリ 1916年 福井県 昔、逃げてきた平家の侍の墓といわれる平家の塚がある。50年ほど前、村民の1人が雨の降る夜にこの塚から光が発しているのを見つけ、掘り出したら一振りの刀が出てきたという。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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タツ 1980年 神奈川県 松の大木の根っ子に大きな穴が開いていて、そこから水が流れ出していた。激しい嵐の日に竜が天からこの松の木に下りてきて土に入った穴で、その竜の胴体が五反田のあたりの田んぼにうずまっていると言う人もいる。
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イシバシノウエノオオニュウドウ 1956年 宮城県 江戸時代のなか頃、古川市新田中宿を流れる小川の石橋に、夜になると大入道が現れるという評判がたち、人の往来がたえてしまった。たまたま岩出山の武芸者がこれを聞き、ある夜そこに行くと大入道が現れた。切りつけると手応えがあり、それは消えてしまった。翌朝検分したら石橋が斜めに切られていた。よく調べるとその石は南北朝戦争の際討死した北朝武士の碑であった。その碑は現在子松神社の境内に祀ってあるという。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その桜の木に傷が付くと、血が流れ出たという。
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コヒノウラミ 1956年 宮城県 2メートルくらいの古碑があり,「元応□年九月十五日」と刻まれている。200年程前,この古碑は八幡社近くの小川に橋の代用として架けられていて,百姓達が泥足で供養の文字の上を渡っていた。この石橋が架けられて間もなく,夕方に村人がそこを通ると恐ろしい鬼のような怪物に襲われるようになった。村の郷士馬場某がある夜単身でその辺に出かけたところ、橋近くの桜の老木の近くに来た時,仁王のような恐ろしい鬼が現れたので,馬場某が斜めに斬り付けると手応えがあって怪物は煙のように消え失せてしまった。翌朝行ってみると怪物の亡骸はなく,石橋の一方が斜めに切り取られていた。村人達は,「碑にも霊があって泥足で踏まれたのを怒ったのであろう」として現在の位置に立て直し,厚く供養してお詫びした。その後怪異は起こらなかった。
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オトナ 1920年 徳島県 稼勢山という山がある。その昔この辺りに巨人が住んでいて、もっこう(土を運ぶ道具)に土をいれて運んでいると、その綱が切れて土が積まれて山になったという。近くに巨人が米を搗いて、その糠を捨ててできたという小山もある。
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ロクジゾウ 1984年 島根県 昔、金原から大志戸へ向かう街道を馬に乗った1人の侍がいた。ちょうど大志戸の入口付近にある六地蔵(円柱の石に六地蔵を彫っている)の前を通りかかったところ、地蔵の力で落馬してしまったので、侍は怒って刀で六地蔵を縦に3つに切ってしまった。道路拡張のため、今は観音像とともに大志戸の入口付近の道の脇に祭っている。
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ロクブノタタリ 1956年 宮城県 「上人塚」と呼ばれる古碑が立っており,正面右に天和癸亥年善海上人と書かれている。当時(約350年前)この地方で勢力を振るっている豪族がおり,ある日部下が一人の六部(山伏)を捕らえてきた。主人は他国の間諜に間違いないとして十分に糾問せずこれを斬り捨て,死骸は屋敷の一隅に埋めさせた。ところがその後豪族の家には黒い雲が覆い,災害や不幸が相次いで一族は死に絶えてしまった。それから何代か土地の所有者が変ったがいずれも不慮の死を遂げた。現在残っている善海上人の不動尊像は誰の時代の建立か不明であるが,今でもここを「上人塚」,前の田を「上人田」と呼んで,年寄などは近付かないようにしている。
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タカミチノヒ 1956年 宮城県 寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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ダイジャ 1983年 秋田県 村の鎮守である神明社には昔杉の大木があり、江戸の落雷で焼けた。かつて大杉の根元には大きな空洞があって大蛇が入っていたという。落雷の時大蛇の断末魔の声がし、焼け跡には大蛇の骨が沢山あったという。
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オッパショイシ 1911年 徳島県 村の入り口の近くに名のある力士の墓があるが、いつかから前を通ると「オッパショオッパショ」と墓は喋りだすようになった。そこで、ある強い人がそれなら負ぶされと言って石を負うと徐々に重くなった。それを投げたところ二つに割れてしまい、それ以来この怪異は絶えて、長い間割れた石が残っていたという。
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ワカモノ,エノキ 1967年 福島県 蔵持に里という美しい少女(未亡人という説もあり)がいて、たそがれに軒端で歌っていた。その声に寄せられて毎夜同じ時刻に若者がたずねてきた。そのころ、村人が蔵持三島八幡境内にあるえのき(神白村ぼんてん山の大けやきという説も)を切り倒してお里の家の近くに橋をかける話をまとめた。毎夜お里を訪ねてきた若者は、悲しそうに今夜限りで会えないといって帰った。村人たちがその木を切ると、血が流れ出た。ようやく切り倒して運ぼうとしても動かない。お里を呼んで歌を歌わせ、音頭をとらせたら、木は自分から動き出した。その夜から若者の姿はみられなくなった。この橋を里也橋という。
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(カミナリ),(イシノカラビツ) 1982年 享保12年5月23日、御成りがあった際に、江戸より3、4里程外の麻間の地の、くれひの明神と言う社の大木の松の下に、石の韓櫃が埋められてると言う伝説が有り、誰も見た事がないことをお聞きになった。ならば掘ってみろと仰せられたので百姓10人程で3、4尺程掘ったら、たちまち空が曇り、雷が3つ百姓に落ち、百姓たちは微塵になった。将軍の前にも1つ落ちた。
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ゴリンヅカノタタリ 1977年 山梨県 五輪塚は平将門一門のゆかりの品が埋められているといわれる場所。かつてはお盆に新しい草鞋をはいて掃除をした。昔は、ここで白い蛇を見た者がいて、霊場とされ、勝手に入ると目がつぶれるといわれる。
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イシ 1989年 長野県 昔、この近辺には沼があり、その中に太さは一抱え・高さは5尺くらいの石があったが、それが夜になると浮いて歩いたので、刀で切ると血が出てきた。そこで今の場所に祀ったという。それがあった場所に田を作ると不幸になるといい、また、このことを言ってはいけないという。
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リュウ 1971年 福島県 昔、川上一帯は湖で、主の竜が住んでいた。この竜に八幡太郎義家の家来の源八がのまれてしまったので、義家は弓張堂にある石に腰を下ろして、この竜を射殺した。その竜があばれて九つ山と羽黒山ができ、湖水が久慈川になって流れ、他の一帯は丘や平野ができた。
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タメトモ,オニ 1929年 東京都 樫立村では、為朝が臼を持ち、鬼が杵を持って登り比べをしたときに、鬼は登れずに滑ってその跡がついているという。勝った為朝が鬼を捕えて石の下に入れようとしたが、抵抗したのでその時大石に鬼の耳の跡がついた。以来、通行人がこの石を掻いて桃の実ぐらいになると、石の下から出してやると言われた。
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サラヤシキ 1956年 宮城県 芦沢某という侍の家の女中が誤って家宝の皿一枚を割り、折檻されて手討ちにあう。毎夜ふけに女中の亡霊が台所へ入ってきて皿を洗って数え、9枚目のあと叫び声をあげて飛び出す。そこで手討ちにした刀を埋めて塚を築いた。頭に皿をのせた石地蔵を立てたので地蔵森という。
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