ショウグンヅカ 1982年 京都府 享保15年4月頃、東山将軍塚が毎夜2度程鳴動するという風説がある。賀茂川辺りの者の話では、家をゆすっているようであると言う。
類似事例 |
|
テンメイ,ショウグンヅカメイドウ 1974年 京都府 寛政7年8月24日の日暮れ前から東の方角がしばしば鳴った。大きな鼓を鳴らすような音だった。暁になって鳴りやんだという。昔から将軍塚鳴動というものがある。
類似事例 |
|
ショウグンヅカ 1975年 京都府 桓武天皇が平安京に遷都した時、人をかたどった8尺の土偶を作り、甲冑を着せ、太刀を佩かせ、帝都に向かわせて、これを埋めて京の鎮護とした。もし京に変災があれば、必ず鳴動するといわれている。明応2年には、実際に将軍塚が鳴動したという。
類似事例 |
|
メイドウ 1976年 京都府 将軍塚は変があるとき必ず鳴動する。筆者が幼少の時、地震も無いのにこだまのように聞こえたことがあった。ある和尚の話によれば、天明6年4、5月頃から鳴動を続けたという。怪しんでいると、9月6日の夜丑の2刻に鼓のような音が聞こえた。天明8年の大火の前兆だろうか。
類似事例 |
|
メイドウ 1976年 京都府 平家都落ちの時、将軍塚が鼓のような音を立てて鳴った。
類似事例 |
|
ショウグンヅカ 1977年 京都府 桓武天皇が、平安京遷都のおりに、群臣諸博士を召して、王都長久の方法を審議し、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に埋めて、京の守護神とした。これが将軍塚である。治承3年7月に3度続けて鳴動した。
類似事例 |
|
コマユミダケ,カンジャダケ 1987年 長野県 この山は霊山で,天変地異のある時には鳴り動いて危険を知らせた。
類似事例 |
|
マサカド,クビ 1995年 滋賀県 滋賀県愛知郡の将軍塚は、将門の首を葬った所であるとされている。
類似事例 |
|
(オウムガツジ) 1979年 京都府 京師東山の辺りに、音が反響するところがあり、おうむが辻という。
類似事例 |
|
メイドウ 1976年 京都府 洛西長岡村天神の社の東、細川三斎屋敷のあたり、神足村との間に大塚というものがある。昔の陵墓なのだろう。この大塚は折にふれ鳴動する。その翌日は必ず雨が降る。この塚の内部が空虚であり、そこを水気が登るときに鳴るのだろう。
類似事例 |
|
タタリ 1973年 富山県 大将軍山は、みだりに人が登るとたたりがある。
類似事例 |
|
ショウグンヅカ 1977年 京都府 桓武天皇が、平安京が長久であるようにと、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に西向きに埋めた。泉涌寺の上にある塚がそれである。鳴動したのは、保元元年は大乱の兆しとして。治承元年は平清盛の福原遷都の兆し。明応2年と享禄3年の時は、ともに足利将軍の時代であった。慶長3年の時は、豊臣秀吉死去のためであった。
類似事例 |
|
メイドウ 1974年 奈良県 和州多武峰は藤原鎌足の霊廟だが、そこに納められた鎌足の霊像は、国家に凶事があると尊像が破裂するという。
類似事例 |
|
メイドウ 1974年 兵庫県 国家に事の吉凶がある時は、多田満仲の廟が鳴動するという。
類似事例 |
|
キシダケバッソン,タタリ 1968年 佐賀県 殿の山というところには、岸岳末孫の五輪塔が無数にある。ここには岸岳のはなみかわの守の出城があり、豊臣秀吉・加藤清正軍との勝負のついた場所なので、地名も菖蒲という。殿の山の木を切ると祟りがあるといい、手をつけなかった。盆正月には、法印に拝んでもらう。
類似事例 |
|
サケビゴエ,ナツノジン 1933年 大阪府 大阪城山里丸では、夕闇迫る頃、大勢の人の叫び声が聞こえることがある。時には人影が徘徊することもあるようである。大阪夏の陣にて非業の死を遂げた大阪方の人々の妄執が残ってこのような怪異が起こるのだという。
類似事例 |
|
ジンダイコノオト 1940年 福井県 晴れた月夜の晩に外に出ると、城山(杣山城)から陣太鼓の音が聞こえる。その音は、城に残る妄念のためであろうといわれている。
類似事例 |
|
オトナシノマツ 1938年 鳥取県 この松は後醍醐帝が憩われた所であり、帝の徳のために、風が吹いても音がしなかったという。
類似事例 |
|
マサカド,クビ 1995年 東京都 東京都千代田区大手町の将門塚は、梟首されて落ちた将門の首を葬った所だと言われている。
類似事例 |
|
ヨビゴエ 1915年 新潟県 段々畑の丘の頂上に2つの古塚が向き合って立っている。陣没者を葬ったものだと言い伝えられている。つい近年まで夜にさびしい喚き声がしたという。その声に応えると病気をすると言ったそうだが、その声を耳にした人は今でも生きている。
類似事例 |
|