ウマ 1976年 東京都 寛永の頃、江戸に耳の下に長さ2寸程の角の生えた駿馬がおり、日光山に進呈された。
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(リョウトウミツメノウマ) 1982年 熊本県 文政8年に肥前国(ママ)天草郡宮田村の百姓・幸次郎の産馬は、2つの頭と3つの眼を持って産まれたという。
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ウマ 1956年 東京都 母親が「言うことをきかないと馬にくれるぞ」と言って娘を育てたので、馬が娘を見込んだ。馬が「娘をくれ」と言って頭に角を生やした。馬は娘を蹴り殺したので、馬を殺して角を取った。馬の角はまだその家にある。
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ダハク 1975年 山梨県 甲斐国保坂の牧の馬が野飼いの牛と交わり、頭は馬、体は牛、左の爪が馬、右の爪が牛というものを生んだ。明和2年正月、浪花で見世物に出されていた。
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コウロベサマ,ウマノクビ 1956年 東京都 馬が娘を見込んだ。母親が娘が欲しければ角をはやして御覧と言ったら、馬は頭に一本角を生やした。馬は娘を突き殺した。馬の角はまだその家にある。馬の首は正月24日の夜、村中を飛び回る。
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ウマ 1974年 長野県 寛文4年に尾張国から木曽路を巡見したとき、駒ヶ岳の麓を歩いていると、大きな芦毛の馬がいた。この馬は毛を地面にたらし、眼光は鏡のようで、形相は見る者の身の毛もよだつものだった。そして人影を見て峯の中央まで登ると、雲が馬を覆って行方がしれなくなった。その蹄を見ると1尺ほどもあったという。
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キツネ 1974年 三重県 勢州日永村で、寛文12年、ある男が狐の耳と口を裂いて殺した。その頃男の妻が女児を産んだが、その子の耳は裂け口は歪んでいた。
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バカクサン 1931年 和歌山県 馬角さんは漁労の神で、紀州徳川家初代の頼宜公の馬に生えた角を家臣の某かが藤白権現に奉納したものであるといわれている。三葉葵の紋が入った厳重な5重の箱に入れられ、大きさは1寸弱の蛹くらいに見える褐色物であり、牙には見えない。魚の取れないときに馬角さんを漁場に持っていくと魚が集まると信じられており、遠くからもこれを迎えることがあったという。
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コマノヒヅメイシ,ショウトクタイシ 1991年 兵庫県 聖徳太子が馬に乗ってこられたときの馬の蹄のあとの残る石が駒蹄石(こまのひづめいし)である。
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〔ウマオアブ〕 1976年 4,5月の頃に馬の尾を抜いてごみの中に置いておくと、先の方が蛆になり、やがて虻となる。その虻は尻に尾をくっつけている。
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ウマツクリ 1965年 岩手県 三歳以上の牡馬は、夏と晩秋の二回、蹄を削り、悪血をとるという習慣がある。また、腴歯(やせば)という替わり歯を叩き抜き、馬の医師が祈祷するなどした。この馬つくりをすると馬が健康になるといわれる。
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シロフジ,サカノウエノタムラマロ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂の乗った馬が倒れたとき、藤の鞭を地にさしたところ、根を生じた。
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ウマ 1978年 香川県 安永末年、ある伊予の農人が象頭山へ、仔馬が生まれた場合にはそれを神馬として奉納することを約束して馬の治病を祈願した。その後仔馬が生まれたが奉納するのを忘れていたら、仔馬が勝手に象頭山へ行った。その馬の背中には斑毛で金の字が成長とともに現われた。
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カッパ 1930年 長野県 川のそばの木につないでいた飼馬が、いつのまにか河童と通じて河童のような仔を産んだ。仔馬の頭はくぼんで摺鉢のようであった。
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ロクソクイヌ 1974年 京都府 文政10年3月11日に、山城州宇治郡山科郷花山村に住んでいた庄右衛門が飼っていた犬が6本足の犬を産んだ。前足2本・後ろ足4本、尾は1つで肛門は2つあった。
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クビナシウマ 1968年 愛媛県 梅の子付近で源氏と平氏が戦った時、馬が首を切られたため、その付近では毎晩首なし馬が出るといわれている。
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ツノ 1974年 広島県 寛政4年に備後国芦田郡常村の農夫が80歳を過ぎたところで額に角が生えた。そして翌年には角が落ちたという。
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(シモカモノシンメ) 1983年 京都府 弘安4年の蒙古襲来の際に、下賀茂社の神馬が行方不明となったが、蒙古が滅びた日に厩に帰ってきた。その身体の所々に傷や血が付いていたという。
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テンロクジュウ,テンロク 1975年 天禄獣は牛よりも大きくて一本の角と鱗におおわれている。
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ダイバ,ギバ 1956年 馬の災。一種の魔物が馬の鼻から入って尻に抜けると、即座にその馬は倒れて役に立たなくなる。馬を飼う地方ではきわめて怖れられていた。
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