ジンカク 1974年 広島県 寛政4年に、備後国蘆田郡常村の農夫の額に角が生えた。そして翌年正月17日に解脱したという。
類似事例 |
|
ツノ 1980年 鹿児島県 薩摩のかせ田という村の百姓の額から、3寸ほどの角が生えてきた。ただし100日ほど経った時に抜け落ちたという。
類似事例 |
|
ジンカク 1974年 鹿児島県 薩摩の伊作の地士である黒川某の額に一本の角が生えたという。
類似事例 |
|
ヨツゴ 1974年 広島県 備後国神石郡袖辺町の油屋久兵衛の妻が四つ児を産んだが、4人目の子は髪が黒く生え、歯は揃い、額に2本の角が生えていたという。
類似事例 |
|
ジンカク 1974年 青森県 『日本紀略』寛平9年7月23日条に、陸奥国言安積郡で生まれた子の額に角があったという。
類似事例 |
|
ニワトリノウブゲ 1974年 岐阜県 美濃国の御岳村に住む土屋善右衛門は、日頃鶏の卵を好んで食べていたが、ある日頭が悉くはげた後、鶏の産毛が一面に生えたという。寛文年間のころの出来事である。
類似事例 |
|
カミ 1980年 熊本県 球磨の武士である米良七左衛門の妻は、理由がないのに髪の毛が一夜に抜け落ちて、結ったまま枕元に落ちてしまったという。その後は老人の顔のようになってしまい、まれに短い毛が生えて来るという。
類似事例 |
|
カミノケ 1980年 宮崎県 日向国中村の近辺で、右頬に腫れ物が出来て、その傷口を破ったところ、猪脂膏のようなものが出てきて、その200本の髪の毛が出てきたという。その後傷は癒えたという。
類似事例 |
|
(ゾクシン),(シノゼンチョウ) 1933年 岩手県 死ぬ人は小鼻が落ちる。私の村の或爺が或朝あまりひげが生えてうるさいから削ろうと云うて、鏡を出してみたが、不意に家族に向かって言うには「なんだこれや俺は死ぬぞ。小鼻が落ちて居る」。もちろんそれまでの家人は縁起でもないとかわしたが、その翌日爺はころりと死んだ。
類似事例 |
|
クチバシ 1974年 東京都 江戸の通銀町二丁目に堯順という商人がいた。彼は八王子山家の、鷹狩りの餌を調達する職業の餌指の子を雇っていたが、流行病で死んでしまった。そこで沐浴して剃髪しようとしたが、剃刀が少しも立たなかったので不思議に思った堯順がよく見ると、頭の一面に鳥の嘴が生えて岩のようになっていたという。延宝年間の頃である。
類似事例 |
|
(キヨマサコウ) 1981年 昔肥後国に顔中に黒痣のある女がいた。この人が加藤清正公に立願して毎夜百度参りをし、やがて百日になろうとする時に歩行できなくなった。すると山伏が現れて近くの井戸水を飲めといい、彼女が飲むと疲れが無くなった。そして汗を手拭いで拭くと、黒痣は消えてしまったという。
類似事例 |
|
キツネ 1956年 宮城県 気仙沼出身の実業家三田某氏の実見談。明治40(1907)年頃の7月5日午前4時頃,三田青年が峠で一休みしていると,橋向うに50がらみの男が一人,草叢に座って酒盃の献酬をしているような格好である。その時顔の右半分に軽い痙攣を感じ,その方に目を向けると杉の木の下に赭毛の大狐がいて,親爺の方に尻と顔を向けている。太い尾を水平に伸ばし,その先をくるくると小さい輪を描くように回しており,まるで尾の先で人間を操縦しているかのようであった。三田氏が石を投げつけると,狐は茂みの中に逃げてしまったが,その時親爺もその方向に引かれるようにうつぶせに倒れた。親爺は正気付くと今いる場所も日時もわかっていなかった。親爺は「自分は高田の先の大船渡の者で,二日前の夕刻,塩鮭を土産に大槌の親戚の家に出かけてきたのだ」といってそこら辺を探し回ったが見つからない。「自分は今まで確かにその婚礼の席で挨拶をしたりしていたのだが」と不思議そうであった。
類似事例 |
|
ナベヤクシ 1956年 宮城県 文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
類似事例 |
|
イボ 1961年 長野県 最近(1960年頃)のこと。信州新町のある男が、友人から「イボができたから更級の八幡様の社殿の石を頂いてきてくれ」と頼まれた。この石でイボをさすれば治り、治れば倍にして返さなくてはならない。ところが頂くのを忘れてしまったので、村の近くの河原の石を渡してごまかした。友人がイボが取れたので礼をいうと、本当は近所の石だと言ってあざ笑った。するととたんにその男の顔一面にイボがあらわれた。
類似事例 |
|
〔ジョウゲンチュウ〕,オキクムシ 1974年 滋賀県 近江国志賀郡別保の里に常元やしきと俗称される家があり、ここに居る者は必ず禍があるという。その故を尋ねると、蒲生家の侍だった南蛇井源太左衛門なる無頼が諸国で悪行を重ね、生まれ故郷の別保に帰って剃髪して常元と称した。慶長5年に以前の罪で捕縛された常元は、その家の柿の木に縛られて最後には斬られた、しかしその骸を木の根本に埋めたところ、数日後、顔や目口鼻がある人を縛っている姿に似た妖しい虫が、毎年多く墳上に現れて、蝶に化けて消えたという。人々はこれを常元虫といった。
類似事例 |
|
イジュウ 1977年 静岡県 正徳4年夏、豆州豊川村である人の妻が毎夜何者かに襲われるようになり、ついに殺され顔の皮を剥がれた。15日後何かが家に入ってきたので斬りかかったが逃げ去った。血の跡を辿ると栗山村の奥山の穴に続いていた。鉄砲で撃ち、出てきたところを槍で仕留めた。形は熊のようで人面だった。足と爪は鷲のようで、頭毛は赤、身毛は黄だった。
類似事例 |
|
ロクロクビ,リコンビョウ 1974年 福井県 越前国敦賀で、寛政元年10月、夜更けに下女がうめいているので持病の痰がでたのかと見に行ったところ下女の首が屏風を1・2尺登っては落ち登っては落ちしていた。
類似事例 |
|
コヌカムシ 1972年 長崎県 実盛は白髪だったが髪を染めていた。ある人が実盛かどうかを確かめるために田の水口に頭を持っていった。その際に足を使って乱暴に確かめたので、それを非常に残念がった実盛はこぬか虫になって出てきたという。
類似事例 |
|
キツネツキ 1922年 兵庫県 狐がついた事例は明治20年ごろにあった。3、40歳の男が狐につままれて家出したのを、村人が捜索した。その人は木陰に蹲っていたが、目はつり上がり、手足も縮まって狐の形に似ていた。家に帰ってからはいわゆる狐憑きになって、油揚げや豆腐ならばいくらでも食べた。その人の父が狐を攻めて、出ねば捻り殺すというと狐は瘤の形になり手先に進んで行った。指先に追い詰められ、男は「出る出る」と連呼しながら倒れ、手の瘤は消えていた。その後3日寝つづけて、1ヶ月はぼんやりしていたという。
類似事例 |
|
イシモチ 1979年 文政5年(1822)のこと、備中国笠置の人である文助の体に出来ていた癰(悪性のできもの)が潰れた時、その膿や血に混ざって1寸(約3cm)ほどの、2匹の鯼(イシモチ)が出てきた。
類似事例 |
|