レイ 1976年 山形県 羽州米沢の町田弥五四郎という人は、とても信心深く、毎日寺に通い、帰りに住職と話をするのが習慣だった。病床にあっても、その習慣は変わらなかった。しばらくして、彼が昨日死んだという知らせが寺に届いた。住職は彼が昨日も寺に来ていたので不思議に思ったが、常に寝込んでいたと聞いて、彼が霊になって来ていたことを知った。
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エンキ 1975年 昔、ある僧が本屋で易経を買い、その中に書き込まれていた注釈を読んであざ笑ったところ、夜に入って発熱・頭痛して瀕死となった。その時付近に住んでいた儒者の家に、数ヶ月前に死んだはずの門人が訪れて儒者に訴えるには、死後妻が自分が注釈を書き込んだ易経を売り、それを読んだ僧があざけり笑ったという。それが憎くて僧の頭を打っているが、先生にもその様子を見てほしいといった。儒者は呆れてその門人を説得し、その寺に墳墓を造るのでそこに居るよう伝える。門人は納得し、また僧が懇ろに読経したので、病気は治まったという。
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(シノゼンチョウ) 1982年 群馬県 ある人が正装できて住職に挨拶して本堂に入った。まもなくその人が死んだと知らせに来た。
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レイコン 1953年 新潟県 寺に碁を打ちに来ていた老人が重病になった。ある晩、寺を徘徊する幽霊の足音が聞こえてきたので、住職はこの老人の死を知った。数10分後その老人が死亡したと知らせにきた。
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ダイジャ 1959年 千葉県 ある貪欲な村人に無実の噂をたてられて悶死した住職が、後年大蛇になって寺に現れ、怨みを晴らしたいからあの村人に引導を渡すなと現住職にいった。日をおかずその村人は死に、その葬式のとき天が俄かに曇って棺に大落雷があり、村人の死骸は付近の神社や地蔵様に四散したという。
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シリョウ 1985年 愛媛県 大正8年3月末、病気になり熱が出た。入院すると間もなく脳症で無意識となり、うわごとを言っていたという。5月になって正気づいたが、祈祷師に頼んだところ「死人のいた処を踏んだので死霊に取り付かれた」といって死霊を壺に封じ込めて夜中に山の中へ埋めたという。後で聞くと通学路の橋で明治時代に殺人事件があった。
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ヘビ 1970年 愛知県 いつも寺に来る蛇が死んでいたので、住職が葬ってあげた。すると、寺で受戒のあったとき、蛇が女になって和尚の弁当を持ってきたという。
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ソセイ,コリ 1982年 京都府 享保7年9月中旬、四条油小路通辺のある婦人が死んだ。葬式の用意をして出棺しようとすると、死人が生き返り、食べ物を要求した。医師を呼んで診せたが脈がない。ならばと、山伏や陰陽師を呼んで祈祷させたが効果がなかった。万策尽きたのでそのままにしておくと3日後に再び死んだ。狐狸等が入っていてのだろうかと近くの者は噂した。
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コウノトリ 1974年 東京都 文化7年のこと、浅草安部河町にある高田派一向宗の寺の本堂屋根に、鸛が巣をつくっていた。これまでは近くの松平西福寺に巣を作っていたのだが、こちらに移ってきたという。その年12月11日に火事が発生して西福寺は全焼したという。『博聞類纂』という書物には、鸛が巣を移すと古巣は火事になると書かれてあり、これと同じ事が起きたことになる。
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チョウジュ,シソンアマタ,ソクサイ 1982年 享保14年8月下旬、彼岸の仏詣での為に上野国瀬多郡から西本願寺へ上京した百姓夫婦が長寿であり、子孫多く、息災であった為、門主が法皇御所へ書記奏達した。
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ニチレン,ブツゾウ 1973年 栃木県 文政8年4月のころ、野州佐久山の中町に住む住吉や為八という者が、地面に池を作るといって、まわりの石垣となる石を近くの箒川から取り寄せた。するとその中の丸い石に、自然と二分ほど高く、左右に日輪月輪を伴った仏像が現れたという。日蓮宗の住職に見せると、それは日蓮上人であると言う。瘤のできたのを立願すると治った。それから近国の参詣者でにぎやかになった。
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(ゾクシン) 1974年 滋賀県 葬送に関する俗信。重病人がいる場合は、寺で自修文というお経をあげてもらうと、治る人は治り、死ぬ人は楽に死ねるといわれている。親が死んだ場合、3年間は屋根をさわってはいけない。魂が屋根を目指して帰ってくるので、形を変えてはいけないという、など。
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ホウザワコウゼンインノヌケクビ 1956年 宮城県 根白石村の興禅院は正徳年間までは朴沢山の中腹にあった。その頃住職が夕方の読経をする度に抜け首が現れて襟首を冷たい舌で舐める。和尚はなおも読経を続けたが,ついに寺を現在の場所に移した。その後,村の人が朴澤山から帰る途中元のお寺跡の所で抜け首に遇い,驚いて家に逃げ込んだが熱を出して三日目に死んでしまった。その人の孫は現在も同所に住んでおり,興禅院の現住職もこのことをよく知っている。
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シニン 1989年 岐阜県 一人住まいのお婆さんが死んだ。お経を上げてもらっていたら死人が棺蓋を押し上げて「おねじゃー」といって立ち上がった。医者に見せたら今度は完全に死んでいて、改めてお経を上げて埋葬した。
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タマヨビ 1948年 和歌山県 元文年間にある70歳くらいの男が急病になった。家族が魂呼びをしたところ、蘇って病気も治ったが、言葉や態度がおかしく、妻子のことも覚えていなかった。考えてみると、同じころに山奥で死んだ木地屋の名前が同じだったので、入れ替わって入ってしまったのだろうということになった。それから10年くらい生きていたといわれている。
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キツネ,ビョウニン 1926年 長野県 30年ほど前、畑の仕事に行った馬鹿者が家へ帰ると、腹を病み出した。御嶽講の行者にお祈りしてもらったところ、病人の心持はよくなったが、後に死んだ。
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ムエンボトケ 1974年 栃木県 1971年のこと。ある男が夜遅く車で足尾を通りかかったら、子持ちがいたので乗せてやった。どこまで行くのか聞こうとしたら、車内に姿はなかった。その男はその後、入院したという。無縁仏が祀ってほしくて出たらしい。そこを車で通る時は、窓を閉めてタバコを吸って気を静めろと言い合っている。
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キュウキ,ビンボウガミ 1973年 埼玉県 文政4年の夏、武家の家の用人が所用の為知行所へ行く途中、草加の宿あたりで40才位のが顔色青黒い痩せた法師と会った。聞けば用人の主家に住む貧乏神で、三代前から用人の家に住んでいて、そのため家は病がたえず貧乏だったのだと言った。驚いていると、私は他所へ移るからお前の主家は借財等も返せるだろうと言う。越谷まで来たあたりで、どこかに行ったのか見えなくなった。
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ネコ,(オンガエシ) 1956年 宮城県 寛政年間(1789~1801),泉永寺住職玄契和尚は高い学徳を持っていたが,暮らしが苦しいので寺を捨てる覚悟をした。長年可愛がっていた三毛猫にも我が子に言うように暇を言い渡した。一方,物持の千田家には一人娘の美知代がいたが,学問好きの美知代は玄契和尚の学識を慕い,三毛猫も娘になついていた。ある時美知代に縁談が持ち上がったが,美知代はこれを嫌い,結納の前夜沼に身を投じてしまう。数日後,葬列が村境近くの一本杉の近くを通りかかると,柩が十数尺の老杉の梢に吊り上げられてしまった。僧侶や修験者たちが修法を行ったが効果がないので,玄契和尚を呼ぶことになった。和尚が数珠をもみ経文を唱えると,柩が降りてきて葬儀を終えることができた。実はこれは愛猫三毛の報恩で,以後寺も和尚も尊信を集めたという。同寺には玄契和尚の描いた大涅槃像が現存する。
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(リンシタイケン) 1964年 青森県 人は死ぬと恐山に行く。火事で焼死した家族の一周忌に、親類が団子を拵えて法要をしたが、その団子は少し腐っていた。その附近の病人がちょうどそのころこときれて、また息を吹き返した。恐山に行こうとしたら、焼けたはずの家があって、死んだはずの家族がいて、団子を食えと勧めてきたが、少し腐っていたので食べなかった、と言った。食べていたら死んでいただろう。1910年前後のこと。
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