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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ネンリキ
1974年 栃木県
成瀬隼人正は尾張で病気となり、一族の者に是非とも日光山に参詣したいと言ったが、重病故に許されなかった。しかし成瀬は忌日を待って身体を清め、一族に暇乞いして息絶えた。その頃日光山にいた南光坊は、東照宮の廟前に成瀬が参詣に現れるのを見て、いまから世を去ると思い、深く感動し、江戸に飛脚を建たて一族の者に悔やみを言ったという。

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バンザブロウ,ニッコウサンノミョウジン,アカギヤマノミョウジン,ミズチ
2001年 栃木県
昔、日光山の明神と赤木山の明神が争った際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・万三郎は日光山の明神に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
類似事例

バンザブロウ,ニッコウサンノミョウジン,アカギヤマノミョウジン,ミズチ
2001年 栃木県
昔、日光山の明神と赤木山の明神が争った際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・万三郎は日光山の明神に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
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サバ
1936年 沖縄県
忠導氏の一族の祖先が難破したとき、鯖に助けられたため、この一族はいまだに鯖を食べないのだという。
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ヤジエモンノカタナ
1970年 滋賀県
1940年ごろのこと。小谷集落の成瀬家が火事のとき、ヤジエモンが刀を振りかざし、火を止めた。この刀は今も蔵の中にある。
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ヘビ
1985年 和歌山県
昔、井上一族がこの地を引き揚げることになった。一族の中の庄次には、お百合という相思相愛の娘がいた。一族の者が引き揚げたあと、お百合は悲しみのあまり、東条ガ淵に身投げして死んだ。それから、お百合の怨念が蛇となって出るようになったという。
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カッパ
1958年 埼玉県
名栗川には河童一族がおり、奥武蔵の名門として勢力を張っていた。旧6月の満月の夜にはこの一族が宴を催す。この頃、水の災がないように胡瓜を川に流すのが慣例であったが今は絶えた。
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ネムリネコ
1941年 栃木県
日光東照宮にある眠り猫は左甚五郎の作と言われていて、これを掲げてから宮内では鼠害が絶えたといわれている。
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ムカデ,ヘビ
1982年 群馬県
赤城の神と日光の神が喧嘩した。赤城はムカデ、日光はヘビになって戦った。日光が負けて逃げ、体から血を流し、山の木が赤く染まったので赤木(赤城)山と言うようになった。
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ヤマンバ
1985年 愛媛県
昔、ヤマンバの一族が住んでいて瓶を背負い大松峠を越えて人里に来ては、二つ三つの子供を瓶に入れて持ち帰り、一族に手や足を分け与えていたという。
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キツネ
1923年 京都府
狐を打ち殺した男の家が全焼した。狐の一族の敵討ちだろうと噂された。
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ダイジャ
1934年 岩手県
鉄砲名人の男が大蛇を撃った。すると洪水となって大蛇は山に逃げて行った。この男の一族は祟りにあって左目が悪いという。そして山には登ってはならない。
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レイハイイシ,タスケイシ
1930年 栃木県
日光二荒山神社の別宮に瀧尾神社というのがある。このお宮の周りにある1間四方位の石は子種石と呼ばれているが、「日光山誌」によれば、この石を礼拝石、もしくは助石といって、日光責で気絶したものをこの上に置くとたちまち蘇生するという。
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(イチモクレン)
1951年 三重県
江戸時代、大楠を刈った武将の下に一目連が山伏の姿で現れて、一族を滅ぼした。
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ウマ
1976年 東京都
寛永の頃、江戸に耳の下に長さ2寸程の角の生えた駿馬がおり、日光山に進呈された。
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イケノヌシ,ダイジャ
1994年 鳥取県
日光池を干拓して新田開発をした。そのときに大蛇が捕まった。日光池の池の主だということで、杉谷神社に祀った。
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テング
1937年 栃木県
親玉が日光山の座主となり、日光天狗の鼻がますます高くなったので、路面に穴を掘り、最敬礼の際、その穴に鼻をさし入れた。
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ユウレイ,レイキ
1979年
成瀬柳木『航薇日志』所収の岸田冠堂の詩「厲鬼」には、冤罪で死んだ魂は安寧でいることができず、雪のように白い両手を垂れて、星のように光る目が人を射る幽霊の姿が詠まれている。
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カタサブロウ,ニッコウサンダイゴンゲン,アカギミョウジン,シロシカ,ダイジャ
2001年 栃木県
清和天皇の御世、貞観元(859)年の頃、下野国の日光山大権現と上野国の赤木明神が争っていた際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・方三郎は前者に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
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イケノヌシ
1994年 鳥取県
天正16年に亀井茲矩公が日光池を干拓して新田開発をした。そのときに日光池の池の主は、流されて浜に打ち上げられたという。
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ヘイケガニ
1976年 香川県
讃岐国八島の浦の蟹を平家蟹と言い、平家一族の怨霊が蟹になったという。
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テング
1977年 東京都
小石川伝通院山内にいる岱雄という者は、僧とともに出かけたが帰らず、2日後、寺の寮で昏倒しているところを発見された。気が付いて語るには、供をしている時に、体が自然に空へ昇り、それから成田不動へ参詣し、大樹の間にいた出家者たちと相撲をしたり、食事をとったりし、7日ほどいたという。天狗の仕業でも趣あるものだ。また天狗は、再び参詣したければ、東を向いて不動を念じろと言った。そうすると再び天狗が現れ、成田山へ連れていかれた。帰りに諸々の土産ももらった。
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