イコウ,シャリ,(ヒカリヲハナツネンジュ) 1974年 神奈川県 鎌倉の光明寺に住む檀通和尚が死んだ時、火葬の場では異香がただよい、遺骨はみな舎利になった。また50粒ほどの念珠は光を放ったという。
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シャリ 1974年 大阪府 摂州東成郡放出村にある出田寺の空山和尚は有徳の僧で、多くの人々が帰依した。彼が往生した時、火葬に付した骨は舎利となり、灰は紫になったという。寛文11年5月11日の出来事である。
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(ムクイ) 1974年 奈良県 和州高市郡鳥や村で、親不孝な大悪人が死に、死骸が走り出た。葬式の時、天気が穏やかなので、人々が不思議がると、急に悪天候になった。火をつけ翌日見に行くと、起き上がり居た。灰にするのにも2日間かかった。
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ネコ,(オンガエシ) 1956年 宮城県 寛政年間(1789~1801),泉永寺住職玄契和尚は高い学徳を持っていたが,暮らしが苦しいので寺を捨てる覚悟をした。長年可愛がっていた三毛猫にも我が子に言うように暇を言い渡した。一方,物持の千田家には一人娘の美知代がいたが,学問好きの美知代は玄契和尚の学識を慕い,三毛猫も娘になついていた。ある時美知代に縁談が持ち上がったが,美知代はこれを嫌い,結納の前夜沼に身を投じてしまう。数日後,葬列が村境近くの一本杉の近くを通りかかると,柩が十数尺の老杉の梢に吊り上げられてしまった。僧侶や修験者たちが修法を行ったが効果がないので,玄契和尚を呼ぶことになった。和尚が数珠をもみ経文を唱えると,柩が降りてきて葬儀を終えることができた。実はこれは愛猫三毛の報恩で,以後寺も和尚も尊信を集めたという。同寺には玄契和尚の描いた大涅槃像が現存する。
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イコウ,シャリ 1974年 滋賀県 寛永19年8月13日、江州彦根の円常寺の実誉上人が臨終の際、仏殿の上に紫雲がたなびき、火葬の後で遺灰から舎利を得たという。
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タマシイ 1933年 鹿児島県 葬式から6日までの夕方は墓前で盛んに火を焚く。その煙に乗って死者の魂が空へ昇る。
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ライジン 1921年 京都府 雷鳴とともに死体がなくなるということが続いた字があったが、圓通寺の和尚が葬送をいとなんでからはそのようなことはなくなった。
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ネコノマリョク 2000年 青森県 殿様を火葬にしている最中、棺おけが浮き上がって宙吊りになった。福蔵寺の和尚がお経を唱えると、棺が火の上に降りて無事に終わった。和尚についていった猫の魔力だろうと言われている。このときの猫は雄の三毛だったといわれている。
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(ビャクゴウカラノヒカリ) 1974年 京都府 洛陽西園寺玉誉和尚は、普段から利他に務め、念仏を怠らなかった。その彼が病気になった時、本堂の中がしきりに光っていたのでのぞいてみると、木造の弥陀仏の白毫から光が放たれ、堂の内外が光に満ちていたという。そして和尚は安らかに死んでいった。
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チショウ 2002年 滋賀県 智証大師が比叡山の千光院に住んでいるときに、弟子の僧を呼んで持仏堂の香水を持って来い」という。弟子が香水を持ってくると、和尚は散杖で西に向かって2、3度灑いだ。弟子が問うと、「宋の青龍寺の金堂の妻に火が付いたので消すために香水を灑いだ」と答えた。次の年に宋の商人が来て「去年青龍寺の金堂の妻に火が付いたが丑寅の方角から大雨が降って火を消した」という。弟子は驚き尊んだ。
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ヨウカイ,ヨウ,マクラノカイ 1977年 東京都 江戸深川三十三間堂の近辺で、長年空き家だった家に人が住んだところ病気になった。物置から冷たい風が吹くと具合が悪くなるためそこを調べると古い枕があった。この枕が原因かと思い燃やしたら死体を焼くような匂いがした。病気はすぐに治った。
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シノシラセ 1979年 長野県 龍淵寺では先代の和尚の頃、檀家の人が死ぬと必ず寺へ知らせがあった。御経の本を保管してある戸棚の音が静かにするか荒々しくするかでその人が苦痛なく死んだか、苦しんだかがわかる。翌朝必ず死亡した家からの使いの人が葬儀の依頼に来るという。
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ネコマタ 1968年 岡山県 掌善寺、ごま屋、きさ屋に猫又がおり、この3匹の猫がごま屋の爺の葬式で屍体をとって喰う相談をしていた。それをゲンコウ和尚が聞きつけた。火葬場に行く途中で雷鳴がとどろき人々はとんで逃げた。黒雲の中には3匹の猫がいて死体をとろうとしていた。その時和尚が数珠で掌善寺の猫をたたいたのでこの猫は片目がつぶれ、その後死んだという。
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ナルユルリ,オショウノレイ 1940年 秋田県 ある寺の和尚が囲炉裏の灰をならしながら発句をしたが、下の句を考え付けないまま亡くなった。その未練で囲炉裏がガタガタと奇妙な音を出すようになり、寺に誰も住めなくなった。賢い小僧が下の句を付けると、和尚は化けて出なくなった。
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コジキ 1984年 福井県 昔、大晦日にある家に乞食が現れて、宿を請うた。家の人は哀れに思って泊めてやった。翌朝そっとのぞいてみると、乞食は冷たくなって死んでいた。その家の人は火葬場へ運ぼうと思ったが、正月で誰も手伝いにきてくれないので、夜になるのを待って囲炉裏で燃やしたが、いくら燃やしても燃えず、いぶかしんで火ばしでつついてみたら、いつの間にか黄金に変わっており、大晦日に太い薪を燃やすのはこのためであるといわれている。
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(ゾクシン) 1975年 山口県 葬送に関する俗信。火葬の際の灰で団子を焼いて食べると、夏病みをしないという。湯灌・入棺の際には涙をこぼしてはいけない、涙をこぼすと死者が鼻血を流すといわれている。友引など、日が悪いときは葬式を出さない。どうしても出さなければならない時は、一尺ほどの藁人形を作って棺の中に入れるという、など。
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シャクジュ,シャクカイ,イタドリ 1980年 常に積聚(胸・腹などに急に激しい痛みを感じる病)を患う人が、自分が死んだら火葬にして腹中の積聚を打ち砕いてくれと遺言する。実際火葬してみると積塊があったがどうしても砕けない。その時古老が来て、虎杖で作った杖で突いてみると木っ端微塵に砕けたという。
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カミナリ,ホゾ 1921年 滋賀県 享保2年6月に江州大津の民家に落雷したが、そのとき麝香の臍のようなものがあって香りがよく、雷糞として薬に用いた。
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カンサブロウノボウレイ 1961年 山梨県 石和町地内の笛吹川上下3里は殺生禁断になっていた。鵜使の勘三郎はその禁断を犯し、石和町四日市場の岩落の淵で柴漬にされて殺された。勘三郎の亡霊は毎夜現れてこの地の人々を悩ました。文久11年夏に日蓮上人が訪れ、河原の石に1石1字宛法華経を書写して川に沈め、3日三3晩施餓鬼供養を行って亡霊を慰め、それ以来現れなくなった。遠妙寺には経文石が残されているという。
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オオドロドジョウ 1939年 新潟県 情深い男が、川で大泥鰌を釣って驚いてすぐに墓を立てたが、その夜に美しい娘が現れ、今日は成仏ができてうれしかったと礼を言った。この男は長生きしたと言う。
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